■ 兎は檻に舞い戻る

「だ、か、ら! お仕事の都合もあるんだし、絶対帰って来るって言ってるのに。なんで駄目なんですか」

 この世界に閉じ込められたプレイヤーの捜索と救済で儲けているという女は、爆弾魔たちに帰還を阻まれる現状が如何に自分の不利益に繋がるのかを切々と訴えていた。
「もうそろそろ戻って報告しておかないと、積み上げて来た私の信用が……。ね、どうか、一枚だけ《離脱》を下さい」
「駄目だ。外で誰かと接触して、オレたちのことを話さないという保証はどこにも無いからな」
 考える間もなく冷たい言葉が出る。実のところ、たとえ暴露されたとしても潔白を証明して切り抜ける自信など幾らでもある。こんな女一人に泡を吹かせられるほどに甘い立ち回りはしていない。しかし、だからといって、はいどうぞと放してやる義理はない。
 なおも続く懇願をここではある程度自由にさせてやっているだけでも有り難いと思え、ゲームから出ることは許さない。と跳ね除ければ、なまえの表情がいっそう切なげに歪む。その表情に背後の二人が同情心を覚えるだろうことなど見なくてもわかる。まったく苦々しい。常々思っていたが、こいつらはこの女に甘過ぎるのだ。

「そんなに……私って信用無いですか?」
「おいおい、何を言っている。オレらとお前の関係は、信用どうのじゃないだろうが」

 ふりではなく本心から呆れて言えば、益々しゅんとする姿があざといくらいに哀れを誘う。自身に爆弾が仕掛けられていることを失念している筈が無いだろうに。緊迫感や恐怖心を微塵も感じさせること無く、傷付いたような表情を浮かべる女が、不快だ。
 まるでオレたちとこの女の関係に脅迫による支配以外の繋がりがあるようではないか。


 そんなこんなと平行線のまま暫く続いたやり取りの末、結果として《離脱》の使用を許しはした。だが、それは女が口にした「信用」などという概念とは全くかけ離れた理由によるものだ。むしろ馬鹿正直に戻って来るなど到底信じていない上での戯れだ。
 例えば……この不可思議な女が、どうにも扱いに困るこの女が、これを機にオレたちどころかG.Iからも離れるとしてもいいと。いや、いっそその方が清々しいだろうと思っての施しだ。それきり沈黙するなら善し。仮にもし外で不穏な動きをするようでも、その時こそ先延ばしにしてきた始末を付ければいいだけ……なのだから。


  ***


 万一にも戻って来るとなると、リミットは十日。
 古城や、スポンサーであるバッテラ周辺へ接触されればやはり多少は厄介だから。あくまで警戒の為にとサブとバラを向かわせたゲンスルーに残る憂いはなかった。そうしてなまえのことを意識から弾き出した男は通常通りの"他愛のない日々"を過ごすことに集中する。
 チームの創立者の一人であり頼れる幹部としての役割を演じる日常。それには、お調子者のジスパのサポートに奮闘したり苦労性のニッケスの泣き酒に付き合ったりということも含まれている。誰にも疑われることなく偽りの"日常"を積み重ねていくことが、他の二人と離れてゲンスルーがここにこうして残る目的であり、勝利への策だからだ。

 三、四、五日と過ぎても、彼の周囲は何も変わらなかった。

 ここ数日内にゲームを出入りするメンバーは居なかったし、不穏な動きをする者も居なかった。彼のプランを阻もうとする者もやはり居なかった。サブとバラからも連絡はなく、そのまま静かに……決して期待することも失望することも無く、ただ来たるべき十日目を迎える用意が出来ていく。

 だから……七日目の昼、予想だにしないその《交信》を受けて言葉を失った。


  ***


 チームの誰でもない、聞き慣れた女の声が何を指すのか……その意味に迷い、ゲンスルーは彼らしくもなく一瞬呆然とする。
『……ねぇ、聞こえてますかー、ねぇ、ゲンスルー……さん? あの、今、開始地点からちょっと離れた森の中なんですけど、どうしましょう。そっち行きましょうか?』
「すぐ向かうから、これを切れ」
 咄嗟のことに焦る思考のまま、不愛想に告げて《交信》を終わらせる。代わりに即座に《磁力》を発動させれば、混乱する心を置いて、迅速に的確に、目的地へと肉体が飛ぶ。

