■ め(目隠しはもういらない)

 灯りを落とした部屋の隅には、ベッドがひとつ。
 並んで横になるには少し窮屈なその上で、誰にも見せも聞かせもして来なかった姿を晒し合いながら、私とツェッドくんは絡み合っていた。


 けれど別に、眩暈を覚えるような強烈な快楽の坩堝に突き落とされるでも、快感に我を忘れ獣のようになるわけでもなかった。意外な程にのんびりと、時にくすくすと笑い合い──けれども本当に"いつも通り"だったかと問われるとそうでもない、そんな不思議な雰囲気に身を委ねながら、私たちはふたりの時間を楽しむことにしたのだ。
 別にお互いに余裕があったわけではない。むしろ、無かったと思う。
 けれど手探りながらも、どうすれば自分が気持ちいいかだけは理解していたから、衝動のまま動いていたらこうなったというのが正解だった。
 触れたい。キスしたい。見たい。聴きたい。知りたい。衝動のまま唇や指先を寄せれば、ツェッドくんからも同じように熱が返される。そしてツェッドくんが私の身体で昂ぶってくれる姿が愛おしくて、恥ずかしそうにしている姿も可愛くて……いつもは見せることのない部分まで全て見られて触れられているという事実に加えて、肌をくすぐる熱い吐息が私の理性をどろどろに溶かしていく。
 けれども。伸ばした指先が不意に予想外の質感を捉えたせいで、溶け始めていた理性は幾らか形を取り戻してしまう。冷たくて固いこれが何かなんて、わざわざ確かめるまでもない。覆い被さっているツェッドくんの上半身に付いている物と言えば、ボンベだけだ。このボンベのおかげでツェッドくんとこうして居られるわけだけれど、その恩恵に感謝するということは同時に私と彼の間にあるどうしようもない距離を思い出すことでもある。ざわりと心に立った波を掻き消すように、ボンベのすぐ下にある鎖骨めがけて身を起こし噛み付くように口付けた。
 抱き着いた背中に爪を立てないように気を付けながら、なめらかな皮膚の下にある骨と筋肉を指の腹で丹念に確かめる。上半身を合わせるだけでは足りないと絡み付かせた足で、ツェッドくんの剥き出しの太腿を擦る。常日頃カーゴパンツによって厳重に守られているツェッドくん足は脛に至るまでつるつるで、その感触を覚え込みたくて足先を沿わせれば……ツェッドくんの喉が堪らなそうに唾を飲み込んだ。ああ、なんて愛らしい反応だろう。


 ──そもそも、序盤から充分過ぎるほど予兆はあったのだ。
 衝撃ですと聞こえた呟きに何が?と覗き込めば、真っ赤な顔で「まさか……ここまで柔らかいとは思いませんでした」などと言ってくれるだから堪らない。
 今時、異性に興味津々な青少年ですらそうそう見せてはくれないだろう初々しさを前にしてしまえば、いたいけな少年相手に"いけないこと"を教えているおねーさんの気分になってしまうのも致し方ないだろう。けれどそれを言ったのは純朴な少年ではなく、乳房に狙いを変える直前まで意味深でしかない触り方で私のお腹を(特に脇腹を重点的に)攻めていたツェッドくんなわけだから、本当に天然ってのはタチが悪い。
 好奇心なのか向上心なのか、それとも不安だからか、ただ単に天然だからか──一体何が彼をそうさせたのかは不明瞭ながら、とにかく場違いな程に真剣な顔で「気持ちいいんですね」だとか「どっちの方が好きですか」とか確認されるのには特に参った。言葉責めの自覚はないだろう問いかけにどうしたものかと戸惑いながらも、「まあ思いやり(?)なら仕方ないか」と思って律儀に返事をしていたら……いつのまにか喜色満面で見下ろす彼にいやらしい感想を言わされていたり。
 一体どこでスイッチが切り替わるのか謎だけれど、とにかくやっぱり、天然ってのはタチが悪い。基本がハイスペックな分、やることなすこといちいちツボを突いてくるのが余計にタチが悪い。薄々気が付いてはいたけれど、ツェッドくんという人は不器用で思慮深くて、遠慮深いように見せかけて実は結構大胆でおねだり上手で甘え上手なのだと強く深く思い知らされたし、そんな彼が大好きな自分も嫌という程に自覚させられた。


 しかしながら。
 当初見せた不安気な姿は幻だったのかしら……?と思いたくなる程に器用な指先と美味しい性格で私を翻弄していたツェッドくんは、さていよいよ、という段階になってまた表情を曇らせてしまった。とはいえ……まあ今回は状況が状況な分、彼がこの場で気にしている内容についてはすぐに思い至った。つまりアレだ。変に言葉を選ばず至って冷静に率直に、所在なさげに目を伏せるツェッドくんの戸惑いを代弁するならば「どうやって慣らしましょうか」ということになるだろう。
 多分、本人が自覚している以上にロマンチストで、ついでに言えば割とアカデミックな方面に博識なツェッドくんにしては、随分と俗世間に根ざした知識だなぁ珍しい……なんて現実逃避をしかけて、そんな場合じゃなかったと慌てて思考を落ち着ける。ああ、悲しいかな。繰り返すけれど、私はどこまで行っても耳年増だったのですよ。どうしたの?ときょとんと見上げるような世間知らずな反応で済ませていればよかったのに、反射的にツェッドくんの指先をしっかり見てしまったのだから、もうここから先に関しては誤魔化しが効く筈もない。……あー……うん、そうね。確かに今こうして触れられる分には痛くないけど、さすがにその指先を埋めて動かして広げて慣らして……ってのはちょっとばかり難しいかもしれないね。

 不幸なことに、「方法を思いつくまで一旦お預けにしましょうか」と言える程の余裕がお互いに無いことはよく分かっていた。
 不幸寄りの幸いとして、どちらかといえば私は、自分の身体をよく理解していたし現状についても自覚的だった。
 明確に幸いと言えたのは、この場で一般女性としては多少難易度が高めのことを言ってもツェッドくんに見損なわれることはないだろう、と信じられることだった。
 つまり、世間一般のお作法がどうであれ今回はこのまま突き進んでくれてもいいんじゃないかなということである。

 実際わざわざ触れて確かめるまでもなく、先ほどからもうずっとその場所はツェッドくんを求めて物足りなさを訴えていたし、普段からは考えられもしないくらいに潤いに潤っていることもわかっていた。しかし幾らそんな前提があっての言葉とはいえ……やはりこの手のことを言い出すのは恥ずかしい。確認の視線も問いかけの言葉も流してしまいたくて言い逃げのようにボンベ越しの首に抱き付けば、予想通りの慌てた声が数秒遅れて鼓膜を揺らす。
「え、あの……でも、その、いきなりだと痛いんすよね……?」
 ああもうやめて。ツェッドくんだって引っ込みがつかない事態のくせに、そんな風に私を気遣わないでって。
 押し寄せてくる嬉しさと気恥ずかしさと、そして何より彼の気遣いを甲斐のないものにしてしまうだろう自身の状況を思い浮かべれば顔に熱が集まる。持て余した感情を誤魔化したくて、必死の勢いでぷるぷると首を振る。すると当然ながら振動はボンベにも伝わるわけで──ぷるぷる動かす頭の下で「ひゅっ」っと不穏な音が漏れた瞬間、脳裏をよぎったのは最も危機的な事態についてのイメージだった。結果的に恥ずかしさは吹っ飛んでしまったけれど、それ以上に血の気が引いた。


「……ありがとうございます」
 慌てる私を前に「大丈夫ですから。ちょっとずれただけで、もう何でもないですから。エアギルスはこれくらいで壊れませんから」と宥めていた時の顔とも、その前までの緩みきった顔とも違う、状況に不釣り合いなほど真面目な顔で「ありがとう」なんて言われたってどう応えていいかわからない。やっぱりツェッドくんはタチが悪い……なんて思いながらも、何のことでしょうとトボけてみるのも違う気がしたから、私は結局ただ一言「うん」と微笑んでみせる。
「気を付けますが……その、痛かったら、言って下さい」
「そりゃまあ、多少痛いのは仕方ないだろうけど……いや、うん、なんでもない。まあ、その、アレだ。あんまり身構えないでね」
 本気で痛かったら全力で逃げるから安心してと冗談めかして告げれば、実力行使の意味を正しく理解したツェッドくんからは「わかりました」と小さく苦笑が返された。
 けれどこの穏やかな反応がツェッドくんの全てではないことに、私は気付いている。だって握り返される指の力はいつもより数段強めだし、瞳だって隠しきれない輝きを放っているし、平然を装う口調の端々に苦しげな吐息が混じっていることにも気付かない訳がない。なにより、今か今かと蜜を溢れさせる局部に押し当てられているツェッドくんの熱が、熱くて熱くて敵わないのだ。

 見つめ合って、ゆっくりと唇を合わせて、より深くまで求め合うように舌を絡めて、もっと、もっと、もっと──欲しがりの心と身体が、満たされかけた端から不足を訴える。


 理性の焼き切れたその後の時間についてまで、事細かに語る必要はないだろう。
 眩暈を覚えるような強烈な快楽の坩堝に突き落とされるでも、快感に我を忘れ獣のようになるでもない、だって? ──とんでもない。ゆったりとした時間はあくまで"その前"までだったし、楽しんでいるという自覚を持っていられたのも"その前"までだった。足りなかった部分を埋め合えたのかもわからないし、その行為が本当に満たされたものだったのかもわからない。けれど……どちらのものかもわからない唾液を飲み込みながら上げた嬌声が、痛みの為かそれとも歓喜の為かなんて、そんなことは結局のところどうでもいいのだ。
 あの上も下もわからない目の眩むような時間の中で、ツェッドくんだけが確かで全てだと感じた事実を覚えていられるだけで、きっと充分過ぎるほどに充分なのだから。そしてそれで足りなくなったら、また求め合えばいいことなのだから。



  ***



 「……なまえさん」
 抱き抱えていた私をその腕の力だけでベッドへと移したツェッドくんは、そのまま私の腕をとった。一体何をと思う間もなく、手のひらにツェッドくんの口元が押し当てられる。柔らかな物腰と欲の滲む目の輝きというアンバランスさにくらりと甘い眩暈を感じていると、未だ理性を手放さない私を追い立てるように手首、腕、肩……あちらこちらにキスが繰り返される。敏感な首筋を舐めあげられて声を上げれば、待ちきれない唇を宥めるようにつやつやとした硬い爪が押し当てられた。唇とも皮膚とも違う質感は、見た目だけではなく舐めた印象もキャンディだった。
 まだ唇を合わせてすらないのに。まだ服だって脱いでいないのに。触れ合うことを覚えた身体は、もうこれだけでどうにもならない程に火が点いてしまう。

 もっと見て欲しい、もっと私を感じて欲しい、そして貴方を感じさせて欲しいと欲張りな心で伸ばした手をいつだってツェッドくんがちゃんと掬い上げてくれるから──恥ずかしさと気持ちよさと"ふたりでいる"という幸福感は相乗効果でぐるぐる駆け上がり、今夜も綯い交ぜになってベッドに降り注ぐに違いない。



(2015.07.27)
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