■ 2014年バレンタイン 爆弾魔編 「はい、これどうぞ」 語尾にピンクのハートが付きそうな口調と共にご機嫌な女から男三人に包みが配られた。 「え、なんだこれ」 受け取ったバラが不思議そうに箱を揺らせばカタカタと小さな音が鳴る。 「ああ! もう、確認もせずにそんな乱暴にしちゃって……繊細なものだったらどうするんですか。たまたま崩れないものだからよかったものの……」 目を見開いて慌てるなまえの反応にそうだなすまんとバラが素直に謝れば、傍のサブは待ちきれないと上擦った調子で問いかける。 「えっと、開けてもいいかな」 ぜひとふたたびの笑顔を受けるに至り、男たちは少しばかり緊張した面持ちで各々の包みに手をかけた。 三者三様の包装紙を広げれば、丸いチョコレートとカットされた焼き菓子が顔をあらわす。 「これって……」 「ビターでなかなかいい感じに出来たと思うので、ぜひ」 少し早いんですけど……とうっすら桃色に染めた頬で照れたように言われれば、これがたとえ激甘だと言われても受け取っただろう。反射的にそう思いながら、男たちはこの突然の贈り物が何を指しているのか理解した。 「そう言えば、アレだったな。すっかり忘れていたが……」 決して、気にしていないと余裕を装ったのではない。 本気で失念していた口調のゲンスルーに続き、バラとサブも同じ調子で相槌を打つ。 「ここにいると、こういうイベントって関係なくなるもんなぁ」 「そうそう。まあ、アイアイは盛り上がるけど、あれもしょせんはNPC相手だし飽きるからなぁ」 キーとなる日の前後数日をかけて、アイアイではバレンタイン関連のイベントが多発する。ただでさえ甘酸っぱいイベントが常時発動しているあの町一帯が甘ったるい匂いに包まれる期間。さながら朝も夜もなくチョコレートが舞う光景は一部のプレイヤーの間では有名だ。指定ポケットのカードが出ないイベントにもかかわらず、この時とばかりに癒しと潤いを求めて足を運ぶプレイヤーは多い。 実際のところゲンスルーがいるチームでもチョコレートの獲得数を競う者達は一定数いるのだ。毎年盛り上がる彼らは、思い返せばつい先日もうるさく騒いでいた気がする。そんな彼らはお祭り騒ぎに乗じないゲンスルーのことを堅物だと揶揄したが、ゲンスルーからすれば浮かれる方が不思議でならない。肩をすくめながらも、内心では愚かだと見下してすぐに意識から弾いたのだった。 しかし、いくらアイアイでのイベントには興味が無くとも生身の女からの手渡しとなると話はまるで別である。もう長くこの甘ったるい行事から遠ざかっていた、どころか振り返る思い出すらないような男三人は、この予想外の贈り物に喜びを隠すことすらしない。 「食っていいか?」 「あ、じゃあ飲み物も用意しますね」 待ちきれないとバラが声をかけると、嬉しそうな様子でなまえが身を翻した。今日のためにいいのを揃えたんですと弾むように言い残してキッチンへと消える後ろ姿に頬を緩めるなという方が無理がある。 *** 紅茶と共に席に着いた男たちは、箱の中の数個程度では満足とはいかなかった。なまえがいそいそと取り出した皿にまでそれぞれ手を伸ばし、先を争うように腹の中に収めていく。 負けず嫌いのなまえが散々試行錯誤を繰り返した成果は見事にあらわれていた。この日のために徹底的に準備してきたとはいえ、やはり相手が存在することである。絶対に美味しいと自信を持つことと実際に美味しいと言われて嬉しくなることは別のベクトルだ。 かくして。甘さを抑えて酒を利かせたパウンドケーキは特に男たちの胃袋を掴んだ。彼らは言葉と態度でストレートに褒めちぎる。けれど、生憎なことにやっと巡ってきた絶好の機会をこれで終わらせるほどなまえという女は無難な性格をしていなかった。つまり、賞賛を受ける側のなまえは確かに喜びながらも内心はそれだけではなく、気を抜けば浮かびそうになる苦笑を隠すことに苦労してもいた。 だって、となまえは考える。 普段の彼らならばもっと用心深いはずだ。裸で絡み合っている時ですら、なにかあったら瞬時に対応できるだけの余裕は残しているともう知っている。仮に、枕の下にナイフを忍ばせたところで無駄だと思えてしまう。寸前までどれだけ夢中で熱を交わしていようとも、きっと彼らは瞬時に切り替えてみせるだろう。そうでなければ生き残れないと身体で知っているから。いくらか知った関係になったといえど、暴力を振るう側として努力し続ける彼らが私に見せる無防備は本当の無防備とは程遠い。 それが、今はどうだろう。確かにモノは罪のないケーキとはいえ、用意されたものを揃いも揃って無警戒に口に運ぶのだからおかしくてたまらない。人畜無害な笑顔の下に、この人たちって浮かれているなぁと冷静に観察しているハンターの私が存在することに気がつく様子もまるでないのだから。 *** 「ああ旨かった。サンキューな」 「うん、旨かったよ。こういう菓子ってのもなかなかいいな。なあ、ゲン」 「確かに、悪かァなかった。……しかし、バレンタインとは律儀なことだなぁ」 どちらかというと虐げるよりも愛でるという立場で接する二人ほど、ゲンスルーは甘くは振る舞えない。 「だって、ものだとどこまで外に持ち帰れるかわからないし。そうなるとやっぱり定番の食べ物でしょう? 幸い、この世界でもひと通りの材料は手に入ったから」 一応考えてのことなのだと胸を張るナマエの返答はゲンスルーの苦笑を誘う。 だから、そもそもオレたちになにかしようというのが変わっているのだ、ということには思い至らないらしい。自分の立場というものをわからせてやってもいいのだが、久しぶりに戻ったふたりの気分に水を差すのは無粋だろう。代わりに、せいぜい嫌味に聞こえる様にと言葉を選ぶ。 「で? こういう時は、三倍返しだったかな?」 なにが望みだと意地悪く聞こうとしたのだが、ベースにあるのがその嫌味以上に愉快そうな表情なのだから締まるわけがない。結果、こうして完成したのは憎まれ口どころか愛嬌すら漂うセリフで、ゲンスルーの問いかけになまえはますます顔を綻ばせた。 負けず劣らず食わせ物の表情をつくってみせた女は、まるで楽しくて仕方がないという口調で三人に向かって唇を動かす。 「ふふ、食べちゃいましたよね。……気づいてました? 私は、あらかじめ分けていたこっちにしか口を付けていないんですよ?」 「なっ……」 まさか何か盛ったのかとゲンスルーたちが気色ばんだ瞬間、堰を切ったようにけらけらと女は笑い出した。 「やだなぁ、冗談ですよ。……まあ、そう、冗談なんですけど。はぁ、苦しい。ただ、まあ、お酒とチョコレートってあれくらいの量でも、なかなかいい感じに作用するって知っていますか?」 込み上げる衝動のために絶え絶えだった口調は、落ち着きを取り戻したと思う間もなく妖しく言葉を紡ぎ始めた。 「なんと言っても、どちらも酒屋のおじさんのお墨付きのものを使いましたから、効果はしっかりあると思うのですけれど……どうでしょうか」 告げられたのはよく知る店名で、その品物の確かさには別の意味で身に覚えが有り過ぎる男たちとしては笑い飛ばすことが出来なかった。なまえの様子はいつのまにかすっかりと艶めいており……薄く開いた唇から、色が付いていそうな吐息が零れ落ちた。 やりとりを見守っていた二人が先にその変化にごくりと喉を鳴らす。 挑発的な視線をまともに受けたゲンスルーも身の内の欲望を叩き起こされる。 「このごろ、あんまり構ってもらえなくて……寂しかったんですから」 期待に潤み始めた瞳が、男たちを誘う。 *** 情事の名残もあらかた消えて、静かになった室内でぼそりとゲンスルーが呟いた。 「……つうか、そんなに放ってなかっただろうが」 ベッドの上にはなまえがひとりで丸まっていた。 三人がかりでの奉仕に彼女はすっかり満足したようで、疲労のままにすやすやと眠る横顔はどこまでも幸せそうだ。ところどころが赤く染まった肌に毛布をかけてやった後、男たちはいつもの酒を楽しんでいた。ちなみにこれも例の酒屋で購入したものなのだから皮肉なものだ。 「はぁ……驚いた。つうかゲンよ。おまえ実際どんだけあいつを放っておいたんだよ」 「あ? んなこと言ったって、前におめぇらとした時以来だから……三週間ほどだぜ?」 「……あーそりゃ、うん、まぁ、もうちっと構ってやれ」 オレたちに気を遣わなくていいからとサブとバラが交互に言えば、でもなんだかそれは狡いじゃないかと納得できない様子のゲンスルーが口を尖らせる。変なところで律儀なツレにサブとバラが笑いを隠せずにいると、今度はやけっぱちに言い放たれた。 「それに、なんつーかお前らと一緒じゃねぇと加減がわからねぇんだよ」 下手すりゃ、毎日でも呼び出しちまいそうだし。 がりがりと頭を掻いて視線を外した悪友に、男二人は顔を見合わせてぴきりと固まった。 この、いい年して自分のことになるとてんで鈍くて、おまけに我儘で俺様なことも自覚していないような友人は今いったいなにを言ったのだろう。いや、いい。聞こえてしまった。オレたちはわかってしまった。だから今一番厄介なことは、この妙に鈍感な友人が自分がなにを口走っているのかもきっと理解してはいないということだ。 どう見たって、友人がこの女を気に入っているのかは明らか過ぎることなのに。なのにその事実も、その意味も、当人だけが見事に気がついてない。 目と目でたっぷり会話した二人は、けれども結局は何も言わずただ深く深く溜息を吐いた。 構われたい女と、構い過ぎを気にする男。 ここに首を突っ込んだところで、馬に蹴られるくらいのものだ。 (2014.03.06)(拍手に加筆) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |