■ 一緒に世界を救ってよ

 例えば、この人しかいないと直感すること。
 それを「運命」という使い古されたチープで他力本願な言葉で表現するのは、単純な話、好みじゃない。
 けれど。好む好まないに関わらず、「運命感じた」と言えばそれだけで瞬時に的確に伝わるニュアンスやイメージがあるというのもわかっている。だからこれは……つまり、要はそういうことだった。思えば私は彼と初めて会った瞬間に「運命感じた」に違いなかったし、後付けとして言えば、だからこそあんなにも目を奪われたのだし、もっとも私に相応しい言葉で表せば……正に「胃袋を掴まれた」のだ。


 今年の新年会は、なんていったってあの天空楼閣バー"虚居"での開催だということで、私はそりゃもう張り切っていた。
 ここしばらく身を置いている潜入調査のせいで、休みの日まで上司のホームパーティだとか勉強会だとかに追われる生活。今なら言える。ただの事務員だなんて、甘い言葉に騙された。今の私はどこからどう見てもすっかりハードワークが板についた、哀れな会社員そのいちだ。
 うっかりすると「あれ私ってまだライブラに所属しているよね? 除名されてないよね?」とか思う程には、二重生活が単なる一重生活になりつつある。というのはさすがに冗談だけど……でも正直、笑えない類の冗談だ。
 だって、昼下がりのテレビでは今日も今日とて世界の危機が排除された報告がされているというのに、同僚たちと呑気に「怖いねー」なんて笑いながらサラダをつついている私に秘密結社の一員という自覚があるだなんて、きっと誰に言っても信じてもらえない。

 と、いうわけで。
 定例報告か、はたまた猫の手でも借りたいレベルのよっぽどの緊急招集くらいでしか本部に行くこともない私が、馴染みのメンバー揃い踏み必至なこの新年会をどれだけ楽しみにしていたかということは、今更言うまでもないことだろう。
 そもそも、この手の仕事は定番のお役目とはいえ、それでも毎度毎度気が張って仕方がないのだ。騙す私に、騙される周囲。作り上げた人格に、偽りの生活。オンもオフも全ては嘘でしかないとなれば、いい加減に気が休まる時もない。
 だからこうして馴染みのメンツに囲まれてライブラのなまえとしての顔を取り戻すにあたって、感じる開放感はどれ程のものか。その第一段階として、並ぶ料理を目の前に私の喉がごくりと鳴った。



「やあ、なまえ。久しぶりだね……おっと、挨拶はそれを飲み込んでからでいいから、まずは落ち着いてゆっくりお食べ」
 振り向いた私を見るなり、スティーブンさんはむずむずと口元を震わせながら言った。ああやばい。うんと子供に向けてかけるような言葉を、まさかこの歳で言われるとは。
 さすがに羞恥心を引き摺り出され、慌てて頬袋の食べ物をジョッキの酒で流し込む。後先考えなくていい程気楽に飲み食い出来るのって、本当に久しぶりで……と取り繕うようにはにかめば、「まったく君は」と溜息が返された。
「君の胃袋が異界(ビヨンド)並みなのは今更だが……。やれやれ、そんなにGL社の事務員は食に困っているのかね?」
「ていうかみんな変に目敏いし他人に興味津々で鬱陶しいんですよねー。ダイエットダイエット煩いかと思ったら、肉よりスイーツだよねって振ってきたり、食べるのか食べないのかわけわかんないって言うか。飲み会でもあんまり頼まないし、ちょっとリミッター緩めて食べるとそれだけで悪目立ちするんで気が休まらないんですわ」
 けれど幾ら気が進まなかろうが、人類(ヒューマー)女性が圧倒的な比率を誇る部署に潜っている以上、最低限装わなければいけない外面と確保しなくてはいけないポジションと言うものがある。職務に忠実な私はもっと褒められてもいいと思うし、本来の職場での宴会でくらい好き勝手に食べてもいいと思うのだ。
 ただでさえ、最近暴れ足りなくてストレスたまってんだから、胃袋くらいは労ってあげたいのですよ。言いながらも、私の目は次の獲物を捕らえている。
 けれども、大皿に盛られた"丸焼き"の筈なのに原型が想像付かないという摩訶不思議な"何かの丸焼き"に向けて伸ばしかけた手は、スティーブンさんによってあっけなく阻まれた。
「……あぁ」
「なまえ、飲み食いは後で好きなだけしたらいいから、先にこっちへ来てくれるかな。紹介したい子が居るんだ」
 有無を言わせぬ口調にじんわりとしたプレッシャーを感じて、私は慌ててピシリと背筋を伸ばす。
 やばいやばい。この人を怒らせて良い事なんて何もないってことは、もう充分身に沁みているってのに調子に乗り過ぎるところだった。



