■ 一筋縄ではいかない関係

 たまの休日だろうに。君には遊んでくれる友人もいないのかい?と呆れられたけれど、あいにく私はそこまで器用には立ち回れないない。
 埋没する社会人Aとして顔と、ライブラでのなまえとしての顔。そして更にそれらを結びつけられないように新たな関係を作ることの面倒さといったら、考えただけで気が滅入るじゃないか。それに、それに、そんなことを言ってくるスティーブンさんだって、営業用でもなんでもない本当の"オフ"を過ごす相手はいったい何人居るのやら……という怖いもの知らずの憎まれ口を返しかけたところで、慌ただしく開いたドアの向こうから駆け込んできたのは可愛い可愛いレオナルド・ウォッチくんだった。飛びだしかけた言葉には蓋をして、代わりにとびっきりの笑顔を向ける。話し相手、見ぃーつけた。



「ねえレオくん、どうしたの? 何かあるなら遠慮なく言ってね……あ、ごめんひょっとして遠慮してチョコミントを選んでくれたの? よかったらこっちのミルクシュガー食べる? 半分食べちゃったけど」

 斜め向かいに座るレオくんの視線は、今日に限っていつまでもちらちらと私と手元を繰り返している。どうしたのかと声をかけても首を振るばかりで埒があかない。何でもないわけがない顔をしつつも頑なに「いえ、何でもないんです」と言われてしまえば、それ以上は頷くしか出来ないし。けれどやっぱり、少し間を置けばまたその視線はちらちら、ちらちら。
 例えばこれが私ではなくザップ相手だったなら、彼はこんな風に遠慮しないんだろう。ちょっと寂しいけれど、それは当然といえば当然の理屈だけど。だって稀にしか顔を合わせない私と、ほぼ毎日顔を合わせては遠慮もなしにクズっぷりを巻き散らすようなザップ相手じゃ、誰だって距離感が違って当たり前だ。あまりにもナチュラルにクズモードを全開にするあいつは、相手の警戒心すら容易く誑かして何時の間にかするりと懐に入り込んでしまうから厄介なのだ。私が多少なりともあいつのように振舞えたなら、それこそライブラの事も会社の事も話さないまま付き合える友人の三人や四人は出来ていただろうか……あ、ダメだ、仮に出来たとしてもそれは多分セフレってやつだわ。

「それになまえさん、ほらミルクシュガーはこっちにもありますから……って何いきなり沈んでるんですか」
「……うー……レオくんってば今日なんか余所余所しいんだもんよー。私だって仲間なのにさーって思ったらなんかザップが羨ましくなって、うっかりそんなことを思った自分に呆れて撃沈してる」
 うううと目頭を抑えると、レオくんもうううと慄いた。
「なまえさんその発想はマジやばいっすよ」
「だよね。ってことでじゃあ何が理由か素直に吐いちゃいなよ」
 定められた矛先にうげげとたじろいだレオくんだったが、「オレ、なまえさんに聞きたい事が……やっぱりいいです」と結局途中で止めてしまう。なんだよやっぱりあるんじゃないか。しかもやっぱり私をご指名なんじゃないか。なんだい大企業のお仕事事情に興味があるかな? それとも美味しいレストラン情報をご希望かい? ああ、それとも妹ちゃんに贈るHL名産品について女子的見解をお求めとか?
「いえ、そういうんじゃなくて……」
「なんだなんだ、歯切れが悪いなぁ。ダメだよ少年、聞きたい事があるならちゃんと確かめないと。記者は取材が命でしょうが」
 コホンと咳払いを一つして、今の今まで気をやらないようにしていた本棚前を指差す。

「例えば、あちらに見えますのは"いつもの光景"ね?」



  ***



「例えば、あちらに見えますのは"いつもの光景"ね?」

 いきなり後ろの騒ぎに触れにいくなまえの意図が読めないまま、レオナルドはYESと答えた。

「はぁ、ザップさんが相変わらず懲りる様子もなく、まったく学習する素振りもなく、クラウスさんに挑みかかってはあっさり止められ子鼠のようにあしらわれてるという見慣れた光景ですね」
「けれど実はあいつの部屋の壁中にクラウスさんの写真が貼られていて、昨夜三時に遊び場から帰ってきたあいつが泣きながらクラウスさんの名を繰り返していたと知ったら…見えてくる光景は違ったものにならないかしら?」

