■ 下

 肌寒さに重い瞼を開けると、カーテン越しの空が夜の終わりが近いことを告げていた。

 いつのまにかはだけていた服を直し、飛び出ていた肩を抱けばすっかり冷えてしまっている。どうりで目も醒めるわけだ。ついでに喉の渇きも気になっていた。
 ホテルのベッドが大きいと言っても大人四人が眠るには少し足りない。結局別れることになるのは自然な結果でソファに一人、ベッドには二人と私が転がっていた。傍で寝息を立てる二人を起こさないようにそうっと動いて床に足をつける。
 さて、水はどこだろう。彷徨わせた視線がサイドテーブルのグラスに吸い寄せられる。開いた酒のボトルとつまみの残骸……それををきっかけに、だんだんと昨夜の記憶が蘇ってくる。といっても、レアで美味なお酒と変わった味のチョコレートっぽい何かやクッキーを食べて飲んでの記憶で終わっているのでどうやら昨夜は酔い潰れてしまったらしい。

 ああ、この状況で酩酊出来ちゃうとか私の神経はどうなっているんだろうか。

 幸運にも本日もこうして無事目が覚めたからいいものの、爆弾魔相手にさすがに気を許し過ぎている。などと反省しながら立ち上がる。
 手っ取り早く、テーブルにあった酒の匂いが残るグラスと傍らの水差しで喉を潤していると「オレにも頼む」と声がかけられた。

「あら、ごめんなさい。起こしちゃいました?」

 ソファで横になったままの男の手元までグラスを持っていってやる。

「飲んだ後くらいベッド使えばいいのに。ほら、私は床でもいいんですし?」
「そんなことをしてみろ。あいつらになにを言われるかわかったもんじゃねぇ」

 今日に限らず、寝起きの男は普段より少し乱暴な物言いが目立つ。加えて、憮然と言い放つ様がなんだか可笑しくて、可愛くて、少し笑ってしまった。

 そんな私を無視してゲンスルーはグラスの水をひと思いに飲み干すとゆっくりとメガネをかけた。ここ数日ですっかり見慣れてしまった、特徴的なそのフレームは彼によく似合う。メガネを外した顔も結構見たけれど、私としてはかけている方が断然、彼らしい嫌味さと狡さが強調されて良いと思う。むしろメガネが本体で良いと思う。
 などとメガネに思いを馳せていると、おいなまえと呼ばれる。

「お前は今、何を考えている?」
「……はて。ええと、メガネが素敵だなーと。でもって、その素敵なメガネをかけたゲンスルーはとってもいいなあ。すごく似合うなあ、格好いいなあ、ガラス越しの視線に痺れるなあ、なんてことを少々。……あれ、どうかしました?」

 やや大げさに、むしろサービス過剰気味に言ったというのに、期待した突っ込みはなかなか返って来ない。それどころかただこちらを見つめる視線があるだけで口が開かれる気配もない。率直に言って居心地が悪い。

「あの……?」
「飲んでからのこと、覚えているか?」
 突然そんな真剣な瞳で尋ねられるとさすがに答えに窮してしまう。
「いや、あの、飲んで記憶を失うタイプではない筈なのですが……途中からその、危ういと言うか心当たりがないと言うか……まあその、気が付いたら寝ていました」
「じゃあお前、どこまで覚えている?」
「えーと、えーと……『アントキバの南の食堂で、花屋の娘に日替わりランチをおごるとマンドラゴラが貰えることがある』っていう辺りはなんとか……」
「……そうか」
 黙り込んでしまった男にさすがに不安になる。
「え、私ひょっとして何かしちゃいました? 言っちゃいました? 酒癖は悪くないって自称なんですけど。えーと。……あの、何かしちゃったのなら謝ります。ごめんなさい」
 慌てながらしょげかえってと忙しい私をじっと見つめるゲンスルーは、しばらくして溜息と共に言った。

