■ ある魔術師の塔の非日常

 まともな手段では辿り着くことすら困難な、世間から隔絶している塔。
 そこにふらりと降り立った私は、ふんふんと鼻歌を歌いながら古びた扉を押し開けるとそのまま中へと滑り込んだ。

 勝手知ったる風に長い長い螺旋階段を駆け上がっていたところ、リズミカルな歩調の次なる一歩となるべき場所が不意に無くなった。一体何がどうしたなどと疑問に思う間もなく、そのまま私は真っ逆さまに奈落の底へと落ち──なんてことには当然ならなくて、爪先は数秒のズレと共に当初の予定とは全く違う大地に不時着した。
 一瞬前までカツンカツンと音を響かせていたブーツのかかとが、落ち着いた色味の絨毯をむぎゅりと潰す。つまり、消えた階段の代わりに別の広い部屋が現れたのだ。床だけでなくどこを見ても派手過ぎることも無い、正直悔しいほどになかなか趣味の良い部屋の中でこちらを見ているのは、もうすっかり見慣れた年齢不詳の魔女である。

「やほーレックナート、ご機嫌いかが? さっそくのお迎えをありがとう。でも、できればもっと早い段階で、もっと心臓に優しい運び方をしてもらいたかったなぁ」

 過去の"彼女"との一件から、長年どうにも門の一族には嫌な印象しか持っていなかった。
 それがなぜ今ではこんな風になっているのかと言われれば、不思議な縁と言いますか。つまりはここ数年の内に出来た知り合いたちのおかげで、まあ……なんとかこうして、気安く話せる程度にはレックナートとの親交だけは深まっていた。実際のところ、身内としてと同行者としてという立場の違いこそあれど、なんだかんだで"彼女"に苦労させられた身という背景も理由としては結構大きいと思う。

「貴女も息災のようで何よりです。……ああ、本当に残念。貴女が来るまでは、私もとても気分がよかったのだけれど。ノックもせずに入り込むなんてどんな盗人かと思えば、やっぱり貴女だったから本当に頭が痛いわ」
「わあい、レックナートってば相変わらず性格悪くて超素敵!」
「まったく。いい加減に、ここを駆け込み寺にするのは止めて頂戴な。うちの子たちに悪い影響が出たらどうしてくれるのです」
「うわ酷い、無視したよこの人。って言うか、悪影響って何よ。こんな素敵なおねーさまと触れ合えるんだからむしろルックもセラも大喜びじゃない!」

 それに、どう好意的に考えたって、このレックナートに育てられているという時点ですでに充分……。
 なんていうか、放っておいても、近い将来あの子たちの性格が破綻するだろうことは目に見えている。

「お黙りなさい、この色魔。先に言っておきますが、今度うちのルックに『おいしそう』なんて言ったら問答無用で放り出しますからね」
「あーはいはい、あれは確かに軽率でしたー。でも別に実際に手を出すわけじゃ無いし、感想を言うくらいはいいじゃないのと思うけれどねぇ」
「……貴女が『つまみ食い』をするような女だったら、もうとっくに縁を切っています。ただでさえ、男の趣味が悪すぎてどうしようと思っているのに」

 見る間に、レックナートの眉間に皺がぐぐぐと増す。誰のことを言っているのか、聞かなくてもわかる。
 勿論、流れる金髪と悪魔の瞳という素晴らしく美しい外見と、それをすっぱりと裏切る壊滅的に残念な頭の中身を持った黒騎士のことだ。この美人ときたら、あの魔物のことをまるで主婦が台所で"あの黒いテラテラした虫"を見つけた時のような目で捉えるのだ。虫と違ってあいつは意外と可愛いのに。
 一応私の連れ合いに対しての侮辱ではあるのだけれど、相手が相手なうえに毎度のことなので腹も立たない。奴の話題が出る度に繰り返されるお馴染みの光景を前に、美人は眉を顰めても美人だなぁ、とこれまた何度目かもわからない感想を抱きっつ見守れるくらいには達観している。
 やがて、嫌いな男のことを考え続ける無駄に気が付いたのか、それとも単に飽きたのか、レックナートはふぅと溜息をついて話題を変えた。
「ああそうだ。早く言いに行かないと夕飯が出来てしまうわね。どうせ食事も取るのでしょう、台所まで運んであげましょう」
 ああそうねありがとう、と開けた口から言葉を出す前にまたぐいっと床が捻じれて視界が歪んだ。こら、だからもっと優しくしてってさっきも言ったでしょうが!と恨み言を口にした時には、私の身体はもう台所に移動していた。

  ***

「やほうルック。遊びに来たよー」
「……」
「ねえルック、ルックってば。無視しないでよ」
「……」
「今晩の献立はなーに? あ、鶏肉? 鶏肉だね? やったぁ、私鶏肉大好きなんだよね!」
「……」

 台所に着いた瞬間確かに目が合ったと言うのに、少年の態度はそっけないにも程がある。というより、単純に無視されていた。しかしアレだ。美少年に冷たくあしらわれるというのも、なかなか美味しい。これはこれで楽しめるぞ。凄いぞ私。

「いいもん。せっかく遠路はるばるやって来た戦友に対してルックがそんな態度を取ってちっとも相手してくれない気ならそれでもいいもん。私はセラちゃんと、ラブラブいちゃいちゃ、いやーんなことして来るもん」

