■ 後

 休むと言いつつまだ仕事をすると思ってたが、意外な事に本当に休むつもりのようだった。

「ここからの事も、ある程度まで用意出来ているからな」
「自分が死んでも、大丈夫なように?」

 嫌味を口にしてみれば、苦しそうに眉を下げたシュウと目が合う。何かを言いかけた唇はそれ以上は動かず、けれど静かに動いた腕により私の身体は抱き締められた。
 火事場の臭いがついた上着は脱いだとはいえ、その下の服や髪にも多少は臭いが移っている。抱き締める身体が教えてくる臭いに、先ほどの、勝手に死にそうになっていたシュウの様子が脳裏に蘇り、冷やりとした恐怖も蘇る。

「なまえ……すまない」

 何も言わずにいると、今度もシュウの方から口を開く。
 その声に思わず泣きそうになるのを押しとどめ、心配したんだから、と一言だけ絞りだした私のなんと無力なことだろう。沈黙を避けるようかのように、シュウの口からは「すまない」とまた謝罪の言葉が繰り返された。

「ったく、大体なんで一人でやっちゃうのよ。ビクトールに言って、私に言わないってなんなのよ!」

 いざ口にしてみれば、そのことが悔しくて堪らなかったのだと自覚してしまう。
 せっかくここまで我慢していた涙腺が、あっけなく緩み始めてしまう。隠そうと下を向いたというのに、シュウはそれを許さなかった。優しくも強引な手が頬に触れたかと思うと、くいと顎を持ち上げられ……視線を合わす事を強要するのだ。
 違うのに。「なんで」じゃなくて。今は隠された理由を聞きたいわけじゃなくて、無事を喜びたいだけなのに。
 思いとは裏腹に口を開けば出るのは憎まれ口ばかりの私に対して、シュウもいちいち真摯に反応してくれるおかげでこのままでは反省会になりかねない。喋れば喋るだけ、きっと本心が隠れてしまう。なら……いっそ、何も言わない方がマシだろう。そんなことで、仕方なく私は口を噤むことにした。
 代わりに、滲みが激しくなる一方の瞳でじっと見つめることした。


  ***


 さて。泣いてなじるのはみっともなくて嫌だし、か弱い女アピールも趣味じゃない。けれど、我慢していても出ちゃった涙は今更戻せない。……となれば、開き直って利用するくらいしか私はやり方を知らない。
 つまり、この場合で言えば……それは"誘惑"である。

 さすがに戦場での働きに加え、火の森に飛び込んでまでの軍師の救出劇は結構骨が折れた。そんなわけで私だって消耗しているけれど、でも誤解しないでいただきたい。なにも、こんな状態のシュウを相手にしてまで"お食事"するような外道ではない。ではなぜこうするかと言えば、実際のところシュウの身体を癒すにしても肌を合わせながらの方が効率がいいのだ。普段ならまだしも、こうも疲れた状態でやるならなるべく負担のかからないやり方を選びたいと考えるのは当然のことだろう。

 さあ、シュウ。欲しがって。
 求めてくれたら、私の力を振るってあげる。

「……なまえ……」

 そこから先はもう決まっている。ただでさえ生存本能により昂りやすい男の目はじきに情欲の輝きを宿し始め、私は私の策の成功に歓喜するのだ。



(2013)
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