白を染める白
殿が戦から帰ると、城はてんやわんやの大騒ぎとなる。

主人である石田三成様は、豊臣秀吉様が左腕であり、また石田軍を任されている立場であるから、本来であれば陣中で指揮を執っていてもおかしくはない。
だが、秀吉様のためだと言ってその美しい白刃を振るう殿は、そう言って先陣を切り誰よりも敵を斃す。敵から凶王と恐れられる我が殿は、石田軍の切り込み隊長である島様と同じくらい血塗れである。
島様やご友人の大谷様方とは異なり、殿の御召し物は淡い紫であるがために、殿の纏われる返り血はことに良く目立ち、シミを作ることが憚られる。



私の仕事は、恐れ多くも主な殿方の戦装束から血を洗い流し綺麗にする仕事だった。
佐和山は無駄を省くべく、必要最低限の人数しか女中がいない。よって、連日忙しいが寧ろやりがいがあると思っている。
冬は堪えるが、この時期は手に触れる水の温度は心地よく、仕事が捗っていく。


丁寧に水に浸け込んで、血を浮かせる。
城主やその側近の方々の御召し物であるから、一張羅というわけではなかろうが、それでも無碍には出来ない。
我々女中には、戦さ場での活躍は出来ない。武道の心得はあるが、それは万一留守を狙われた際に少しでも時間稼ぎが出来ればというものであり、実戦向きとは言えない。
だから、こうして自分の出来ることをして彼らに従う者として『お守り』したいのだ。彼らがいつか、この衣を戦さ場で纏う時、烏滸がましいけれど私の思いも連れて行って欲しい。ご無事ていてとの願いが、洗い流される血水の代わりに染み込んで、彼らをお守り出来たら、何て。


ふと、白熱しかけた意識に目が覚め、慌てて首を振った。
危ない危ない、思考が跳躍しすぎていた。
手元にはこの城でただ1人の、淡い紫の陣羽織。誰よりも赤が目立つそれを、私はもう一度水に浸した。
あまり擦ると生地が痛んでしまうから、程よく揉む。
慣れと勘を頼りに、長いこと陣羽織と格闘していた。



「貴様がそれを洗っていたのか。」
「ひゃぁッ!」

どれくらい経っただろうか、不意に背後から聞こえた声に思わず奇声をあげてしまった。

「あ、も、申し訳ございません。」
「構わん、さっさと続けろ。」

稽古に向かわれる途中だったのか、袴姿で木刀を手にこちらを見ていた主が背後にいた。
言われたとおり、慌ててシミ抜き作業に戻った私を、殿はまだ見続けている。

「落ちぬなら放っておけばいいものを。」

ぼそり、と呟かれた言葉に、何故か哀しくなる。
知らぬ間に、私は言葉を紡いでいた。

「それでも、出来る限り殿の御召し物を白くしたいのです。
殿にはこの淡い色がよく似合います。殿の御心と同じく、美しく、潔く、純粋なのです。
この白が敵の血潮に穢されるのが、私は殿の御心が穢されるようで、どうしても我慢ならないのです。」


言って、あ、と気づいた瞬間一気に顔が赤くなる。
申し訳ございません、と口早に告げ作業に戻った私。
殿が眉を和らげ、目を細めていたことには気づかなかった。





「どうした、刑部。」
「いや、な。何時も気になっておったのだが。

戦仕度をする三成と刑部。左近を待つ間、笑い出した刑部を三成は不思議そうな目で見た。

「ヌシは戦のたびにあれ程赤く染まって帰るのに、ヌシの纏うものは常に白い。何にも染まらぬヌシが不思議でナァ。」

揶揄うように言った刑部の言葉に、三成は少し考え、そしてその三白眼を無意識に細めた柔らかい表情をしてから答える。
それに刑部は少し驚いたように目を見開いた。

「この羽織には既に白い心が染みついている。白い心根の者によって、血水が払われ、私の羽織は常に白く染め上げられるのだ。」

刑部が驚いている間に、三成は何やら左近と言い合いを始める。
2人を見ながら、刑部は1人なんともなしに呟いた。

「ヌシが染められたは羽織のみではあるまい。
ヌシは気づかぬ間に、中身も染められたようよ。」

ヌシの白と、其奴の白。
勝ち負けの無い陣取り合戦とは。

三成の羽織が、白くはためいている。
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