 ぷいと頬を膨らませて顎をしゃくってみたら、その顎ギリギリのところをフォークが横切った。木の扉にヒュンと刺さった銀細工を見て、私の顔からはさあっと血の気が引いていく。うわこいつ、風の魔法を使ったな……。
「ああごめん。黒くてぬらぬら光る、あの穢らわしい羽虫の気配がしたんだ。おかしいよね、この塔にあんなものが居る筈が無いのに……ああ、そういえばなまえの連れもそんな奴だったっけ。じゃあ君に纏わりついているあいつの気配だったのかな。まったく、君は悪食にも程があるよ。いや、まあ君の趣味が悪いのは勝手にしてくれたらいいんだけど、くれぐれもセラには変な影響を与えないでくれよ」
 というようなことを一切こちらを見ずに言い切るのだから、噴き出してしまう。
「……何、突然。気持ち悪いよ」
「いやぁ、だって。ルックってばレックナートと言う事が一緒なんだもん」
 あははと湧き上がるままに笑い転げていると、ルックの眉間にはよりいっそうの皺が刻まれる。美人だけでなく、美少年が眉を顰めるのもやっぱりいいものだなぁ。また一つこの師弟に共通点を見つけてさらに笑う私を、ルックはいつの間にか……それこそ虫を見るような目で見ていた。
「で、何。此処に来たってことは、またアイツと喧嘩でもしたわけ?」
「いやー。ほら、ユーバーって本当に肝心なところがアレじゃない? いい加減に、デリカシーの無さに嫌気がさしてねぇ……って言うか、相変わらず頭使う代わりにすぐ剣に訴えるのにウンザリって言うかねぇ」
 人参を磨り下ろし、一見そうとわからぬようにして料理に混ぜ込むというママの知恵に尽力を注ぐルックを見ながら答える。ちなみに、私の仕事は山盛りのジャガイモの皮を剥くことだ。最近のレックナートはジャガイモがお好きらしい。セラの好みかもしれないけど。
「……本当に、今更だね」

「そりゃあ、百年で変わらなかったんだからある程度は諦めてるけどさ。でも、野党の襲撃に備えての雇われ用心棒の筈が、なんで奥様に押し倒されているのよアンタ……ってなるのは明らかにおかしいでしょう? しかもそれが運悪く襲撃のタイミングと重なって、追って来た野党と逃げてきた依頼人である夫がその場に鉢合わせよ。で、その挙句に、混乱してわーわー喚いた奥様を煩いって切り殺すんだから、堪らないわよ。たとえそのまま、もう色々諦めて依頼人と野党の口を塞いでみたところで仕事は失敗。それはもう、これ以上無い程に惨敗! なのにあいつ、自分の失敗を頑なに認めないばかりか一人で興奮して死体の横でのしかかって来るのよ!」

「……ああそう。別にアイツが馬鹿なのも、そんなアイツと一緒に居られるなまえの程度が低いってのも今更だからいいけどさ。でも、今みたいな汚れた内容をセラに聞かせたら、今度こそフォークじゃ済まさないからね」
「うわー酷い。ルックってばいつからそんな可愛くない子になっちゃったのよー」
 ぷうと頬を膨らませて冗談めかして言えば、今度こそぶわっと風を纏った本気の視線で睨まれた。

「煩いなぁ。僕はね、セラには真っ当に育ってほしいんだよ。物静かに見せかけてそれっぽい雰囲気を作って喋れば、それだけで全部上手く動かせると思っているような……それでいて、身内には好き勝手我儘放題……なんて性格じゃない、人を顎で使ったりしない優しい子に育ってほしいんだよ。勿論、誰かさんみたいにダメ男に引っかかってはずるずると関係を続けて、そんなダメ男にうんざりして頻繁に家出してはその度に他所様の家に上がり込んで好き勝手して、結局男のところへ帰るような。そんな無駄に歳だけ食った残念な年増のようになるのは論外だ。セラにはただ、時間になったら食事が食べられることも、自分が拭かない窓がいつも綺麗なことも、天井に張った蜘蛛の巣がいつの間にか失くなっていることも、毎日洗いたての服を着られることも、当たり前だと思わない……そんな、快適な生活の裏にある誰かの苦労と頑張りを思いやれる優しい子に育ってほしいんだ!」

 ああごめんよルック。途中聞こえた言葉に一瞬ムッとしたけれど、続きを聞く内にどうでもよくなったよ。というか君は、何を手の平を握りしめて、真っ昼間からそんな悲しいことを言っているんだね……。
「あー……うん。あの、あんまり溜め込むと身体にも心にも毒だからさ、適度に発散しなね? たまには私のとこにも遊びにおいでよ。うん、それがいいって。レックナートには私からも言っとくからさ」
 反応は、ない。
「……ルック?」
「煩いな。……ああもう、話しながらだから、手元が狂った。あーあ、おかげで玉ねぎが潰れたじゃないか。くそ、汁が飛んできた」
 これ見よがしに掴んだ玉ねぎを、一切ぶれないプロの技でみじん切り始めたルックの声は、涙声だった。いやそれはタイミングがおかしいだろう、切る前からじゃないか、等々の無粋なことを言う私ではない。かわりに、玉ねぎって痛いよねー鼻と目に直撃すると問答無用の凶器だよねーと能天気な相槌を打って、そっと目を逸らしてやる。


 一見真逆なようで、なんだかんだと傍若無人で支配的なところはよく似ている。
 圧倒的にそりゃあ明らかにぶっ飛んで姉の方がたちが悪かったのだけれど、溜め込んで来たものがある分、妹の方が陰湿かもしれない。やっぱり、姉妹だな……。かつての魔女と今の魔女を思って溜息を吐いた私は、苦労性の少年に心の中でこっそりひっそりとエールを送った。



(2014.07.27)
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