■ まだ私が取り残されたままの世界

「無様だな。しかし、なかなかしぶとい。さすが……死に損ないの娘だ」
「……あなたは、随分と性根から腐っておられたようですね」

 土と埃と血でボロボロの私に対して、余裕たっぷりという様子で偉そうに上空で漂っているこの男。
 その表情まではよく見えないが、先ほどから降ってくる言葉がどれも嘲りに満ちていることさえわかれば充分だ。かつて、居場所を無くしたばかりの私が出会った、逞しく優しい案内屋の男はもう居ない。記憶の中の壊神さんは、懐の深さに見合うだけの能力を持つ爺様と豪気が似合う若者たちの後ろで、いつも苦笑を浮かべていた気がする。貧乏くじを引くというのか、現実的だというのか、彼らの多少の無茶はいつもこの人がうまく処理していた。
 そんな"中間管理職の悲哀"なんて言葉を冗談交じりに呟きたくなるような姿が、私は結構好きだった。まるで、あの"家"であからさまに私を贔屓する姉様の横で、そんな"神様"に頭を抱えながらも結局最後は一緒に甘やかしてくれたあのお世話係を見ているようで……なんて。

 遠い記憶の中のどのシーンを振り返っても、こんなに汚くねじくれた鬱屈さを纏う"壊神さん"を見つけることはできない。けれど当時の私にはわからなくて、今の私にならわかることもある。
 誰だって、望んで"そう"あるわけではない。どんなに自然な姿に見えたところで、それが本人が思っている"本当の"姿とイコールだとは限らない。私には見えていなかったというだけで、壊神さんはあんな風に笑いながらもずっと……こんな闇を抱えていたのかもしれない。──"神様"だった姉様が、その実ずっと世界を疎んじていたように。


「おいテメェ、オレの妻になんてことをしてやがる!」

 何か白いものが目の前を舞った、と認識した直後に耳へと入ってきたのはよく知った声だった。男の視界から私を隠すように現れたガクは、そのままガルルと壊神を睨みつけている。今にも(文字通り)噛み付きそうだ。
 ああ、なんで君が此処にいるの。姫乃ちゃんや明神たちと一緒に、先に行ったんじゃなかったの。
 私は大丈夫だからって言ったでしょう? 後から行くって、すぐに追いつくからって言ったでしょう?
 こんなボロボロの姿、見られたくなかったのにな……まったく、なんで戻って来ちゃうんだよ。愛しい幽霊をうっかり熱くなった目頭のまま軽く制して、その横をするりと抜けた私は今度こそ男をまっすぐ見据える。
 けれど、変わらない距離と能力差の上でも、少なくとも心だけは果敢であろうとした私に落とされるのは……ただひたすら侮蔑に満ちた嘲笑だった。

「ほう、これはなんとも主人思いな……見ていたが、随分と面白い犬を飼うことにしたのだな。しかし、考えてみれば霊体相手とは上手くやったものだ。そもそも相手にタネが無いのなら、子が成せないお前でも問題はないのだからなぁ。いやいや、これは盲点だった。たった一人残された惨めな子供を後見することにしたあの時に、まさかこんなに見境のない売女に育つなどと誰が思っただろうか」
「セクハラっていうか、侮辱も甚だしいですね。知っていました? 今の世の中って、そういう発言にかなり厳しいんですから」

 ……咄嗟に、余裕の顔つきで笑ってみせることには成功した。けれどもにやりと歪めて強がる唇のずっと下では、誤魔化しきれない動揺が心臓をうるさく跳ねさせるからからたまったもんじゃない。
 今の壊神さん……いや、幽灯大師観照の声は後ろの彼にもしっかり聞かれてしまった。ああ、嫌な気分だ。本当に、何処までも悪趣味なことばかりしてくれる。
 立つのがやっとなこの足では観照の位置まで行くことは出来ないけれど、攻撃を当てることはなんとか出来るだろう。けれども、緻密に編んでいた術式はあと数段で完成というところまで来ていたのに、またも奴の手によって発動の機会を逸してしまった。


「さて、残念だがそろそろこの辺りで終わりとしようか。お前は時間稼ぎのつもりだったのだろうが、それはこちらとて同じこと。……さあ、せめて今度は仲良く逝くがいい」


 凄まじい音と衝撃と共に、視界が砂で覆われる。
 咄嗟に目は瞑ったものの、空気と一緒に土の匂いと粒子を吸い込んでしまったから大変だ。岩壁が崩れたのだろう。気を取られた一瞬の間に、観照の気配は消えてしまっていた。代わりに周囲に満ちているのは……
「……大丈夫だ。なまえには近寄らせない!」
 後方に現れた陰魄たちが、ガクによって一瞬にして薙ぎ払われたのがわかる。
 馬鹿になった耳ではよく聞き取れなかったが、なんとなく叫んでいるだろう内容も理解できた。
 ゲホゲホとみっともなく咳き込むのでやっとの私とは異なり、この悪状況の中でもコートをはためかせて戦うガク。もはや、陽魂たちが生前の記憶の延長として「感じて」いるだろう視覚も嗅覚も、彼を縛る枷にはならないというのだろうか。
 ああ、いったいこの人は……どこまで強くなるのだろう。どこまで極めてしてしまうのだろう。


 相変わらず目は痛いし鼻は気持ち悪いし、口にもじゃりじゃりとした嫌な感覚と土の味が広がるし、ついでに耳もまだおかしい。それでも、私にだってできることがあるし、したいことがあるし、やらなきゃいけないことがある。さあ、早くここを突破して、今度こそみんなの元に追いつかなくちゃ。
 そして、不幸と悪夢に酔ったあの哀れな魂に、今度こそ終わりを差し上げようじゃないか。
 こうしてはいられないと喝を入れると、方向感覚を取り戻すように足にぐっと力を入れて立ち上がる。

 頼りになる恋人の勇姿に見とれるためでも、その背中に守られるためでもなく、死者に胸を張れる生者であるために。



(2014.12.21)(タイトル:ロストブルー)
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