■ 菅平にて君を想う

 時は夏、菅平。生徒の引率ついでに覗いた土産物店でのことだった。
 国民的スナック菓子の限定パッケージを手に取ったものの、量と金額を一瞥し「自分用だしなあスーパーでいいなあ」と棚に戻した吉田諭志は視界の隅にきらりと涼しげな輝きを認めた。
 木製のスプーンや小皿が並ぶ机の向かい、入浴剤やドライフラワーの横の特設コーナーにあったのは、ガラス製のアクセサリーたちだった。
 地元の作家の手によるものだというそれらは、窓から差し込む日差しを受けて柔らかな色を伸ばしている。見るからに軽やかで涼しげで、それでいて紛れもなく冷たいガラスだというのにどこか暖かみを帯びて見えるから不思議だ。ブローチ、ピアス、そしてネックレス。

 ──似合うだろうな。

 思った時にはもう手が動いていた。
 触れてしまえば確かに冷たくて、けれど冷たすぎることは決してなくて。ほどなく体温が移ってしまうのだけれど、それすらも肌に馴染むようで心地いい。持ち上げて覗き込むとますます色味の美しさが迫ってくる。
 先ほどの印象は、確信となって胸をざわめかせはじめた。きっと、苗字のすうっと伸びた首によく似合うだろう。

 思えば、籠さんたちと飲んだ夜がきっかけだったのだろうか。楽しい夜だった。嬉しい夜だった。「いつか」「じきに」「そのうち」「今度」そんな社交辞令の言葉に、いつの間にかすっかり慣れてしまっていた自分に気がついた夜だった。
 二日酔いも抜けて、子どもたちの練習試合も終わって。慌ただしい一日のおわりに風呂に入って、ぼーっとできる時間を噛み締めるように過ごす最中にふと彼女のことを思い出した。
 高校時代はまともに話したこともなかった苗字と今ああやって飲む間柄になっていることを、ただ漠然と享受し、繰り返される夜を嬉しく思い、日々の楽しみにしてきたのだが、振り返ればいつだってその夜は彼女から始まっていなかったか。
 いつにしようか。何処にしようか。スケジュールに追われる身なのはあちらとはいえ、段取り上手な彼女に任せ過ぎではなかったか。苗字からの連絡がなければ、とっくに"いつもの"社交辞令で終わっていたのではないか。
 楽しかったと笑って手を振る苗字に、甘え過ぎてはいなかったか。

 当たり前が決して当たり前に与えられるものではなかったのだと気づくと同時に感じた焦りの正体は、きっと──

「せんせ? 何見てるの──ってわあ、かっわいー!」

 すっかり聞き慣れたマネージャーの声に現実へと戻される。ぴょこんと跳ねるように寄ってきた少女は陳列物を見て歓声をあげ、ついでのようにこちらの手元と顔を見比べ始めた。ガラス顔負けに輝く瞳がうるさくて居心地が悪くなる。
 さてどうしたものか。これは棚に戻すか、レジに行くか。
 けれどその選択に答えを出すより早く、足を動かすより早く。

「ねーねー、それって彼女さんへのおみやげ?」

 無邪気な問いかけが突き刺さった。

「……へ?」

 慌てて振り向けば、わくわくキラキラという表現がぴったりな瞳がこちらを見ている。
 どう答えたら正解だったのだろう。とっさに「いや、違うけど」と馬鹿正直に答えてしまえば、一転して少女の眉間にはシワが刻まれた。じゃあ妹さんとか?と更に尋ねる少女には申し訳ないが、これ以上の答えは用意できない。もう一度首を振った時には、少女の瞳からはわくわくもキラキラもすっかり消えていた。

「なーんだ。まあ吉田せんせーだもんねー」

 首をすくめて苦笑された。けれど、どういう意味だと言いかけた時にはもう少女はこちらを見てはいなかった。窓の向こうを知り合いが通ったらしい。めまぐるしく変わる表情は次の相手に向けて助走をつけていた。

 少女が揺らしていったドアの飾りベルを眺めながら、張り詰めた息をほどく。ああそうか。顔を覆ったのは、誰かの目を気にしての行動ではなく、そうしないと身が保たなかったからだ。
 誰への言い訳も必要ないし、そもそも聞いてくれる相手もいない。だって苗字のことを知る人間などこの場にはいないし、少女だって具体的なことにまで触れはしなかった。けれどそれでも、なんだかとてもばつが悪い。浮かれていた自分が情けなくてやりきれない。

「確かに、こういうのを渡すってことは……まあ、そういう相手だよなぁ」

 今となっては、意気揚々と会計に向かわなくてよかったと胸を撫で下ろすばかりである。手から離れた輝きをこれ以上見つめなくていいように、名残惜しさを振り切るように別の棚へと視線を移す。ああ、どうか。もっと手軽で、不自然でもなくて、貰って困らないようなものは。



(2017.02.03)
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