| ■ これはきみが咲かせた花 ピンポーンと呼び鈴が響く。 この場所まで訪ねてくるような人間は限られている。おまけにそれが今夜ともなれば、誰かなんて確かめなくてもわかる。 「やあ、なまえちゃん」 「こんにちは! 会いたかったぁ」 ほら、やっぱり。扉を開ければ満面の笑みで腕を伸ばしてくる愛しい恋人の姿があった。 石垣の学生時代の先輩だという彼女と、知り合ってもう数か月。笹塚にとって今やただの"石垣の知り合い"ではなく"恋人"になっていた。縁とは実に不思議なものだ。出逢った時には、こんな未来は想像すらしていなかった。 「今日はまた、一段と大荷物じゃないか」 彼女の足元のトランクに目を落として言う。小さい型とはいえ、気軽に持ち運ぶサイズでは無い。 「言ってくれたら、迎えに行ったのに」 「ありがと。でも、そんなに重くないんですよ。嵩があるだけだし大丈夫」 それくらい甘えてくれてもいいのに、とトランクへ伸ばした手は、さりげなく遮られた。 「明日は、どこか行きたいところある?」 「うーん……笹塚さんは、どこかあります?」 「俺はいいから。なまえちゃんの希望を教えてよ」 せっかくの非番だしさ。声をかけると、少し考える素振りを見せた彼女はけれどもすぐに笑って言った。 「……なら、笹塚さんのお部屋でのんびりしたいなぁ」 「本当にそんなんでいいの? 連休なんて、滅多に無いのに」 明日明後日と二連休、派手なものではないが、なまえと予定を合わせることが出来る貴重な日だ。気を使ってくれるのは確かに有難いが、我慢をさせるのは忍びない。 「なら……そうだなぁ。明日お天気がよかったら、久しぶりに釣りに行きたいかなぁ。この時期って、どうでしょう?」 「んー、まあ時期的にも問題は無いし、上手くいけば結構釣れると思うよ」 「よし。じゃあ、いっぱい釣って、明日はそれを肴に飲みましょう。靴とか服とか用意するんで、向かう前に家にも寄って下さいね」 言われてようやく気が付いた。 「ああそっか……ごめん、こういうのはもっと先に聞かなきゃいけなかったな」 来てもらってからさてどうしようと尋ねても、遅いのだ。特に女性には、あれこれと用意があるだろうに。 「今夜も、美味しいものを作って食べて、飲みましょうね」 しまったと迂闊さを呪う笹塚に、気にする風も無く返される笑顔。失敗を責める様子も見せずトランクから食材を次々と取り出すなまえは、本当にいい女だと思う。そうと決まればと、笹塚も腕まくりをしてなまえが持参したものを眺める。 「さて。なまえちゃんは、今日はどんなのが食べたいのかな?」 なまえが食材を買って来て、笹塚が腕を振るう。彼女が家に来るようになって早い段階からこれが二人の夕飯のパターンになっていた。 「ふふふ、楽しみ。笹塚さんてば、そんなに上手なんだから普段から作ればいいのに」 「自分の為に、わざわざ一人分だけ用意するってのは結構、面倒くさいんだよ。……なまえちゃんだってそうじゃない?」 「あー……まあ、疲れて帰って来て、それで時間かけて料理するのは、確かにやってられない時もあるけど……ていうか、そう。そうなんですよねぇ。最近、つい大鍋で作って、数日かけて食べるっていうパターンが恒例になりつつあり……」 ため息を吐くなまえの言葉は学生時代によく聞いた台詞で、笹塚はクスリと笑った。今も昔も、独り暮らしをする者が一度は陥る状態らしい。 「……私でもこんな感じなんだし、刑事さんとなればなおさらですよね、すみません。そして、今日もお任せしてしまってごめんなさい」 「いいよいいよ。俺もさ、誰かのために作るのは嫌いじゃないし、それになまえちゃんが俺の作ったものを食べてくれるの、凄く好きだし」 「ありがと。私も、笹塚さんが作ってくれるご飯、大好き」 せめて手伝わせてという申し出も、何度もあったが全て断ってきた。勿論、嬉しくないわけでは無い。だが、自分のペースで進めて、せめてこの狭いキッチンで出来得る最上のものを作り、彼女に食べさせてあげたかった。それは、なまえとの食卓にかける、笹塚衛士のささやかで大きなこだわりだった。 *** 「えへへ、いただきます」 手を合わせていただきますと言う。それだけのことと言えばそれだけのことだが、しない人間よりする人間の方が笹塚は好きだった。けれどなまえが相手なら、たとえ無言でも気にならなかっただろう。一度気に入ってしまえばどんなところも好ましく見えて仕方がなくなるという自分の贔屓目の激しさに、彼女のおかげで気づいた。 「あー、もう、すごく美味しい! 凄いです!」 幸せだと頬を緩めて、一品一品を堪能する姿はとても可愛くて、笹塚の口元にはまた笑みが浮かぶ。自分の作ったものを、無防備に口にする彼女。自分の手を通ったものが、彼女に吸収され、一部になり、彼女を構成するものになるのだと、ぼんやりと想像する。ああ、なんと甘美なことだろう。心の奥深くに眠らせた所有欲と支配欲の存在を自覚する瞬間だった。 「これなんて、生姜の使い方が絶妙過ぎで。本当に、笹塚さんお料理上手ですよねぇ」 「喜んでもらえて、よかった」 嬉しそうに箸を進める手元は、いつ見ても目を奪われる鮮やかさだ。 以前こうした関係になりたての頃、魚を丸のまま出して、しまったと思ったことがあった。だが、心配する笹塚を他所になまえはごく自然に、乱れのない箸使いで器用に食べ切った。自分が作った料理を喜んで、味わって、美味しく、美しく食べてもらえるなんて、本当に腕の振るい甲斐があるというものだ。 けれど、独りの食卓とは違うこの幸せな時間は、同時に失くした時間を思い起こさせる。 「笹塚さん……?」 「ん? ああ、ごめん。ちょっと上の空だった……」 そっか、と呟いたなまえはけれども心配そうな表情をすぐに消した。意図的な切り替えを前に、笹塚の胸にも違和感が生まれる。何か思うことがあったのだろうか。そう思うも、先にはぐらかしてしまった笹塚には今更どうすることも出来なかった。 *** 食べ終わった食器を片付けて、かわりに新たな数品とグラスをテーブルに置いて、酒飲みの時間が幕を開ける。 もっとも、献立によっては夕飯時から飲み始めるのも珍しくない。今日は単純に、白米が進む食卓だったから別になっただけである。 「実はですね、同僚から美味しいお酒を教えてもらいまして……」 なまえはトランクから酒瓶を取り出した。一本、二本、三本。 「……おいおい、何が『そんなに重くない』だって?」 一升瓶が三本に、先ほどの食材に、他にも彼女の細々としたもの……それらが入ったトランクが、重くない筈が無い。 「え、でもほら、タイヤもあるし本当に平気だったんですよー」 「いいから。今度からは、ちゃんと連絡してくれよ」 「……はぁい」 素直な返事がそのまま素直な結果に結びつくのなら、苦労はない。 もっと強引に迎えに行けばよかったと笹塚は息を吐いた。 (2014.03.23) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |