■ 02

 時刻は午後六時を軽く過ぎたところ。
 自分で指定したくせに、約束の場所にアクタベくんの姿はなかった。

 代わりに立っているのは金髪碧眼のまさに"王子様"という表現がぴったりな青年で、更に言えば「代理人を寄越すからお前から話しかけるように」との指示がメールが届いたばかりだったりする。
 なのだけれど……"金髪野郎"なんて一言説明で終わらず顔写真の一枚くらい添付しようよアクタベくん。見渡したところで他に人待ち中らしい金髪さんの姿はないものの、アクタベくんの友達にしては明らかにジャンルが異なる青年を相手に確証なんか持てる筈もない。しかも道行く女性たちがこぞって振り返りつつもあまりの非日常感にナンパすら仕掛けられず泣く泣く立ち去る中で、ひとり抜け駆けとばかりに声をかけるなんて。とんだ見世物ではないか。人違いだったら目も当てられない。それどころか、挙句に不審者認定までされてしまった日にはなまえさんのライフは一瞬でゼロになるぞ。

「あのーすみません、ひょっとしてアクタベさんの代わりの方ですか?」

 けれどいつまでもチラチラ目をやるだけでも結局不審者なので、ここはちょっと頑張ってみる。すると青年はびくりと肩を跳ねさせ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「あ、ああなまえさん、待ちくたびれましたよ。一体どこにいたのです」

 ……あれ、おかしい。挨拶よりも糾弾から入るその口調はどう聞いたって私を知っている人のそれに違いない。けど私に見覚えはないぞ。っていうか、どこにいたのですかってのは失礼な言い草だ。まるで地味なお前は視界に入らなかったとでも言いたげな……まあ、今更アクタベくんの友人知人にまともな性格がいるとも思えないから、これはこれで然もありなんと納得するところだけど。
 なんて混乱している間に、一足早く状況を理解したらしい青年がにやりと笑った。普通に笑えば爽やかイケメンだろうに、なぜそう凶悪な微笑みを浮かべるのだろうかと残念に思いながら、なんとなくその表情に記憶が重なる。いや、でも、まさか。いやしかし、そうだとすると散らばった謎がきれいに繋がる。

「あれ、あなたひょっとして」
「この姿では初めまして。このベルゼブブ優一があなたの悩みを解決して差し上げましょう」
「チェンジお願いしま──痛い!」

 あう。
 この私になんて失礼なことを言うのですか、と怒られた。
 けれども私にだって言い分はあるのです。だって、こんなキラキラ美形を連れて歩くなんてそれはそれで結構な罰ゲームじゃないですか。ほら、今だってただ話してるだけでこんなにも周りの視線が痛いってのに!


  ***


 久しぶりに会えた恋人たちですからね、なんて言葉と共に近付けられる男の身体。当たり前のように握ろうとしてくる手を慌てて振りほどいて、非難される前にこちらから腕を絡め直す。
「おやおや、積極的ですね」
 剥き出しの手のひら同士を合わせるより、腕を組む方がいくらか楽なのだから仕方がない。
「で、これからどうする予定だったのですか」
 なるほど、まず手を握ろうとした理由はこれか。そうですねぇこの後は……なんてやっていることはただの作戦会議なのに、きっと傍目には恋人たちが睦み合っているようにしか見えないだろう。ただのパーソナルスペースの侵害かと思いや、実は悪魔の知恵であったか。凄いな。

「そこの角を曲がればスーパーがあるので適当にいちゃいちゃ夕飯の買い物をして、後はうちに来てもらってだらだらってところでしょうか。ちなみにお望みでしたら本当に作りますけど、何かリクエストはあります?」
「……難しいところですね。あなたの作るどう足掻いたところで美味しくならなそうな、けれどもこういう機会でもないと食する機会も無いだろうカレーか、確実に一定以上の美味しさは保証されるもののいつでも入手可能なレトルトカレーにすべきか」
「ちょっと、なんでそんな料理下手って設定が確立しているんですか。いや待って、さては"別に期待してなかったら意外と美味しくてびっくり"というアレ狙いですね。いいですよそのフラグ全力で回収してやろうじゃないですか」

 出来無いわけではなけれど別に料理上手ってわけでもない私のことなど全てお見通しというかのように、ベルゼブブさんがハッと笑った。くそう、今に見てろよ。

「ところであれですね。ベルゼブブさんって呼ぶのも他人行儀と言うかイチャイチャ度が下がりそうですし、何か偽名でも考えましょうか」
「……わざわざ偽らなくても、そのまま呼べばいいのでは?」
「"ブブさん"ですか? ああでも"ベルさん"の方が親しげかな?」
 
 濁音二文字だけというのは思ったよりも言い辛く、気を抜けばと「ブーさん」になりそうなのも不味い感じだ。
 けれども私の提案には濁りきった眼差しが返された。なまじ顔が良い分、こんな蔑みの表情すら半端なく様になっている。

「どこまで馬鹿なんですか。そのまま"優一さん"でいいでしょうが」
「"優一さん"、ですか」
「ええ」

 優一さん、優一さん、優一さん。

「何ですか、人の名前を繰り返して。気持ち悪いですよ」
「気持ち悪いって失礼ですねぇ。ちょっとベルゼ……っと、"優一さん"の名前を唇に覚えさせているだけですー」

 瞬間、勢い良く腕を振り払われた。唖然とする私を振り返ることもなく、大股でどんどん突き進んで行く後姿。
 怒らせたのかなぁと考えかけて、こんな風に両手をぶんぶん振って遠ざかる背中に覚えがあることに気が付く。あの時はもちろんペンギン姿だったから、すぐに追いついてその顔を覗き込んだんだっけ。

「ねえねえ優一さん、今なんか照れてるでしょう?」
「……なっ! だ、だ、黙れこのクソビッチが!」
「あーダメですよぉ。往来の真ん中でそんな言葉遣いしたら、みんなビックリして大注目しちゃいますよぉ」



(2015.09.09)
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