■ 彼女は一体誰のもの

「お前は、『俺のもの』か」

顔を合わせるなり、よくわからない質問をぶつけて来た男の顔は無表情だった。
まじまじと覗き込んだところで、赤と銀の輝きの向こうにある思考は全く読めない。

「突然どうしたのよ。っていうか、おかえり」
「答えろ。お前は『俺のもの』か」
「そんなわけないじゃない。私はいつでも『私のもの』よ」

その答えは彼を満足させるものではなかったらしい。憮然とした表情のまま問答が続けられる。

「だが、俺はお前を抱いただろうが」
「……じゃあ、私を抱いたあなたは『私のもの』になるの? 私に所有されちゃうの?」
「……ならないな」
「でしょう。身体を繋げることで相手の全てを御する関係になることが出来る、なんていうのは勘違いもいいところよ」

 口に出した後で、言い過ぎたかとひやりとする。
 慌ててユーバーの顔を窺うも、気分を害してしまった様子は見えず小心者の私はひとまずほっと息を吐く。始末に負えないと知っているくせに、機嫌を取らないとまずいと知っているくせに、私はよくこうやって失敗してしまう。
「いきなりそんなことを言うなんて、誰に何を言われたの?」
 努めて優しく聞こえるように尋ねながら身振りで椅子を勧めると、ユーバーは慣れた手つきで鎧を脱ぎ腰を落とした。
 長い足を伸ばしてくつろぎ始めた男はしばらくそうしていたが、やがて私の問いに答えるつもりになったらしい。
「女に言われたのだ。それで、どうしたら『俺のもの』になったことになるのだと聞けば寝台へと誘われてな。どうやら犯せば『俺のもの』らしい。それならお前も『俺のもの』なのだろうかと」
「……ユーバー、それはいつのこと?」
「二日前だが……なまえ、そんな顔をしてどうした?」
「ねえユーバー、もう一度、最初から、その女性の地位とか名前とか会った場所とか、詳しく教えてくれないかしら」
 にっこり笑った筈の顔が、引きつったものになっていたのは……仕方がないことだろう。


  ***


「――じゃあ、そのままベッドで私にしたようなことはしていないわけね」
「勝手にベタベタ触ってきて気色が悪かったからな。それで気色悪いからどけと言ったら、今度はキイキイ叫び始めたから、切った」
「ああ、そう。まあ、それじゃあいいけど。いや、でも……城内での殺戮は止めといた方がいいんじゃないの、幾ら変態だと認識されてるにしても奇行すぎるし」
「お前、さっきから何を苛立っているんだ」
「理由はわからなくても、苛立っていることは気付いてくれるのね」
 まあ、こんなにあからさまな態度を取っていれば、いくらこの人外といえども気が付かない方がどうかしているけれど。
「そりゃあ腹も立つわよ。いい? なんてったって今の私は貴方だけなのよ。どっかの女がほんの気紛れで手を伸ばした先が、よりによって私のごはんだなんて……いい気持ちになるわけがないじゃない」
「だが、俺は『お前のもの』では無いのだろう」
「そりゃあそうよ。でも、私の大事な『ごはん』で、私の大事なヒトよ。ユーバーの意志がどうであるかは別として、少なくとも私は、貴方が他の女を抱くのは嫌だわ。私のごはんとして、常に美味しい状態で居てもらいたいし」

 ユーバーが、よくわからない、という顔をする。
 煩いよ。滅茶苦茶を言っているのは、自覚しているんだから。

「ああ、そうだ。じゃあ、ユーバーはどう? 例えば私がお腹が空いたからって、貴方が居ない間に他の男の精を吸っていたら。それどころか、お腹も空いていないけれど暇だからって抱かれていたら……」
「決まっている。男を叩き切る。そして気が済むまでお前のことも痛めつける」

 迷いのない真っ直ぐな視線のまま、即答されたその物騒極まりない言葉のなんと甘美なことだろう。話題としては物騒極まりないのに、いや、そうと知っているからこそ尚更に、不謹慎な喜びが身体を駆け巡る。

「ユーバー、さっきの言葉だけれどね、使い方を訂正するわ」

 俺のものという発言は、相手に対してするのではなく、他の第三者に言う時に使うのよ。そう教えてやると、ほう、と素直な返事が聞こえた。こういうところが可愛い……なんて思うのは、私が腑抜けている証拠だ。

「だから、『お前は俺のものだ』と私に向かって言うのではなくて、他の誰かに『なまえは俺のものだ』と言えば、それで大分伝わるものがあるのよ」
「それはお前の場合もか」
「そうね。私なら『私のごはんに手を出さないで』ってところかしら」
「それは…………いや、まあいいだろう。お前は、確かに『俺だけ』なのだな」

 立ち上がったユーバーが、ふらりと近づいてくる。
 しなやかで意外と細くて白く、けれど確かに私よりは大きい男の手が、驚くほど優しく頬を撫でる。

「そうよ。少なくとも、ユーバーが他の女に行かない限りは」
 だから、例の女を抱いていたら……私も腹いせがてら他でつまみ食いでもするかもしれないし。そう続ければすぐさま鋭い視線が向けられる。こんな射殺すような熱っぽい視線を他の誰かに向けたりなんてしたら、それこそ許さないんだから。
「あら怖い、冗談よ。ああ、でもそうだ。もし他の女を抱きたくなったら私も誘って頂戴。それならむしろ、ちょっと楽しそうだし」
 貴方ごとその女も私の"お食事"にしちゃうから。そう笑えば、呆れた女だと溜息が返された。

 それ以上は私も何も言わず、言葉を重ねる代わりに頬から首筋へと滑りかけた指を取り、口付けた。
 一回二回三回……男の指に軽く唇で触れた後、今度は軽く歯を立てる甘噛みを繰り返し、最後に指を口に含んだまま唇と舌先で愛撫を与える。大きい手の、細くて長い指は筋張っていて、この男の顔と同じくらいに完璧な形をしている。不思議なもので……というか私が単純すぎるのか、愛撫を加えている側の筈である唇は見る間に快感に痺れ始め、身体の熱が上がっていくのを自覚する。
 ああ、この身体はすっかりその気だ。
 期待に濡れた眼差しで男を見上げる。反応がないことすら予想のうちなので、そのまま小首をかしげて首筋を露わにすれば──すぐに望み通りに男の歯が立てられた。甘噛みの後、柔らかくいやらしい舌で首を撫で上げられ、びくりと身体中を快感が走り、そんな風にしているうちにもう下腹部はじんと熱くなっている。甘い声と荒い息が、次々と喉から溢れ出す。

「たっぷり食わせてやる。だから、俺だけにしていろ」

 合間に聞こえたその声が、あまりに甘すぎて──思わず、幻聴かと疑ってしまった。



(2014.03.15)
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