| ■ きみが愛した回り道 こんな不吉な島にも、月の光は柔らかく降り注ぐのね。 なんて少々感傷的な気分になりながら月光浴を楽しんでいると、ふわりと気配が現れた。 「……なまえ」 空気を揺らすことがない、理屈で言えば存在しない筈の息は、けれども確かに声となって私の鼓膜を震わせる。 「おや。交代までにはまだまだ時間がある筈だけど。っていうか、今夜は私で最後よね?」 「……なまえに、会いに来た」 「なにそれ。……もう。ちゃんと休まないと、後でしんどくなっても知らないからねー」 肉体の無い幽霊にも……いや、魂だけの存在だからこそ余計に、彼等にも休息時間というものが必要なのだ。極端な話、魂の形すら取れない程に消耗すれば、待っているのは反撃も出来ず陰魄の餌となるか消滅するかという危機である。 だからこそ、せっかく交代制にしたというのに。けれど「仕方が無いなぁ」と漏らした呟きが、拒否の声音とは程遠い響きであることを自覚して苦笑する。 「ほら、ぼうっと突っ立ってないでこっちおいでよ。せめて形だけでも寛いで、俺は休んだんだーって思い込めば?」 ぽんぽんと隣を叩いて示せばあっという間だ。次の瞬間には長身の幽霊は触れる程の至近距離から、私を見つめていた。けれど……こんなに近くにいても、触れはしない。陽魂状態の"今の"ガクの指は、けれども"今の"私には"まだ"届かない。 「俺に、なまえと離れる『休息』など必要ない。お前の傍に居ることこそが……いや、それは今はいい。それよりも……見張りはオレがするから、休んでくれ」 順番は皆で決めたでしょう、だとか。これくらいなんてことないから、だとか。そんな当たり前のことを当たり前に説明していると、ふと三白眼に宿る熱が強くなった。 「ここのところ、ろくに休んでいなかっただろう。せっかく終わったんだから、今日くらいは休むべきだ」 「……やだ。いったい、なんのことー?」 「とぼけなくていい。オレは、知っている。さっきも、見ていた」 みなが寝た後、ひめのんの為に何か作っていたことも。出来上がったものを、ひめのんに渡し終えたことも。おお、さすがガクだね。隠していたつもりはなかったけど、まさか本当に、ばっちり全部見られていたとも思わなかったよ。 「……まあ、さ。ここんとこ地味にハードな展開の連続だったし、非力だって思い詰めてる感じがしたからねえ。あんなものでも、気休めにはなるかなぁって期待だよ」 「でも、あれじゃあ本当に、ただの壁じゃないか」 なーんだ。けれどそこまで……つまり、試しに発動したところまでしっかり見られていたのなら、話は早い。 ガクの言うとおり、いつも私が使っている呪具よりずっと簡易で軽いアレには、雑魚を一掃できる程の能力も無い。ただ、使用者の周囲に壁を作ってはじくだけだ。事実その気になれば、彼女から発せられる無縁断世のエネルギーに波長を合わせて調整してやって、彼女自身への負担は軽いままで高威力を発揮させるものを作ることもできた。 「それでも、あの子には……できる限り刃(やいば)なんてものは持たないで欲しいんだよね。私たちは、やれ陰魄だ、やれ敵だ、って切って叩いて滅ぼしたり昇天させたりしてるけどさ。でも、あの子にその感触は覚えて欲しくないのよ」 ……本当はそれ以前に、あんないい子がこんなところに居ることからして、そもそもおかしいのだ。生と死の境目で、亡霊に命を狙われるなんてさ。本当なら、学校に行って友達と笑って、些細な悩みに胸を焦がして……そんな、ごくごく普通の日々を送っているのが似合う、可愛い女の子なのに。 「多分こういうことは、私たちなら誰もが、ある程度は思っていることなんだろうけど」 澪ちゃんも、正宗くんも、白金くんも、そしてきっと、冬悟も。 勿論、彼らとそんな感傷的な話はしないけれど……肉親にも理解されない角度からしか世界を見られない子供が、選べる生き方は限られているから。ちなみに言えば、理解され、能力を望まれていた私ですら……歩める道は決まっていた。 「『ふつう』のままで居られるのなら、それに越したことは無いんだよ」 降りかかる火の粉ははるか上空で払ってあげたいし、襲ってくる陰魄からは守ってあげたい。断末魔も慟哭も、夢にまで見そうな暗い瞳も、仮初の身体を断ち切った時の妙に軽い感触も、全部全部、知らないままで居て欲しい。 「仮にあの子がそれを望んだとしても、あの子の手は綺麗なままでいてほしいの」 こんな場所まで来てしまった少女に、今更「ふつう」もなにもあったものではないのだけれど。でも。まだあの子は、戻ろうとすれば戻れるところに居るのだから。 