 ぶふーとレオナルドが盛大に吹き出し、チェインが目を見開き、我関せずとHLタイムズに目を向けていたスティーブンの手元がぐしゃりと音を立てた。

「おまっ! おい、この、こらクソなまえ! なぁに適当ぶっこきやがるんだ気色悪りぃ! 今日こそはマジ×××すっぞ!」
 思わず三割り増しに見開いた目でレオナルドが捉えたものは、あまりの衝撃に赤くなったり白くなったり青くなったりするザップの姿だったが、明らかにその赤は怒りの赤だ。
「けれどほら、あいつがとんでもなく、微塵の救いもない程に、ダメでクズでだらしがない、とことんまで筋金入りなレベルで下半身直情型の"オス"だってことを知っていれば、今の私の発言が明らかな嘘だとすぐわかる」
 結構な罵声を受けてなお、気にした様子もなくなまえはにこにこ笑っているけれどレオナルドは笑えない。ただ一人きょとんと首を傾げているクラウス以外も皆同じである。

「ほ、本当に"嘘"なんですよね?」
「やだなぁ勿論。だいたい私、あいつの部屋に入ったこともないし」

 疲労感に包まれた空間の中、どこまでも空気を読まないなまえの能天気な笑い声がケラケラと響く。
 例え話としてはあまりにもアレで、控えめに言っても嫌がらせでしかないような話題のチョイスにもかかわらず、相手がザップな限り一息つけば「またか」で済まされる事柄だった。当のザップですら「テメェ、今度酔っ払っても助けてやんねぇからな」となまえの眉間にぐりぐりと仕返しを決めて終わりである。チェインとはまた違った具合に殴り合いを楽しむ二人が、なんだかんだで仲が良いことなどこの場にいる面々には今更過ぎる程に今更なことだった。なまえはザップに対してだけはどこまでも明け透けで無礼だし、ザップの方もそんななまえと罵詈雑言の応酬こそすれど本気で突き放そうとはしない。
 慣れていなかった頃のレオナルドが、てっきり"そういう関係"なのだろうと思った程にはウマが合う二人だが、どれだけ目を凝らしても彼らがお互いに向ける眼差しには一片の恋愛感情も感じ取れないのだから、二人にとっては"そういうこと"なのだろう。

 というわけでこの妙な二人の妙な距離感については気にしないことに決めたレオナルドだったが、さすがに先日のアレにまで無関心を決め込むことは出来なかった。世間というものは広いようで以外と狭いというのは良く聞く言葉だが、それにしたって。

 メンバーの誰も知らないところで発生していた事件に最悪の形で巻き込まれていたなまえが、人知れず消息を絶ってから数日。破損した通信機器をもとに初動の遅れを取り戻すべく躍起になるクラウスたちに、彼女の無事を伝えたのは予想だにしない人物だった。
 その瞬間、ニュースチャンネルも最新映画の独占放送も、一番組の例外もなくプツリと途切れて同じ映像を流し始めた。高笑いと共に画面いっぱいに登場した仮面の男はいつになく上機嫌で、物騒なゲームの開始を宣言する代わりに今日はライブラ諸君に用があるんだと前置いた。そして凍りつくライブラ本部の混乱などお構いなしで、最近拾ったという珍しい鳥の話を語り出した。死にかけで、大食らいの、誰かの手からではないと餌も満足に食べられない、愚かで愛しい鳥のことを。「そんなに可愛いなら羽を切って閉じ込めておけと思うかい? 冗談じゃぁないね。せっかく面白く育っているのに、同じ歌しか歌えなくするなんて愚か者のすることだ」──狂人は、登場と同じ鮮やかさでテレビ画面から掻き消えた。
 けれど何よりレオナルドが驚いたのは、それに対してのやけにあっさりした周囲の反応である。ああそうか、なるほどじゃあ大丈夫だ、そっかその可能性が一番高かったわね、等々。
 話の流れから、不定期的に見かける「やぁエルネスタ!」から始まる電波ジャックが他ならぬなまえを名指ししてのお誘いであったことにも思い至った。けれど、それでも何がどうなっているのか全体像などさっぱりわからない。解散を告げるスティーブンに従い、集まっていた者たちは次々と通常任務に戻って行く。普段は煩いほど下世話でおしゃべりなザップまでもが、ひとり目を白黒立させる新人を置き去りに賭け麻雀の話をし始めた。
 それがつまりどういうことかだけは、レオナルドも理解出来た。多種多様な人物が集う組織に所属している以上、必要不可欠なバランス感覚というやつだ。即ち、当人の与り知らぬ所で踏み込んでもいい領域では無い事柄だということで。


「あの……僕が聞いていいのかわからないんですけど、その、なまえさんと堕落王ってどういう関係なんですか?」
「お、おう。凄いやレオくん。予想外になまでに直球どストライクでナイーブなとこに打ち込んでくるね」


 付き合わせていた膝先を大きく歪めて仰け反るなまえに、やっぱり聞いちゃいけないことでしたかとレオナルドの額に汗が浮く。少年の困惑を気にする余裕もない渋い顔でうんうん唸る当事者に代わり、見かねた様子でスティーブンがぼそりと呟いた。
「確かに、飲み屋ででも話せと言うには内容が内容だ。なまえが来ることもそう頻繁ではないし、こうなるのは充分予想出来たことではあるよな」
 うん、仕方ないよ。

 その場に居た者たちが、みな二人に注目していた。純粋に疑問符を浮かべている者。次の展開がわかっているかのようにやにやと眦を下げる者。あーあまたかと憐憫の眼差しを向ける者。などなどなど。前から横から後ろから、熱量に差のある視線を一身に受けてただただなまえは低く吐き出した。

「……私だってそんなの知らないもん」
「なあレオ、お前からはどう見えた?」
 突っ伏したままの体をぐいと押し退けながら、よっこらせとザップがなまえの後を引き継ぐ。
 俺に言わせりゃ、ありゃ"初めて入ったチェーン店で常連振るオヤジと新人ウエイトレス"だな。返答も待たずに自信満々に講釈を始めたザップに、間髪入れずに「センス無いわね」と言い放つのはチェインだ。あっという間にやれ犬がやれ猿がと舞台を移してしまった二人を余所に、幾分か復活したなまえが自嘲する。

「まあでも、そんなもんかもね。あの人にしたらこのHLの住人なんてただのカボチャ畑のカボチャで、けれど一応"ライブラ"を始めとする一部を"パプリカ"程度の認識で特別視してくれてるわけ」
「ちょっと待ってなまえさん、全然違う品種っすよね。共通点ってボコボコしてるとこだけっすよね。つーかパプリカの方が小さいですよね」
「――で、私はその黄色パプリカの集団の中でもちょっと他より赤みがかったパプリカって感じ。OK?」
 諦めたレオナルドが、じゃあエルネスタさんってのは?と更に問えばなまえの顔が再度陰る。
「あれは私じゃなくてなんていうか、長い記憶の中でとことんまで美化された赤唐辛子って言うか。うーん、なんだろうね、うーんうーんペペロンチーノさんヘルプ」
 救助信号を向けられたスティーブンは、しかしながらやれやれと首をすくめてお手上げを示すのみだ。
「まあ、堕落王にとって思い入れのある過去の名のようだが。むしろ大事な事は、その名で呼ばれるくらいに目をかけられているようでいて、実際はあまり大事にされていないなまえのことだ」
「はぁ」

「なにせあの自分以外を退屈な有象無象と称して止まない堕落王だぞ。そんな彼が名指しで接触してくるなんて特別扱いを期待するだろう? だから以前、彼が"退屈しのぎ"として引き起こした事件に彼女を放り込んだことがあったんだが……なまえに気が付いた奴は何て言ったと思う?」

 おかげで被害は甚大だ。まったくあんなのはもう二度と御免だよと天を仰ぐスティーブンに、レオナルドの背筋が冷えていく。
 そんな青ざめ始めた後輩と、既に目を閉じ耳を封じて全てをシャットアウト中のなまえをにやにや笑いで見回したザップは、とっておきの秘密をしゃべるのが楽しくて仕方がないという口調でとどめを刺した。チェインにつけられた靴跡などまるで気にしないかのように、ご機嫌な口調で。


「聞いて驚けよレオ。"やあ、エルネスタじゃないか珍しい。せっかくだから死なない程度に必死で楽しんでくれたまえ!"だぜ。しかも泣き叫ぶなまえに向けて笑いながら召喚魔法を重ねやがんの!」



(2016.01.12)
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