■ 甘い夕焼けを飲み干す

 あんなつまんねぇ男なんてやめちまって、オレの女にならねぇか?

 酒の勢いと躱すにはあまりにも爛爛と燃える瞳を向けられて、ぽかんと間抜けな顔で見上げることしかできなかった。

 予想外のタイミングで予想外のお誘いを受けたおかげで店内を彩る喧騒もあっという間に耳から遮断され、ついでに久しぶりにありつけた数量限定特製ステーキの味も一瞬で掻き消えてしまう。確かめるまでもなくこの場合の「つまんねぇ男」が誰を指すのかは明白だけれど、あの外道の中の外道を指してそんなふうに「つまんねぇ男」と言えてしまうこと自体がこの男の浅さを物語っている。──なんて哀れみを覚えかけた私の視線の意味を一体どう取り違えたのか、私の手より遥かに大きい男の手が伸びてきた。その太い指は見た目に反して、思わずびっくりする程の繊細な力加減で私の肩をそっと掴む。
 あらやだ、ちょっとギャップ萌え。


  ***


 さて、話は数十分前に遡る。
 なんてことない夜に、なんてことない店で──つまり女一人で軽く食べて飲んでもさほどトラブルに巻き込まれなさそうな店で──ささやかな一日の終わりを楽しんでいた時のこと。
「よぉ、久しぶりだな。あんた前にうちのチームにいたなまえだよな……なぁ、オレのこと覚えてっか?」
 そう言って私の時間に割り込んで来た男には、確かに見覚えがないこともない。但し、どこかの好青年の皮を被った人でなしのおかげであっという間にチームを抜けさせられた私にとっては、共通する思い出もなければ疼く感傷もないような"プレイヤーA"でしかない。なので元チームメンバーとしてではなく、このG.I世界内に居る人間を把握することを仕事の一環に据えている"やり手のハンター様"としての記憶力を総動員して「あらジェフ、久しぶりね」と笑い返したのだが。さてさて、男は一瞬目を見開くと実に嬉しそうな表情になった。
 なんとも不思議なことである。たかだか私のような、つまりゲームクリアよりも日常を楽しむことに重点を置くことにしたような"玉無し"プレイヤーの記憶に残っていたぐらいで喜ぶ必要などないだろうに。さてはお目出度い人なのかと距離を取りかけたところで、ふと、ある可能性に気がつく。
 そういえばこのジェフという男にとっての私は、元チームメンバーという以外にまだ関係が残っているではないか。
 つまり、現幹部であるゲンスルーの恋人という、擦り寄りの対象としては今ひとつ弱いが全く無視もできないような、そんな繋がりが。


 ……と思ってそれなりの賄賂やおべっかをこっそり楽しむ気でいたら、投げかけられたのは冒頭のお誘いというのだから予想外としか言い様がない。
 オレの方が強ぇぜ。生活の面倒も、オレが全部みてやっから。だからあんな優男なんてやめちまって、オレのモノにならねぇか。
 矢継ぎ早に繰り出されるのは「軟派な誘いならもっと上手くやりなよ」と言いたくなるようなセリフの数々で、どう贔屓目に見てもこの男が実はこの手の誘いに不慣れなことは明らか過ぎる程に明らかだから。つまり、そんな、いい年してこんな慣れていない行動に出る気になったのは、何を隠そうこの男が私に前々から浅からぬ好意を持っていたからで……と理解及び納得したところで、胸に広がる困惑が晴れることはない。
 自分の得手不得手について人生開始早々から分析を始めていたこのなまえさんにとって、いかにすれば自身を底上げして売り込めるだろうかという思考は、もはや習性と言って差し支えない程に身体に染み付いてる。(だからこのゲーム世界でも信念を持って愛嬌勝負に持ち込んできたし、故に私は今でも生きていられて、こうして日々金儲けに精を出していられるのだ。)

 けれど、いくら絶望的な男女比で成り立っているこの世界だとしても。
 いくら、女だというだけでそこそこ大切にしてもらえて、そこそこ有り難がって貰える環境だとしても。
 ろくに接点もない男からこんな風に熱烈な思いを向けられることすら当然と艶やかに笑って片付けてしまえるほど、私は自信家ではないつもりだ。

 だから。意外性に満ちた優しい力で掴まれた肩はじんわりと熱を持ち始めていたし、酒だけではない赤で染まった眼差しに胸はどくりどくりと高鳴っていたし、不慣れな様子で懸命に好意を伝えてくれる大きな身体を──つい先程まで存在自体を忘れていたようなこの男を──"可愛い"と思い始めている自分を、認めないわけにはいかなかった。



  ***


 勝手知ったるなんとやら。
 独り占めしたソファですっかりくつろいだ様子で足を投げ出している男は、ニヤリと口角を上げて私を手招いた。
 玄関先まで見せていた人の良さなどコートと一緒に脱ぎ捨ててしまったその姿には、思慮深さも包容力も紳士的な印象もこれっぽっちも残っておらず、もはやただのチンピラと言っても差し支えのない素行の悪さしか確認できない。
「お前、この間はお楽しみだったらしいじゃないか」
 近寄れと示しておいて、座れるだけのスペースも作ってくれないのがこの外道だ。
 雑な仕打ちに舌打ちを返すのも面倒で、仕方なくソファの下にぺたんと腰を落ち着ければ片手間のような気安さで頬を撫でられる。
「"この間"って、どれのことですか?」
 バラ達と岩石地帯のモンスターを誰がより多く狩れるか競争したことだろうか。それともその後、案の定最下位となった私が賭けの負け分を身体で支払って大満足したことだろうか。はたまた、秘薬作りが趣味の魔女とマッドが売りの博士がタッグを組んだという噂を確認すべく勝手に探索に赴いたことだろうか。いや、案外普通のこと……例えば"送還"の仕事が順調に片付いて懐がホクホクということを指しているのかもしれない?
 心当たりが多過ぎる記憶は、手繰っても手繰っても余計に迷子になるばかりだ。だから考えることを早々に放棄し、小首を傾げて見上げることにした私の行動は間違ってはいないし、まして責められる謂れがあるとは到底思えない。
 けれど私の思考なんてまるっとお見通しだろうゲンスルーは、ただただ可愛らしく振舞うか弱い乙女の額へと指を動かし──身構える間すら与えることなく"ばちん"と弾いた。デコピンと呼ぶには、あまりにも遠慮のない一撃だ。
 ふぎゃん。潰れた蛙のような悲鳴と共に身を捩ってみたところで、外道を地で行く男からは謝罪の言葉も心配の声も降りてはこない。仕方がないから一通り呻いて睨んだところで終わりにしてあげる私はなんて寛容なのだろう。

「とぼけんなよ。うちのチームの朴念仁に告られたんだろうが」
「……ああ、ジェフのこと。へぇぇぇ、男所帯でもそういう下世話な噂って回るもんなんですねぇぇぇ」
「ふん。で、どうだったんだ? あんなナリして、アイアイで手を打つこともしねぇで溜め込んでる純情野郎だからな。さぞや美味かっただろう?」

 精々嫌味ったらしく聞こえますようにという思いも虚しく、受け止めたゲンスルーに気分を害した様子は見られない。それどころか下世話さに輪をかけて投げ返してくるのだから、本当にこの男の性根は救い難い程に捻じ曲がっている。
 単語を選択するセンスも、心底楽しんでいるだろう口調も、仮とはいえチームメンバーを見下し切った態度も"人として最低"だけれど、ダントツで捻じ曲がっているところを挙げるならば、あの夜のことを口にする男がその後の顛末など知らないわけがないのに、あえてこうした遣り取りで私を嬲ろうとするところだ。

 そう、この男があの夜の全てを知らないはずがない。
 だから私は、ニヤニヤとゲスの極みを突き進むこの男に対して浮かべられる限りの非難を眉間に示しながらも、結局のところその不快感すら楽しむように、彼の手をとってしまう。そして拗ねたふうに尖らせた唇をこの筋張った硬い手のひらに落とすのだ。……あの酒場で会った男より細く薄い、けれど意地悪な器用さでもって女を追い込むのが上手な小憎たらしい指が並ぶ、私より大きい手に。

「いじわる、言わないでください」
「"いじわる"ねぇ。お前のことだからてっきり、二つ返事で食うと思ったんだがなぁ?」

 クククと人の悪い笑みをこぼすゲンスルーが導くのに任せ、引き上げられた上半身を寝そべったままの硬い胸板にもたれ掛からせる。
 従順な私に益々気を良くした男は、そのよく動く指を早速活用することに決めたらしい。無防備な私の肩甲骨の間を始点にして腰を目掛けてすーっと滑らせ、辿り着いたかと思うと今度は脇腹あたりを重点的に、じんわりと、ゆっくりと、行ったり来たりを繰り返した。

 情欲の火を灯すには幾らか足りない刺激は、けれどもこれから始まる長い夜を見据えた前戯の一環としては随分と丁寧で甘やかなもので、これがゲンスルーではなく誰かもっと別の──例えば恋人と言って然るべき関係の──男性によるものならば「愛されている」という喜びに打ち震えたことだろう。

 しかし、現実の私たちはそうではない。相手のゲンスルーは外道の限りを尽くす爆弾魔で、私は彼らの玩具だし、もっと言えば私と彼との間には感傷など無縁の快楽しか存在していない。一方的に奪うような行為にも飽きたから、今度は与え合うような甘ったるい時間を過ごすようになっただけで。

 つまりは全て、"こうしている方が気持ちいいから"というだけに過ぎない。

 だから私は、甘い吐息を漏らしながらお返しとばかりにゲンスルーの実は結構筋肉質な二の腕や首筋をそっと撫で上げる。
 そして、この甘やかで柔らかな触れ合いが後戻りの出来ないところまで到達した暁には、どうしようもなく飢え切った身体を押し付けて淫らに強請ることになるのだろう。ゲンスルーが気持ちよさそうに眉間に皺を寄せる姿を楽しみながら、熱が集まる下半身に自分から丁寧に舌を這わせて、舐め上げ、吸い込み、やがて放出されたモノを恍惚と嚥下し、その私を一番気持ち良くしてくれる彼の雄を私の身体の最奥目掛けて力強く捩じ込んでもらって──そうすればゲンスルーはきっと今夜も、外道な彼にしては意外なほどのマナーの良さでこの身体を貪り、堪能し、満たしてくれるだろう──と予言できる。できてしまう。

 一片の強要も脅迫も存在しないまま濃密な夜を共有する私たちは、下手に恋情の絡んだまともな恋人に対する時よりも、きっともっとずっと大胆に欲求のまま身を委ね合っているに違いない。

 尤も、女を玩具としてしか扱わないゲンスルーに世間一般で言うような対等な立場で愛を与え合う"恋人"が居るとは到底思えないし(事実サブたちによると居ないらしいし)、ハンターなんて裏稼業に若くから足を突っ込んでいる私の恋愛遍歴も当然自慢できるようなお綺麗なものでもないから、結局は"まともな恋人との逢瀬"なんて縁がなさ過ぎて比較すらできない都市伝説だし、こんなこともただの戯言に過ぎないのだけれど。

「たまには、あの手の単細胞を相手にするも悪くないだろう?」
「単細胞って酷い……いや、そりゃあ、結構可愛かったんですけどね。でも、"格下の男に寝取られる幹部"なんて格好悪いじゃないですかー」

 許された喉元に唇を落として囁けば、くいと顎を掬われる。続きを話せという催促だ。

「"幹部の女がチームの構成員に手を出す図"ってのはありがちですけど、その幹部が好青年で優男な場合は度量って言うより悲哀が強調されちゃいそうですし」

 どう聞いても悪口だけれど、この場合は他でもないゲンスルー自身があえてそう見せているのだから文句は言わせない。

「そんな"可哀想で格好悪い男"の"恋人"なんて御免ですもん」

 それだったら、"そんな幹部に一途な女"の方が価値が高いでしょう?と言い終える前に、身を起こした男が窮屈な姿勢も物ともせず私の言葉を奪ってしまったから、それっきり為す術もなく深い口付けに翻弄されることとなる。



「救いようのねぇ女だな、お前は」

 やがて唾液とともに流し込まれた「小賢しい」と嗤う声すらも、今日この夜では思い違いではなく確かに称賛を含んで聞こえた。



(2015.05.11)(タイトル:亡霊)
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