「覚えていないのなら、まあいい。改めて話をしてやる」

 あれ、いいんだ。てっきりそれを理由に何かしらもうひと展開あるかと思ったのに。きょとんとする私を通り越して男は未だベッドで眠り続ける二人を起こしにかかった。


  ***


「とりあえず、一旦お前は解放だ。こいつらもそろそろ向こうに戻るしな」

 突然の知らせにサブとバラの顔を見ると、さすがにオレらもやることがあるからなとサブが。しばらくしたらまた戻って来るさとバラがそれぞれ付け加えた。

「それに、だ。実に面倒だが、オレもそろそろあいつらの前に顔を出して、『仲良しごっこ』の続きをしなきゃならんわけだ」

 ああ、ニッケスさんってばそんな言われ方をして可哀想に。快活で頑張り屋の、でも今ひとつ大物さに欠ける人の良さが滲む顔を思い浮かべてこっそりと同情する。そういえば……あの人たちはずっと一緒にやって来ている仲間がプレイヤーから疎まれ恐れられる"爆弾魔"であることは当然知らないだろう。
 となるとこの男のことだ。あのチームは隠れ蓑もしくは傀儡か生け贄か、とにかくそんな感じの取るに足りない存在という事だろうか。うわぁ、これはなんという裏切りだろう。いよいよ本当に気の毒だ。けれどまあ死刑判決を待つ虜囚である私よりは幾分かマシだろうけど……。
 ということで、悠長に他人を憐れんでいられるような身でもない私は我ながら惚れ惚れするような薄情さでニッケスさんたちへの同情を浅く軽い感想として処理した。

 さて、では、私に仕掛けられた爆弾ってのはどうなるんだろう。
 一応この流れって生かして放してくれるってことだよね。さすが私。やっぱり"幸運"だ。いやしかし「一旦」って何だ。どういうことだ。え、ていうかこんな後ろ暗い状態で、今後メンバーの前でどう顔を合わせろと言うのだこの人は。……などと今後についてあれこれ瞬時に考える私を他所にゲンスルーが続けた言葉は意外なものだった。

「オレはニッケスの野郎にお前の脱退を説明してくるから、お前は一人でふらふらしてろ。こっちから呼ぶか行くかするまで、あいつらとは接触するなよ」

 脱退ですか。普通こういうのは傍で見張るってのがセオリーじゃないんですか。思わず問うと、チーム内に不安要素は置きたくないとあっさり返された。意外だ。いや、まあそれならそれでいいんですけどね。どうせただのノリと多少の打算で入ったチームだし。私自身はクリアなんて興味ないし。
 ただ、ならばと思いついたことを駄目もとで尋ねてみたくなる。どうせ慎重な彼らのことだ。答えはわかりきっているのだけれど。けれど、もしもという可能性もある。

「だったら、もう金輪際G.Iに戻って来ないって条件で、念も解いて自由にしてくれるとかは……」
「あ? そんなことするわけねぇだろ?」

 予想より幾分か乱暴な返事と共にそっと手が伸びてくる。頬から耳、首筋、肩、鎖骨とゆっくりと滑っていく手に目を閉じてぞくりと身を震わせば愉快そうな声が耳をくすぐった。

「外でバッテラや他の奴らと接触されても面倒だからなぁ。誰が自由になんてしてやるか。だがなぁ、いいことを教えてやろう。お前にかけた念は"まだ発動していていない"」

「お前に仕掛けた爆弾はな、発動には幾つかの条件があってなぁ。まあ、詳しくは教えてやらないが、普通にしてりゃまず勝手に条件を満たすことはない」

 さわさわと撫でる手と耳に流し込まれる声に翻弄される傍ら、冷静な部分がその真意を読み解こうと思考を回転させる。念の発現については、未だ変化を感じない肉体からも真実だろうと推測できる。だが、その条件については? この男の言葉が信用できるのか?
 快楽と戸惑いを同時に宿した瞳を向ければ、満足げな表情を向けるゲンスルーと目が合った。その顔に意地の悪さは感じても欺きは感じない。……まあ、幹部をはじめチーム全員を騙しているこの男が本気になれば、上辺から本心を読み解くなど私にも不可能だろうけど。

「最初に言っただろう? お前は充分過ぎる程に『いい子』だったからな。これからオレたち専用として末永く可愛がってやる」

 露骨に性的な関係を匂わされれば、すっかり慣らされた身体が甘く疼く。
 そう、"慣らされた"のだ。決して、そんな、元来のものでは……っと、まあ弁解は今はいいか。なるほど、こういう展開になるのか。それならばこちらとしても大歓迎だ。少なくとも今すぐ殺されないのなら、如何様にも手は打てるのだから。せいぜいこちらこそ楽しませてもらおう。
 なんて思考はおくびにも出さぬように期待に染まった頬を下に向ければ、さぞ滑稽な女に見えたのだろう。ゲンスルーは嘲笑を隠しもしない。

「わかっているだろうが、あのチームだけじゃねぇからな。他のチームに入るのも適当な奴とつるむのも駄目だ。オレらを裏切る真似をせずに静かに大人しくしてりゃそれなりに扱ってやるし、仕掛けも発動させずにいてやる。逆に、オレらをこけにするようなことをすりゃ……わかるな?」

 すっと離される手に名残惜し気に声を漏らせば、またにやりと笑われた。

 ああ、どうしよう。

 どうやらしばらく、退屈しないですみそうだ。



(2014.01.12)
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