「ただいまです」

 ちゃんと帰って来たでしょう、といつもと同じように笑って居直るなまえにかける言葉を探すも見つからない。脳裏にはいくつも疑問が踊るが何から言えばいいのか。
「……随分と、早かったな。制限時間ぎりぎりまで、あちらに居るかと思っていたが」
 溢れそうな思いを抑えて、ようやく声にする。余裕の口振りを意識して、ついでに口角も引き上げて。戻って来ないと思っていたなどとはさすがに口にはしない。
「せっかく融通効かせて貰いましたからね。あんまりギリギリだと心配させちゃうかと、超特急で色々済ませて戻って来ちゃいました」
 えへへと微笑む女の、声と表情は緩く甘い。離れていたのはほんの数日間だが、もう会うことも無いだろうと終幕への予防線をこれでもかと張っていた相手だ。唖然とする本心は隠して、せいぜい傲岸に取られるように嫌味を口にしてやる。大体、なにが「心配」だ。誰がお前ごときに。

「むしろ、これを機に尻尾を巻いて逃げ出すかと思っていたが、意外だな」
「え、酷い。そんなことしませんよ。進行中の案件もまだまだあるし……っていうか、戻らなかったらもう皆さんとも会えないじゃないですか」

 その「皆さん」が自分たちを指していることは確かめるまでもなく明らかで、もうこの馬鹿に何と言えばいいのかと呆れ果てるしかない。本当に、自分の立場と扱いをわかっているのかこの女は。

「そんなに現状を気に入っていたのか。これはこれは、認識していた以上の淫乱だなぁ」
「え、ちがっ……。別にそういう意味じゃなくてあの、普通に、貴方たちと会うの結構好きだし、楽しいし……その……」

 嘲笑に対して慌てて声を上げるなまえは、けれども勢いのまま反論に転じきることは無く、赤く染まった頬で最後には小さく付け加えたのだ。
「……するのも、嫌じゃないし」
 あまりにも正直すぎる間抜けな告白に、挑発のためではなく本心から噴き出してしまう。
「『嫌じゃない』だと? 違うだろうが」
 言葉は正しく使わないとな。拒絶に徹せない残念な思考回路とその反応はすっかりお馴染みのもので、慣れた流れにゲンスルーの興も乗る。
「お前のことだ。どうせ、我慢できずにさっさと犯られに帰ってきたんだろう?」
 反論する間も与えず、伸ばした手で女を掻き抱き煽るように指を這わせ首筋に齧り付く。
「え、ここで、ですか!?」

 上がった声に答えなど返してやらない。一応抵抗らしき抵抗としてつっぱねようとする腕を掴み捻り上げて、生意気を叱るため犬歯により一層の力を込める。ところがそれはむしろ快感に繋がったようで、びくりとなまえの身体が跳ね上がった。
 これだから本当にこの女は面白い。



 事後の気怠さに身を任せるには、野外というのはやはり心許ないものだ。
 早々に着衣を整えようとなまえの身体から身を剥がそうとしたゲンスルーは、そこでふと動きを止めた。最中からのおぼろげな違和感にようやく思い至った為である。愛撫を与えながら何か引っかかりを覚えていたのだが、その正体に冷静になった今やっと気が付くことができたのだ。以前からしっとりとなめらかな肌だとは感じていたが、今日はなんだか益々……。

「お前、なんか触り心地がよくなっていないか」
「わかります? そうなんですよー。せっかくなんで、とっておきのエステにも行きまして」

 極上の施術ですっかりリフレッシュですよとステータスも爆上がりですよと上機嫌で胸を張るなまえの浮かれ調子に悪戯心が刺激される。ほうと相槌を打つと同時に、離しかけていた身体を戻して柔らかい耳に囁きを流し込む。彼女がこれに弱いことなどとっくにお見通しだ。

「それは悪かったなぁ。せっかく磨いてきた身体だ……もっとしっかり味わってやるべきだったなぁ」

 幸い、今日これからの予定など有って無いようなものだ。先日の探索の結果から統計を導くための作業などともっともらしく言ってはみたものの、実際の所はとっくに結論が出ている。苦労しているフリをして都合のいいように時間を調整しているに過ぎない。

「さっさと服を直せ。お前に免じて今日の予定はキャンセルしてやろう。さあ、今から宿でたっぷり可愛がってやろうじゃないか」
「え……もうへとへとですよぅ……っていうか、私も数日ぶりだし、色々としたいことがあるので正直遠慮させていただきたく……」
「煩い。喋るより手ぇ動かせ」

 反論を遮れば、やれやれとわざとらしい溜息が聞こえる。だが、気になどしてやるものか。
 さあ、宿に着いたら、その一味違う肌とやらを堪能させてもらおうじゃないか。淫乱なお前が心底満足するまで、何度でも、何度でも……。



(2014.02.05)
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