■ 序幕

 なに、簡単なことだ。どうせお前に選択の余地などないだろう?
 さっさと諦めて、身を任せればいい。

 そうだなぁ。いい子にしていれば、命くらいは助けてあげようじゃないか。
 オレはね、出来ればお前を助けてあげたいと思い始めているんだよ。


 そう言ってじりじりと距離を詰めるそいつの顔は、短く薄い付き合いなりに抱いていた印象との落差が激しい。表皮を形成するパーツは何一つとして変わらないのに、滲み出る性質がまるで別人だ。今更何を言っても遅いけれど、少なくとも私が知っていると思い込んでいた彼はこんなふうに唇を醜く歪めはしなかった。
 薄っぺらな笑顔を張り付けたままわざとらしい甘い声で嬲ってくる男の本心など聞くまでもなく明らかだ。哀れなウサギを狩ることが何よりの楽しみだと笑う男の顔が全てを証明している。手を伸ばしても救われるわけがないと理解できているのに、それでもわずかな希望に縋るしかない獲物の心理すら弄ぼうというのか。
 嫌悪を通り越して思わず呆れてしまうほどに、自分の立場と見せ方を熟知している。ああ、これは外道だ。言い過ぎとは思わない。私という、目の前の獲物をいかにいたぶるか。それだけに集中する男など外道以外の何と呼べばいいのだろうか。


 摩訶不思議なG.Iというゲームに本格的に参加して、はや一年と数か月。

 本来の目的の方も順調で、今思えば私は完璧に調子に乗っていたのだ。クリアに興味はなかったものの、今後の為にもここらで一度群れてもいいかなぁなんて軽い気持ちであんなチームに属してみたのが間違いだった。いや、そもそもこんな得体の知れないゲームに参加しなければ。おとなしく、現実世界でだけ仕事をしていればよかったのだ。

 己の軽率さを痛いほど思い知ったところで、後の祭りである。



  ***



 はじまりは、いつも通り単身でカード収集に飛び回っていた時のことだった。

 突然の《交信》に誰だろうと気を張ったのは一瞬で、聞こえてきた声が告げる名前に私はいとも簡単に警戒を解いた。
 人の顔と名前を覚えるのは、仕事柄そこそこ得意な方である。人畜無害な幹部の顔を思い出しながら、愛想良く応えたものだ。新参の私なんぞに幹部クラスがなんの用で?と少々意外に思いこそはしたものの、まあ何か確認事項でもあるのだろうと深くは考えなかった。むしろ、割と好みのタイプだったこともありこっそりと喜んですらいた。

 で、そうやってほいほい了承して出向いた自分が馬鹿すぎたのだと、今更後悔してもやはり遅い。



 その男は今こうして私を拘束し、床に転がし、聞いてもいないのに己の正体を語り、怯える私を見下ろして満足そうな微笑みを浮かべている。本当に、嘘みたいだ。



「と、いうわけでね。『ボマー』としては定期的な犠牲者が欲しいところなんだよ。だが、君はなかなか具合がよさそうなのでね。返答次第では、生かしてあげてもいいかなと思っているんだ」

 好青年の仮面を脱ぎ捨てたそいつは、ただのゲスだった。口調だけが以前同様柔らかい分、クズ感が増している。そしてそんな自分を見せびらかすようにオレって優しいだろうと嘯いてみせる。
 拘束された身体はどうあがいても動かないので、せめてもの抵抗にと殺意を込めて睨みつけると髪の毛を掴み勢いよく引き上げられた。

「ッ! 痛ったぁ!」
「自分の立場が分かっていないようだな」

 ほら、やっぱり。凍ったように冷たい笑顔が不気味なゲンスルーの、声だけはそれでもやたらに甘い。

「君は、自身に価値を認められたことを素直に喜ぶべきだ。見せしめ以外の可能性を見出されたのだから、こんなところあっけなく死ぬのは勿体無いだろう?」
 片手が私の首に触れ、遠慮もなく胸へと降り、わき腹を滑って、太ももを撫でて、そこで止まった。
「なに、簡単なことだ。考えてもみろよ。どうせお前に選択の余地などないだろう? さっさと、オレに身を任せればいい。 このまま慰み者となってあっさり殺されるか、精一杯オレを楽しませて生にしがみつくか。それしか選べないのなら、結論は見えているだろう?」
 太ももをゆるゆると這っていた手は、そのままじりじりと付け根へと近づいてくる。
 いつの間にか普段のように「あなた」でも「君」でもなく、ただ「お前」と冷たく呼ばれていることに、否が応でも分の悪さを自覚させられる。
 こんな奴だとは思わなかったとなじる事も出来るけれど、結局それは私に人を見る目がなかったという敗北宣言でしかないから口が裂けても言ってはやらない。

「そうだなぁ。いい子にしていれば、命くらいは助けてあげようじゃないか。働き次第ではゲームの外に逃がしてやってもいいかもしれないな。ああ、そうだね、それがいい。オレはね、出来ればお前を助けてあげたいと思い始めているんだよ」

 どうだい?と見つめる目には、発言とはまるでかけ離れた冷酷さが滲み出ていた。
 この世界で何度も見聞きした"爆弾魔"の被害者たちの姿が脳裏に蘇る。私の身体にもあの爆弾が仕掛けられているというのなら、こいつの言う通り逃げ道はないのだろう。私の顔に広がる諦めを感じ取ったのか、目の前の男は一層機嫌がよさそうに笑った。
 相変わらず、ひどく薄気味悪い笑みだ。

「さあ、どうして欲しい? ……ああ、自分から肉奴隷にして下さいなんて言えないもんなぁ。答えにくいだろうから、優しいオレが力を貸してやろう」

「いいかい。今からするオレの問いに、二十秒沈黙を保っても、承諾と受け取ってやろうじゃないか。そうすれば、お前は"女"として生かしてやる」

 残忍な瞳の輝きでもって、ゲンスルーは私を射抜く。



「ここでオレに、殺されたいか?」



 そうして私は、この日からこの外道に"飼われる"ことになった。



(2014.01.02)
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