■ 下

 まさか、こんなタイミングでなまえちゃんを連れてここに来ることになるとは……。
 今日に至るまで何度も思ったことをまた繰り返していた笹塚は、ふと気が付いた。そもそも誰かとここへ来たのは、数少ない親戚と共に来たあの納骨の日くらいではなかったかと。

 復讐と言う誓いに生かされ、誰も心の内に立ち入らせる事なく生きてきた自覚はある。恋人などという綺麗な言葉の下、欲求を満足させる程度の女と関係し、やり過ごし、じきにそれすら面倒になって切り捨ててきた。そんな誰かと共に生きることを放棄した自分が誰かをここに連れてくるなど、どう考えたって有り得ないことだった。
 なのに、どうして今こうしているのだろう。
 誓いは今も胸に刻まれている。憎しみは仇に近づき業火となっている。けれども傍らにいる女性は、決して使い捨てなんかじゃない。今度こそ守りたい大事で愛おしい存在だ。

 少し離れて聞こえる靴音に笹塚が振り返ると、なまえは慌てて駆け寄ってくる。そう言えば、車から降りた時もきょろきょろと視線を動かしながら「広い……」と呟いていた。
「……霊園が珍しい?」
「あー……うん。こういうとこは、初めてで。うちのとことは随分違うな、って」
「へぇ。なまえちゃんのとこは、どんな?」
「えーと……うちは、裏山にお墓があって一族が……あ、まあ、私の話はいいよね」

 顔を赤くして焦ったように切り上げる姿に、それ以上聞けもせず笹塚はただ曖昧な気持ちで頷き返した。
 そういえば、自分は彼女の実家や身の上については、殆ど知らないままだと気が付く。ふと話す内容やさりげなく見せる綺麗な所作などから、なんとなく地方のいいところのお嬢さんなのだろうかと思っているくらいで。けれど、それにしたって。どうしてその"お嬢さん"がこっちの大学に来て、その挙げ句に履修と全く異なる分野に就職しているのだろうかとか、改めて気にしてみればまだまだ謎は多い。
 そろそろ踏み込んでもいいのかと笹塚が考えはじめた時にちょうど、二人の足は目指していた一角に辿り着いてしまった。

「あ、ここが、うちの」

  ***

 久しぶりの墓前への報告は、いつもより随分と長くなった。
 進展のあった]についてのことだけでは無論無い。久しぶりの墓前では、報告すべきことはたくさんあった。たとえば、いつの間にか驚く程に賑やかになった、自分の周囲について。
たとえば、昔何度か家に呼んだことのある笛吹と筑紫について。そして、突然連れて来たこのなまえという女性について。

 最後に、いつもは言わなかった……感謝の言葉も。

 照りつける太陽の下、じっと墓前に佇む笹塚に、なまえは静かに寄り添っていた。
 平日の霊園には人の姿もまばらである。都会の喧騒から離れ、現世の憂から離れたこの場所はどこか別の空間のようにすら思えてくる。
 その中でただ、蝉の声だけが流れる時間を繋いでいた。

  ***

 帰りの車内にこれといって会話はなかった。けれど、特に居心地が悪いという気もしないのだ。少なくとも、笹塚としては。
 赤信号をきっかけに、笹塚はそっと助手席へと視線を向けた。オーディオから流れる音楽を楽しむ姿は、普段の彼女と何ら変わりはないように見える。

「今日さ、付き合ってくれて、ありがとう」
「え、ああ。こちらこそ、連れて来てくれて、ありがとうございます」
「……そこで礼を言われると、変な感じだな」
「そうかな? 笹塚さんに随分とお世話になっている私としては、ようやくご挨拶出来て本当に嬉しかったんだけど」
「そっか。まあ、ならいいんだ」

 偽りや計算ではなく、本心からの行動と発言だと分かるので、その言葉はありがたく受け取ることにする。掃除や始末に至るまでの手慣れた振舞いを思い出して、再びなまえの実家に興味がわいたが……今尋ねることでもないかと思い直す。
 再び二人の間には沈黙が訪れるが、やはり苦にはならない。おそらくなまえも同じだろうと今度はなんとなく想像がついた。

「……本当に、今日はありがとう」
「もう、どうしたんですか本当に」

 クスクスと笑うなまえは、笹塚にはとても眩しく映った。


 居心地のいい、優しい時間に、可愛い恋人。
 誰かにこんなに優しくしたくなるのは、本当に久しぶりだった。
 誰かがいるという安心感に溺れるのも、本当に久しぶりだった。
 否、久しぶりどころか、初めてだと言ってもいいかもしれない。
 そう思えるような相手を、幸福な今の自分を、彼らに報告できてよかったと思う。

 けれども、飼い育て続けた凶暴な獣は、今この瞬間も笹塚の身の内に在り続けている。
 手を汚すことも差し違えることも厭わない狂った獣を飼う自分は、きっといつか彼女とは道を別つことになるだろう。そして彼女を、傷付けることになるだろう。なまえの為にも自分の為にも、さっさとこの手を離すべきだともわかっていた。

 それでも、この時間が惜しくて、この温もりが恋しくて、無理やり思考に蓋をする。
 行き着く先が、地獄だとしても──

「ねえ、なまえちゃん……好きだよ」

 笹塚の声に、なまえは嬉しそうに微笑んだ。



(2014.03.25)(リンドウの花言葉……サクッと調べるとこんな感じで出てきます。「あなたの悲しみに寄りそう」「悲しみにくれているあなたを愛する」「悲しんでいるときのあなたが好き」「貞節」「淋しい愛情」「誠実」「正義」「勝利」)
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