| ■ つ(つまり、だから) 「……爪?」 こくり。 ツェッドくんの首が小さく動いた。ちなみに視線は相変わらず下に下にと下がっているし、心なしか触覚までしょんぼりして見える。 「それだけではありません。ここも……貴女の身体を傷付けてしまいます」 腕に置かれた手元にキュッと力が込められる。筋肉質な腕を飾る立派な鰓が、圧力を受け小さく軋んだ。けれどもさすがツェッドくんの身体の一部なだけあって、僅かに軋んだだけで損傷の心配はなさそうで……私は小さく安堵の吐息を漏らす。けれど、その頑丈さがかえってツェッドくんの表情をますます曇らせてしまうのだった。 「なまえさんはどこもかしこも柔らかくふわふわしているのに、僕は……僕の身体は……やはり誰かと抱き合うようには出来ていないんです」 さらりと紡がれた言葉は体型を気にするレディに対して使用するには明らかに失礼でしかない一言だったけれど、ツェッドくんにその手の他意がないことは明白なのでスルーする。そりゃ確かに、十代の頃に比べて緩まなくてもいいところまで緩んできた自覚がなかったわけではないけれど、多分今ここでツェッドくんが言いたいのはそれではないだろうから。ああそうとも、ツェッドくんの発言はあくまでツェッドくんと私とを対比しての表現であり、その他大勢の人類女性と私の身体的特徴を照らし合わせての評価ではないのだ。落ち着け私。 確かに、肌の質感こそぷるぷるしているとはいえ、実際のところは内側は鍛え上げられた筋肉でみっちりのツェッドくんである。女性型人類としては突出して目を見張るようなところもない私と比べれば頑丈さは段違いだろう。それにまあ確かに、鰭だとか分厚い爪だとかは私には無い部分だし。というわけで私は至って冷静さを保ったまま、彼の言葉を静かに図る。 確かに、何を言ってみてもどう思ってみても、事実として彼の肉体と私の肉体に差異は存在しているのだ。それはまあそうなんだけど……さてどう言ったものか。そんな風に言葉を探して視線を彷徨わせれば、何を勘違いしたのかますますツェッドくんは大きな身体を縮こまらせて首を落としてしまった。まるで怒られた時の大型犬のようだとぼんやり思ってしまって、さすがに失礼だと浮かんだ感想を振り払う。 ベッドの上で服を着た二人が向き合って座っている図というものは思いの外、間抜けなものである。 正直なところ、行為の最中にツェッドくんの身体の随所にある突起が私の肌を傷つけるのではないかという心配自体には、これ以上なく簡単な解決方法があるのだ。 別に相手をツェッドくんに限定して対策を編み出すまでもない。性行為における視覚的快感やTPOを重視しての振る舞いとして、幾つものバリエーションが既に先人たちによって提示されている。つまり行為の最中に"全裸でなければならない"という決まり事はなく、むしろこだわりどころが満載な着衣プレイというのはそれはそれで一大ジャンルとして成立しているし、ついでに言えば体位だっていくらでも──。 けれど人類が歩んできた性への飽くなき探求の道筋を、こんな風に律儀に悩んでくれるツェッドくんにわざわざ見せ付けるのは気が引ける。そして……この状況でたとえそんな"やり方"を伝えて実践してみたところで、消極的な選択で選んだ対位では二人を結び付けるどころか、ますます傷付けることになるだろうことは明らかだから。それにまあ、その、実際、私だって耳年増なだけで事実として手管に長けているわけではないので、いきなり自分主導での立ちバックなんて応用編は不安過ぎるし。 というわけで、結局のところ選べる道は最初から決まっていた。この壁は正面突破するしかないのだ。 「やだなぁ、見くびり過ぎだって」 拒絶されないのをいいことに、硬く握られた手に指を這わせて緩めさせ、露わになった指先を撫でる。拒まないのか、拒めないのか。私の一挙一動にびくりと震えつつも受け入れてくれる姿は、普段であれば微笑ましいと胸を暖かくするものだけれど、この状況にあっては痛々しいことこの上ない。 私のものよりずっと厚くて重量のある爪は、いつかの仕事で触れたワニや亀を思い出させる。けれど、地面を掻かないツェッドくんの爪は記憶の中のそれらよりずっと綺麗でつやつやしていて、そして何より愛おしくて……まるでキャンディのように美味しそうだ。それに実際、攻撃用として研がれていない先端は僅かな丸みを帯びていて、こうして触れただけでは私の肌に傷なんて付きっこない。そう告げたなら、ツェッドくんは言葉に詰まった。 「それに、勢いを付けた爪なんて誰の何であろうと凶器よ? ほら、私みたいな薄っぺらい爪だってこんな風にしたら痛いでしょ」 水かきの根元に爪を立ててみれば、コメントを避けた彼に困った顔を返されてしまう。ただの比喩や一般論でなく、私の戦い方を知っているツェッドくんだからこその反応だろう。別段鋭くもなく分厚くもなく、ギミックといえばちょっとした集中強化くらいというこの貧弱な両手こそを武器とする私が目の前にいる事実に、ようやく意識がいったらしい。 ツェッドくんはどうも私を"自分より脆い人類"の"女性"だと捉えたがる節がある。 けれど、その幅広い"女性型人類"という括りで見れば私の仕様は実は結構異質なものであり、これでも同世代と比べると明らかに頑丈な方なのだといい加減に気が付いて欲しい。