  ***



「……というわけで、ツェッド・オブライエンくんだ。彼の居住空間は本部とも繋がっているから、比較的接触の機会もあるだろう」

 スティーブンさんのありがたいお言葉は、半分以上が耳を素通りしていた。
 ついでに言えば、おいちょっとなまえ見過ぎだぞ、という注意も全く入っては来なかった。
 それくらいに、私はただただそのツェッドという水色の肌をした青年に目を奪われていた。その顔付きに遠目からの第一印象としては甲殻類か甲虫類を連想したけれど、近付いてみればその印象は見事に一変する。

 ぷるんとみずみずしい印象を受けずにはいられない肌は、きっとお皿に乗せて動かせばゼラチン菓子のようにぷるぷる震えるに違いない。まるで……そう、アレだ。いつぞや友人たちと行ったジャパニーズキッチンの、最後の"まっちゃ"と一緒に食べた"くず餅"のように、ぷるぷると。いや、待てよ。しかし"くず餅"と言い切ってしまうには全体的に筋肉質過ぎやしないか?
 肌としてみればぷるんとしているけれど、全体としたらもっと硬質なものが似合うだろう。ああ、なんだっけ。これもやっぱりジャパニーズスイーツの……ああ、そうだ"飴細工"っぽい。キャンディーでドラゴンを作る職人芸を見たことがあるけれど、つやつや滑らかで固そうで、うん、あんな感じだ。けれど納得しかけてふと気が付く。飴細工で決定するのは早計かもしれない。アガーを使った「こはく」というキャンディーを忘れてはいないか、私よ。
 どれが一番ぴったりかという判断には迷うものの、とりあえず「ジャパニーズスイーツと相性が良さそうだ」という結論でこの場は折り合いをつけることにする。

 そんな風に脳内会議が進行してしまう程に、しなやかな筋肉の存在を見せつけるにも程があるだろうと言う程に引き締まった身体を惜し気もなく晒す服装といい、それにもかかわらずぷるんと柔らかそうな皮膚といい、試しているの!? と疑いたくなるようなぴょんぴょんと猫じゃらしのように振れる触角といい、なんて言うかもう、このツェッドという青年は私の注意を引いてやまなかった。

「……美味しそうですね」
「え !?」

 こみ上げてきた唾液をごくりと飲み込んで惚けた頭に浮かんだ印象のままに口を動かせば、ツェッドさんはびくりと震えた。けれど私は──ふるりと揺れた触角が残す軌跡に見惚れてる私は──自分の発した言葉を思い返す余裕もない。
 代わりに「このバカ」と言いたげに顔を引きつらせたのが、スティーブンさんだ。
「あー……代わりに謝るよ、すまない。彼女はなんと言うか、こう、悪気はないんだが酷く独特な発想をするところがあって。本当に、悪気はないんだが……」
 はぁぁぁと重い溜息で現実に呼び戻されれば、パチリと瞬く私の前で長身の男性二人は顔を見合わせて、さらにタイミングばっちりなままこちらを向く。
「よろしくお願いします、なまえさん」
「おお、紳士だな。いくら女性とはいえ、このモードの彼女を相手にその冷静さで返せるとは大したもんだ」
 君も見習えよ、とまたも子供に言い聞かせるように話すスティーブンさんの声は、やはり私の耳を右から左へとまっすぐ抜けていく。
 代わりにツェッドさんの、知性の深さを感じさせる静かながらもどこか甘さの滲む声がたった今確かに呼んだ自分の名前ばかりが脳裏に反響する。心臓が煩いくらいに激しく鼓動を打ち鳴らす。あれ、おかしい。美味しそうって思った筈なのに、なんで私こんなにドキドキしているんだろう。
 っていうか、この人ってどう見たって人類(ヒューマー)じゃないのに、なんで私こんなに……。


「それじゃあ、この辺で。まだ彼を紹介したい相手がいるからな。っと、ああそうだ。確かに最近の君はよくやっている。思いっきり食べたいのなら、今度暇を見つけてうちに来ればいい。うちの家政婦は料理が得意でね……君が来るのなら、彼女も腕の振るい甲斐があるだろう」
「わあ素敵!……って、あ、あの、じゃあぜひぜひチェインと一緒にお邪魔したいと思います!」
 うん?と不思議そうに小首を傾げるスティーブンさんに、けれども「私一人で行ったらチェインに恨まれますよぉ」なんて言えるわけもないので曖昧に笑って流す。しかし、こんな風に職場内を行き交う微妙な矢印を懸命に回避することが出来る、ということにも現われている私の思慮深さは、次の言葉にあっけなく吹き飛ばされ跡形もなく消え失せた。
「では、失礼します」
 ええ、よろしくね。なんて出来た先輩のように微笑みで見送ることは出来無かった。
 ぺこりと頭を下げて後ろを向いてしまったツェッドさんは、礼儀正しく傾けられた身体の筋肉が収縮する様に「なんて綺麗。艶やかで、ますます飴細工だ」と私が目を奪われたほんの数秒の間に、スティーブンさんに連れられてあっという間に人の波の向こうに消えてしまった。



  ***



「……ツェッドさん、かぁ……」
 ……ああやばい。やっぱりやばい。去り際までもストイックで、ワビサビが輝くジャパニーズスイーツの化身のような青年じゃないか。
 その名を口にするだけで、きゅんと胸の下の方が軋む気がする。まったく柄にもないことに、どうしようもなく乙女な反応だ。胃を抑えながら呟く私は、けれども次第に忘れきっていた"常識"を取り戻してしまう。つまり、"極々平凡な事務員"としての仮の姿が当たり前に持つ感性だ。
 ライブラとして生きる時間の私としては何気ない発言だけれど、有象無象として作り上げたあのモードの感性で客観的に振り返ったら……今のあれは当然、ぐるりと違った見え方になる。
 瞬間、うわあ、やっちまった!そう叫びたい程の羞恥心が襲ってきた。
 やばいやばい、やばすぎる。スティーブンさんなんで止めてくれなかったの。アウトだったでしょ。消え入りたいと泣き始める感情が暴走するのをぐっとこらえて、給仕から受け取ったばかりのジョッキを一気に喉へと流し込む。
 ああ、やっぱり焦った時にはこれが効く。
 喉を降りていくアルコールがカッと食道を焼く熱が、程良い刺激となって意識を冴えさせる。けれど一度戻り始めた理性はこれっぽっちの酒じゃ完璧には消えてくれず、体内に真綿が詰まったような居心地の悪さがじんわりと広がっていくのは止められない。
 ああ、ひょっとしてこれがよく聞く"胸がいっぱい"という状況なのか。なるほどこれは確かに食欲が湧かない。というか、食欲が失せてきた……。
 いつもならこの赤黒い角煮らしき物体を頬張るところだけど、食指が動かない。ああ、今の気分にはステーキよりもこっちの二枚貝の酒蒸しの方がいいかな。とりあえずこれを十個と、あ、このレバー詰めも美味しそう……これは四つ、いや、六つにしようか。うん。そして次のお酒をっと……。
 正直な食欲が訴えるままに、比較的脂っこくないものを選んで手元の皿をいっぱいにしていけば、次第にそもそもの原因すら忘れてしまう。生きることと食べることが人よりちょっとだけ強く結びついている私は、こういうところでとても便利にできている。特に今日は、久しぶりだから。

 やがて。
 お皿に山盛りの食べ物をみるみる片付けていく私の肩を、誰かがポンとひと叩きした。
「ようなまえ、食ってっか?って、うわオメェ何持ってんだ!? 立食で大ジョッキとか、有りえねェっつーか自由すぎだろ!? つーか可愛げの欠片もねェ!!」
「あらザップ、相変わらず失礼ね。いいこと、ジョッキを笑う奴はジョッキに泣くのよ。あ、おねーさん、水割りあと二杯頂けますか? うんそう、一気に二つで大丈夫!」



(2015.04.17)(タイトル:fynch)
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