「……霊能力者というのは、揃いも揃って難しく考え過ぎる。どうせ人は、遅かれ早かれ死ぬだろう」 ぼそりと呟かれた言葉に、思考が引き戻された。けれども何が言いたいのかまではわからない。 ここで相槌を打つのも、だからといって顔を覗き込むのもなんだか違う気がして、ただ静かに続きを待つことにする。 「そうなってしまえば、見えるも見えないも、関係ないじゃないか。どうせ行き着く先なのだから、少しくらい見えているだけで『ふつう』だとか『ふつうじゃない』だとか、そんな区別を付けること自体がナンセンスだ。ほんの少し、先を見据えることが出来るくらいのものだろうが」 おや。 この幽霊が私の言う事に反論するとは、珍しいこともあるものだ。 「ただ、確かに、ひめのんはいい子だ。素晴らしい女性だ。彼女は傷付くべきではないし、あんな陰湿な根暗どもが住んでいるこんな島は相応しくない。彼女は母親と再会して、一緒に太陽の下で笑っているべきだ。それは当然だ。だが、間違えないでくれ。ひめのんだけが特別なんじゃない。なまえも、もっと自分の事を大切にするべきだ」 ……まっすぐな瞳に至近距離でそんなことを言われた私は、一瞬らしくも無く言葉に詰まった。 え、わ、わたし……? なんというか、話がいきなり端折られた気がする。 「なまえだって守られるべきだ。なまえの手だって、綺麗だ。陰魄を滅したところで、その清らかな手は少しも穢れなどしない。なまえが気に病むことなんて、何一つ無いんだ。ああそうだ、姿や声が夢に出て眠れないなら、オレが子守歌を歌おう! なまえが寝付いた後も、ずっと見守っていよう! そうだ、それがいい! ならばさっそく──」 一人で納得してどんどん話を進めるガクに、ちょっと待ってと慌てて口を挟む。 「だからそもそも、今夜の見張りは私なんだけど」 「問題ない。オレが代わりに見張っていよう!」 「あれ、子守歌を歌ってくれるんじゃなかったんだ?」 「……ハッ! じゃ、じゃあ、代わりに焔狐を見張りに置いておくから……」 見事にバタバタと手を振って慌ててくれるものだから、もう微かにしか残っていなかった真面目な空気など、完璧に止めを刺されて霧消してしまう。いつも通りの一人賑やかな姿に吹き出すと、くすくすと湧き上がってくる笑いの発作を止める気にもなれないまま、立ち上がる。 「やあね、冗談だって。でもまあ、じゃあお言葉に甘えて……今夜の見張りは代わってもらおうかな。焔狐じゃなくて……『ガクりん』に」 え、と顔を上げるガクに笑みを返すと、私はさっさと後ろを向いた。……なんとなく、彼が来た理由ってのが分かった気がしたから、正直今はあまり顔を見たくないのだ。その、なんというか、まさか私が気遣われるなんて。ああ、恥ずかしいし……正直、どうにも、くすぐったい。 けれど、兎にも角にも嬉しかったということだけは、伝わったらいいな、なんて。ああ、らしくない。 「……それに、さっきのはただの一般論。変な夢なんて見ないから、私は今夜もひとりで平気よ」 「じゃあ、おやすみ……ガク」 ああ、やっぱり二度は言えなかった。恥ずかしすぎる。 まあ、それでも、たまにはいいかもしれないね。期待以上の明るい返事を背中に聞きながら、さてこの熱くなった頬をどうやって冷まそうかと考える。 *** 「え、これって何ですか?」 「んー? ふふふ、ちょっとした仕掛け式の道具だよ。頑張ってる姫乃ちゃんに、おねーさんからのプレゼント」 こう持ってね、ここの角を押しながら、この部分に意識を集中してごらん。昼間みたいな低級なら、数匹群がられても大丈夫な程度の防壁が出るからさ。びっくりした様子で手の中の小箱を見つめる姫乃ちゃんが可愛い。さりげなく後ろから腕を回し、小さく柔らかい少女の身体を包み込む様に使い方を説明する。 「まあ、もちろん効果を過信するのは駄目だし、無茶は禁物だよ。本当はこういうのも、冬悟に知られると良くは思われないんだろうけど……でもさ、女の子としては、これくらいの自衛手段があってもいいと思わないー?」 「……なまえさん……」 「えへへ。ってわけで、冬悟には一応、バレちゃうまでは秘密ね」 くるりと回転した小さな身体は、今度は意識を持ってぎゅっと抱きついてくれる。 ありがとう、ありがとう。泣きそうな声を胸に受けながら、さらさらの髪を一房手にとって、つやつやのそこにそっと唇を寄せた。 「こちらこそ、喜んでくれてありがとう」 (2014.12.21)(タイトル:亡霊) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |