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 何代前まで遡れば繋がるのかもわからないような傍系を、家系図を紐解いても見つからない程のささやかな名で呼んで、一滴たりとも彼女の血を継いでいない身体に彼女の面影を見つけた気になっては楽しそうに笑ってみせる。そんな風に、私が今この瞬間に"なまえ"として存在するという事実は丸ごと無視して、堕落王はいつだって彼の記憶にある名を繰り返し繰り返し繰り返し口にするのだ。
 ……まるで、遠く深い霧の奥に沈んでしまった"彼女"の姿を手繰り寄せようとでもするように。かつて存在した時間を確かめようとでもするように。エルネスタ、エルネスタと、繰り返し繰り返し繰り返し。


「えーと、でもそのエルネスタって人にも子供居たんですよね? どこで枝分かれしたのかわかんないような私に構うより、そっちの直系辿った方がいいんじゃないですか?」
「ああエルネスタ、たった数百年のうちに随分と愚かしいことを言うようになったんだね、君は! たとえ肉体に流れる血液がいかに酷似していようが同一だろうが、それが人格とイコールで結び付くのだと本気で考えているとしたら……僕ァ君を憐れまずにはいられないよ!!」

 皮肉であることを強調するような仰々しさで額に手を当てた堕落王フェムトは、これ以上ない程に芝居がかった仕草で嘆いてみせる。けれど、そんなことを言いながらもその唇が紡ぐのは私の名ではない誰かの名前だし、語りかける言葉だって明らかにその誰かに向けてのものだ。
 矛盾にも程がある……と呆れてみせることすら滑稽だと諦める程に、そもそも一切合切が矛盾でしかない。最初っから何も変わらない。彼が私に向かって話しかける時のそれは──例えばHLを混乱に陥れては笑い転げている普段の彼以上に──筋道も理屈もまるで成立していない、ただの戯言と妄言の垂れ流しでしかないのだ。

「そう言われましても……えーと、でも、そういえば、私の祖母ってのが四姉妹の次女なんですけど、妹の一人が遣り手の術師に嫁いだとかなんとか。ああそうだ、かの大戦時なんかは曽祖母の従姉妹筋の五人姉妹全員が地元に根を下ろして相当な規模であれこれしてたらしいですし。いや、それ以前にも……確か、レゾの偽書討伐に参加したという話も聞いた気が……うん、そうだ、そうです……というわけで、実はなんやかんやホームを移したうちよりもずっと立派な血筋様が、今でもあっちの方でご健在らしいんで」
 だからそのエルネスタって人の面影を追い求めるなら、せめてその辺りを当たった方がまだ有意義だろうし実りもあるんじゃないですか。そう言って顔も見たことがないような遠縁を人身御供に差し出そうとしたものの、我が身可愛さでしかない提案はフェムト様の吐息一つで吹っ飛ばされた。
「フン。そんな存在など、この四・五百年で見飽きるほど見てきたさ。だから何だと言うのだね。親が同じだろうがホームが何処だろうが、そんなことで君に成り代われる筈がないだろう」
「……いや、だからその、でしたら私に対してのこの扱いは全く説明出来ないと思うのですが」

「だって君はエルネスタだ。たとえどれだけ血が遠くとも、どれだけ愚かであろうとも、それでも他の有象無象より遥かにましで上質な色をしている君こそがエルネスタでなくて、なんだと言うのだ。いいかね、私は日々混ざり捻れ歪む血統などというものを信仰する趣味は持ち合わせていないのだよ。何十何百の末裔たちが全て始祖と同じ精神を持っているとしたなら別だが……尤も、仮にそんな事が在り得たとしたならその先に待っているのは繁栄ではなく衰退だろうがね。ともかくエルネスタ、その程度のモノたちはこのHLでも散々見かけてきたさ。だが、彼らは暇潰しには成り得ても遊び相手としては退屈過ぎるのだよ。まったく、四半世紀どころか分秒だって割くに値しない連中ばかりだ」

 淀みなく、とめどなく。まるで予め決まっていた台詞を口にしているかのように滔々と語った怪人は、極め付けとして私の顎をくいと持ち上げた。
 あ──やばい。手袋越しの指で触れられただけだというのに、途端に肌が内側から泡立ち始める。たった一瞬で縮まった物理的距離に焦りと戸惑いを感じる前に、単純な恐怖と逃げ出したい程の圧迫感がこれでもかと押し寄せてくる。仮面越しだというのに、目が合っていると断言出来る……出来てしまう。ああ駄目だ。怖い。これはヒトの形をしているだけで、その実、決して私の知るヒトではないのだと思い知らされる。本能が警笛を鳴らすのに、竦み上がった身体はぴくりとも動かない。堕落王はただ手をかけているだけだ。一言も発さず、何の術式も展開せず、ただ至近距離で覗き込まれているだけなのに──足下がぐにゃりと歪み始める。ああ駄目だ、立っていられない。

 呼吸が、奪われる。
 思考が、侵される。

「あ……の……す、すみません。このままだと、わ、私、きっとみっともなく吐いちゃいうんで、あの、少しだけ離れて、い、いただけませんか」

 胃の不快感を必死に押しとどめながら吐き出したのは、懇願だった。
 怖いのは怖いで仕方がない。だって勝てるとは思わないし、そもそも遣り合おうとすら思わないし。例えばこれがチーム戦で、例えば誰かが後ろにいたとしたら……だったら私だって捨て身で頑張るかもしれない。けれど生憎今は一人きりだし、作戦も何もない完璧オフタイムだし、なにせ相手が相手だし……だったら素直に怖がったっていいじゃないか。けれど、そうして開き直ったところで流石にこの場で嘔吐・失禁・及びそれらに類する行為をぶちかましてしまうという展開は勘弁願いたいのだ。まして相手はあの堕落王。深くて濃い霧の街HLで知らぬものは居ないだろう超危険人物は、奇抜な言動と目立ちたがりやの性格だけで有名なわけでは決してない。"一千年"という時間と"あらゆる魔導に精通する"という修飾語が単なる飾りかどうかなど、一度でもその力を目の当たりにしてしまえば疑う余地もない。常人には到底辿り着けない極致に立つ、至高の魔術師。そんな彼を私ごときの汚物で汚してしまったとあっては、殺されても文句は言えない以前に、誰からの同情も期待出来ないだろう。けれどそんなことよりもっと単純に、そんな失態を犯すような自分を──誰よりもこの私自身が許せないだろうと解るから。

 涙目で訴える先で、唯一仮面に隠れていない堕落王の口元が大きく弧を描いた。
 けれど……ようやく与えられた僅かな距離に「ああ有難い」とへたり込んでしまった私に、彼の機嫌に気が付けるだけの余裕はない。



「ああエルネスタ、それでこそ君だ」
 ──命乞いの囀りでも、捨て鉢の暴言でも、向こう見ずな虚勢でもない、"君らしい"反応だ。



(2015.06.16)(タイトル:亡霊)
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