■ 偶然でなきゃいけない話

「ってことでお願い。頼むよレオくん」
 どうかどうか、この通り! 合わせた両手を高く掲げて瞼をきつく瞑った私の耳に、心底呆れたようなレオくんの「あーあ」という声が入ってくる。
「いやまあ、正直なまえさんの頼みならしゃーないですから頷きますけど。でも、いい大人がそういうことを他人頼みにするのはどうかなーと思わないことも……」
「ありがとうレオくん! じゃあ任せたから!」

 聞きたい返事だけを聞いて飛び出した扉の向こう側で、レオくんが「まったくあの人は本当にもう……」と呆れ顔で居るだろうことは想像に難くない。けれど、レオくんの言うところの「いい大人」である私としては、今はただただ一週間後の夜に想いを馳せるので精一杯なのだよ。ごめんね。



  ***



 そして……レオくんにどうにかこうにか幹事役をお願いしたあの日から、指折り数えて七日目の夜。
 定時を迎えるなり全力でロッカールームへ駆け込んだ数時間前がすっかり過去に思えるような、そんな夜の街に舞台は移る。

 そんなわけで、冴えもせず沈みもせずな人畜無害な昼の顔とは別人のような、誰もが振り返るような華やかさを纏って私はその店に向かっていた。いや、まあ、本当に誰もが振り返えったのかと突っ込むのは勘弁してほしい。せっかくお洒落したんだから、私くらいはこうやって自分自身を褒めてあげてもいいじゃないかってことだ。
 だというのに。
 サロン特製トリートメントでピカピカになった髪を靡かせて「お待たせ」と微笑みを浮かべて駆け寄った筈の私は、その勢いのままレオくんの首を引っ捕まえてぐるりと半回転する羽目になっていた。しかも、引き攣った顔で。
「いてて。いきなりなんですか……って、気合入りまくりじゃないですか。そんなにマジなんですか」
「マジだから、こうしてきみに頭下げてセッティングしてもらったんでしょうが。いや、今はそういう話じゃなくって、なんなのよアレ! なんでアイツまで居るのよ!」
「あー……一応誘ったつもりはなかったんですけど、ほら、あの人鼻が効きますから」
 タダ飯タダ酒、ついでに出歯亀必須な案件を嗅ぎ付けるのはお手の物ですわ。
 至って当然のことを告げるように囁かれた内容は、どう聞いても悪い予感しか連れてこない。ちょっとレオくん、もしかしてザップの奴って今回の飲み会の趣旨まで理解しちゃってるんじゃ……。
「はぁ。そりゃ、なまえさんがツェッドさんに会いたいがために無理やり僕を巻き込んでいることも、さも僕が見つけて予約したような顔をしているこのお店が、実際はなまえさんがリサーチにリサーチを重ねて厳選したとっておきのお店だってことも、モロバレっすわ」
「はぁ!?」
 聞けば聞く程に最悪でしかない内容に慌てて振り返れば、レオくんの言葉がこれ以上なく真実だと思い知らされる。
 わざとらしく、にやけた口元を隠し切らないように手を当てるザップ。ぷぷぷと吹き出す息まで聞こえそうな顔は、私と目が合うと更にその笑みを深めた。
 今すぐ距離を詰めて、飛び蹴り……はさすがに品がないのでせめて思いっきり殴り倒そう、と思った私がそれを実行しなかったのは、別にレオくんの制止があったからじゃない。腹立たしいことこの上ない男の、そのいくらか後方に見えた人影が一瞬にして私の思考を独占したからだ。

「お待たせしました。おや、貴女は確か……」
「お、お久しぶりです! あの、新年会の時に少し……じゃなくて、あの、ごめんなさい私、なまえ・苗字と申しまして……」
 ああ、なんという無様な有様だろう。
 イメージは完璧だった筈なのに、いざその場になると決めていた言葉の半分もまともに出てこない自分が嫌になる。それでも止まるわけにはいかなくて、なんとか挽回しようとすればする程、益々深みに嵌りそう。
 ……そんなドツボをギリギリで防いでくれたのは、さすがのチェイン様だった。
 ペシッと音だけは小気味よく、けれど痛みは全く感じない。そんな絶妙な加減で叩かれた額を反射的に押されれば、あーもうと額が寄せられた。
「なまえ、アンタはちょっと落ち着きなさいっての」
 有無を言わせない瞳に言葉を奪われこくこくと頷く私。それに満足そうに笑った彼女は、あのねとツェッドくんへと向き直る。

「これが、話した"もうひとり"よ。今は長期任務に当たってるから、暫くは顔を合わせる機会も少ないと思うけど……でまあ、たまにこうしてご飯食べたりしてるわけ。でもその様子じゃ、面識はあったみたいね」

 チェインの言葉にツェッドくんはええと頷き、私は内心うううと呻き声を上げた。出来るなら、覚えられていない方がよかった。いや、新年会の序盤での、当たり障りのない自己紹介だけを覚えて貰えていたのなら、それに勝る都合良さはないと言うべきか。
 けれども、こちらを見つめて頷くツェッドくんの声に、隠しきれない歯切れの悪さを感じ取ってしまった私は、思い知らされずにはいられないのだ。ああ、ツェッドくんてばやっぱりあの時のこと……ちゃんと覚えていたんだ……。
 けれど、なんてことない顔合わせの後に仕出かしてしまった大失態をツェッドくんが覚えているというのは、「やっぱり」とも言えることで。
 本人登場で舞い上がってしまった挙句、見事に空回りしたせいで大幅なロスがあったとはいえ、最初から覚悟していた状況だ。というわけで、頭を抱える気分ではあるものの、それでも実のところはそこまで予想外で深刻なダメージでもなかったりする。
 むしろ、酒の席での非礼を詫びて、その上でなんとか良好な関係へ持っていきたい、というのが今回のご飯会の主目的だったりするのだから予定通りと言ってもいいだろう。……なんて思ったところでやっぱり簡単には割り切れないし、ツェッドくんの記憶力に泣きたくなることは変わらないのだけれど。
「おいおま……」
「ほら、予約の時間そろそろでしょ。さっさと行くわよ」
 にやにや笑って囃し立てかけたザップの顔にいささかフライングの勢いで踵を減り込ませたチェインは、倒れた彼に目もくれずに数メートル先の看板を指した。私とツェッドくんは一瞬だけ顔を見合わせると、チェインの後を追うレオくんに倣って同じタイミングで踏み出す。

「あの、先日は本当に失礼しました。今日は、よろしくお願いします」
「いえ、もう気にしていませんから。……僕の方こそ、お邪魔してしまってもいいのですか?」

 せっかく楽しい時間でしょうにと気を使った口調で返されてしまい、私はまたも慌てて首を振る。
 お邪魔だなんてとんでもない。それは数メートル後ろで未だアスファルト相手に熱い口付けを交わしている、あの救いようがない程に残念で、あらゆる意味で全方面に対してだらしのない、人の淡い恋心すら強請りのネタにしようとする男にこそ相応しい言葉であって、あなたが邪魔だなんてあるわけないじゃないですか。
 私があなたに会いたかったんです。あなたと親しくなりたくて、あなたをもっと知りたくて、こうして機会を設けて貰ったんです。
 けれどまさかそんなことを馬鹿正直に、相手の都合もお構いなしに言える程には幼くも短慮でもない私は、うまく動かない頭と口をなんとか操って、気まずい沈黙一歩手前でようやくそれに代わる言葉を口にする。


「いや、だってほら、ツェッドさんも"同僚(なかま)"ですから!」


 けれど、ああ……口に出してしまえば、その言葉のなんと上滑りするものであることか。
 にもかかわらず「ありがとうございます」と笑ってくれたツェッドくんは本当に素敵で、私はまた呼吸が難しくなった。



(2015.04.16)(タイトル:afaik)
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