尤も、意識改革を期待する傍らで、壊れ物のように扱われる現状を手放し難い幸福と感じている自分もいたのだから……この件に関してはツェッドくんばかりが悪いなんて言うつもりは毛頭ないのだけれど。 とまあ、そんな感じで。変わり始めた空気を今度こそ追い風にしてしまうために、掴んだままのツェッドくんの手をそっと引き上げる。相変わらずされるがままに身を任してくれる手の平に頬を寄せると、すっかり慣れた低めの体温が心地よく私の熱と混じった。けれどこれはあくまでも私の主観であり、ツェッドくんの方は自分より熱いこの熱をどう感じているかなんてことまではわからない。 「……傷くらい、付ければいいよ」 どうせ直ぐに治るって知ってるでしょ? 問いかけにもならない呟きには、沈黙しか返ってこなかった。そんなに難しく考える必要はないんだけどなーと苦笑しながら、広げた指の間に広がる水掻きに唇を寄せる。他の部分より薄い皮膜は、噛みついたら容易に穴が開いてしまいそうだ。もちろん思っただけで、だからどうということもないから──歯を突き立てる代わりに音を立てるキスをひとつ。 拒まれないのをいいことに、好き勝手にさせてもらうことにする。水掻きの一枚一枚、指の一本一本、そして輝く爪の先端に至るまで、愛おしくて堪らないのだと伝えたい。けれどどうすれば伝わるのかがわからないから、身体も言葉も総動員だ。 出っ張りだらけで硬い君の身体と合わされるようにと考えれば、この"人類らしい"体型も"人類らしからぬ"特性も、誂えたように私たちの関係に馴染むのだと思うんだけど。 私がふわふわでゆるゆるで柔らかだって言うのなら、それはきっと君を受け止めて包み込むためなんだよ──という言葉はさすがに三文小説の定番文句過ぎただろうか。 *** 一方的だった愛撫が独りよがりなものでなくなったことに気が付いてから、どれくらい経っただろう。確かめようにも、時計の針を見る余裕なんてとっくになくなっていた。 少しばかり空気が柔らく甘やかなものになって、ツェッドくんの視線が真下を向かなくなって、重ねていただけの指が絡み合うようになって、なぞられっぱなしだった彼の硬い爪の背が私の手のひらを意味ありげに擽るようになって……そんな、太陽の下で行うには若干躊躇が必要な、けれどもベッドの上で行うにはいささか健全過ぎる触れ合いに、先にしびれを切らしたのはやはりというか当然ながら私だった。 このままいけば暖かな触れ合いに満足して寝てしまうことも出来そうな春の匂いを掻き乱すべく、向かい合ったままのツェッドくんの顔を見つめる。 目が合ったのを確認して、相変わらず好きにさせてもらっている手のひらにこれ見よがしに唇を寄せ、強く強く吸い付いた。場所柄キスマークが付かないことが勿体ないくらいの勢いで、情熱的に。吸い終わっても唇を離しきることなく、そっと触れる距離のままゆっくりと言葉を紡ぐ。 「……伝わった?」 ゆっくりと、ゆっくりと、唇の動きだけで音がわかるような速度で、口唇で皮膚を撫で上げるように、そっと。 「それとも、手だけじゃ足りない? 跪いて足の爪までじっくり舐めて差し上げましょうか?」 「な!? な、なんてことを言うんですかなまえさん!?」 ポンと陽気な破裂音すら聞こえてきそうな勢いで真っ赤になるツェッドくんがおかしくて、私は思わず身を捩る。そんなに期待して貰ったら、叶えたくなってしまうじゃないか。レディの手を取るナイトのようなうやうやしさでもって、愛おしい君の足に口付けたら……ねぇ、いったいどんな素敵な反応を見せてくれる? 悪趣味ですよなんて声には聞かないフリで、今なおあたふたするツェッドくんの胸板目掛けてくるりと身体を翻す。軽い勢いで倒れ込めば、案の定優しいこの人はしっかり受け止めてくれるのだ。 「まったくもう、貴女って人は……」 耳にかかる溜息とは裏腹に、回された腕はぬくもりに満ちている。当たり前のように込められる力には、先程までの戸惑いは感じられない……いや、あくまで表面的にそう思えるだけで、本当に完全に無くなってしまったわけではないのだろうけど。けれど、けれども、それでも、ある程度の戸惑いや恐れなんてものはごくごく普通の恋人同士にだってあるものだろうから。大体、好きな人との"その瞬間"を前にして余裕綽々でいられる方がつまらないし、私だってこうして散々余裕ぶってはみたものの結局のところは「いざ脱いで幻滅されたらどうしよう……」なんて不安が無いわけでないのだから。 ツェッドくんは密着した腕から伸びる鰭を撫でたり広げたりと好き勝手にいじる私に何も言わない代わりに、空いた方の手で私の脇腹をなぞっている。まるで輪郭を確かめるようにゆるゆると動きながらも、けれどその手にはさっきまでとは比べものにならない程の性急さが滲んでいる。きっとあと数往復もしないうちにこの手のひらが裾を捲って入り込み素肌を覆いに来てしまうのだろうと期待すれば、彼を愛でる手の熱も自ずと上昇しようかというもので。 「……なまえさん、その触り方はちょっと……まずいです」 徐々に荒くなっていく息が、ねだるように首筋をくすぐった。 そんな切なげな訴えに「お互い様でしょう」と返した声は、我ながらなんとも上擦ったものだったから──今夜の二人はきっと、始末に終えない。 (2015.07.24) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |