■ 彼女の奔走 前

「なまえ、すまないが今回はエルネスタの隊についてくれ」
 そんなことを言われたのは、いよいよルカを打ちに出るというあの作戦決行の数日前だった。
「厳しい戦いになる。ここでエルネスタが斃れるわけにはいかないからな。お前は保険だ。その力を、俺の策に貸してくれ」
 俺のことは気にしてくれるなと優しい口調でキスされたら、多少の違和感なんてなんのその。頷くしかないじゃないか。

 ──ってあの時は確かに思ったのだけど、いざとなったらじっとなんてしていられない。
 言いつけ通りにエルネスタのサポートを完璧にこなした私は、超特急で別行動に移らせてもらうことにした。ちなみにあの子もあの子で、何か思う所はあったようで……あっさりと、私は愛しの軍師様に向かって走り出すことが出来たのだった。

 しかし、まさか。
 用意周到な彼に限って、まさか。
 ここでこんな、どうにもならないくらいに捨て身の策を用意していたとは思わなかったけれど。


  ***


 燃え盛り激しさを増す炎の渦を、得意の札で鎮めながら前へ前へと進む。
 紋章由来の札は、紋章たちがそうであるようにいつだってこの身に優しい。辺りに満る炎に向けて札の炎を放ち、紋章の炎で上書きしてやれば私のための道が出来上がる。その上に水の札を使ってやれば、ただの炎でも多少は弱まる。そうやって、肌を焼かれるような熱と煙の中を掻き分けるようにして、私たちは急いでいた。
「おい! シュウの場所は本当にわかってんのか!?」
 後ろを駆けるビクトールが、惨状の中を進みながら怒鳴った。
「大丈夫! 居場所は、わかるようにしてあるわ!」
 煙と熱を散らしながらの進行とはいえ、ある程度は免れない。声を出すと、気管や肺にまで負担を感じる。

「シュウ!! ったく……この馬鹿軍師!!」
 倒れ込んだシュウを見つけ、心臓が跳ね上がった。
 急いで周囲の煙と炎を抑えるものの、すでに吸ってしまった分についてはどうにもならない。
「おい、急いで出るぞ! 掴まれ!!」
 ビクトールが駆け寄り、そのままの勢いでシュウを担ぎ上げた。そして来た道を戻るべく、前を見据えて歩き出す。凄いね、さすが筋肉。大の男をそう容易に運べるとは……と、そんな場合ではないけど感心してしまう。
「……ビクトール……なぜ……」
「あんたが無茶するなら、放っておけねぇよ。なぁ、なまえ」
「!? ……なまえ、なぜ……!?」
「あんたが無茶するからよ」
 脱出を急ぎながら、ビクトールと同じ言葉を贈ってやる。そして、煙の影響でだろうか、目が開けられない様子のシュウのために言葉を続けた。
「エルネスタにとっても、私はあなたのための保険ってことね。 あっちは大丈夫。策は成ったわ」
 シュウからの、そうか…と短い返答を確認し、私は声を張り上げる。
「さあ、さっさと合流しましょ」
 来る時にばらまいた札の効力が残っているうちに戻らないと、私たちまで炎に巻かれてしまう。そもそも、これが紋章由来の炎なら札で消してしまえるのに。自然の火が相手では、札での対処にも限界がある。手持ちの札ももう残り少ない。まったく……普段の私なら、もっと上手くやる自信があるのに。
 シュウ程では無いにしろ、私らしくない捨身っぷりだ。

 正直、ここに来てこれほどの無茶をするとは思わなかった。
 クールな策士が意外に"熱い男"だというのは出会ってすぐに知ったけど、まさかここまで"熱く"なるとは……それにしても、この私が居るのに一人で命を張って、しかも散って逝く気だったということは褒めてやれない。ついでに言えば、とても腹立たしい。


  ***


 ようやく同盟軍の兵たちの姿が見えようという距離になり、ビクトールは足を止めた。さすがに荷物扱いのままではと思ったらしい。担いだシュウを下ろ、シュウの腕を取り肩を抱き直した。あっという間に、「引きずって戻って来た図」の完成だ。正直、この機転は凄いと思う。こういうはったりは意外と重要なのだ。緊迫の事態とはいえ、捕らえられた獲物のように担がれた軍師が帰還するのとこの光景では、出迎える側の士気も変わってくるだろうから。


「……アップル、軍師がむやみに感情を表すべきではないな」
 取り乱すアップルちゃんを鎮める一声は、満身創痍の男から発せられたとは思えないほど、よく通った。
「見込み違いだ。お節介が二人もいたのでな……。すでにおれの役目は終わったというのに、つまらぬことを……」
 ほう。この男、私の目の前でそんな妄言を吐くとはいい度胸じゃないか。
 それとも、吸った煙のせいで、実は今も頭が朦朧としているのだろうか。
「そりゃないぜ! 死ぬ気で助けに行ったのによ。なぁ?」
 シュウの暴言を受けて、冗談めかしに声を上げて振り返ったビクトールの声が急激に小さくなる。
「……う、あ、すまん。なぁ、なまえ、おい堪えてくれよぅ」
 にこやかな表情で立っていたつもりだけれど、なぜかビクトールが怯え始めた。そして、これまたなぜか謝られた。わけがわからない。

「アップル、後は任せる。俺は疲れた……少し休ませてもらうぞ」
 奥へと進もうとするふらつく体を、支えるためビクトールが駆け寄る。じゃあねアップルちゃんと声をかけて、私もその少し後に続いた。
 本当なら、居並ぶ兵士たちの目も気にせず、シュウの隣へ駆けていきたいけれど。そして今すぐ徹底的に癒して、怒って、最後に抱きしめたいけれど。
 今ここでそれをするのは、軍師としてのこの男を貶めることになるから、しない。まだ、しない。



(2013)
[ / 一覧 / ] 

top / 分岐 / 拍手