| ■ あの日の話 「こういうの、好きじゃないとは思うんだけど……」 気まずそうに差し出された手の中を見て、笹塚衛士は首を傾げた。珍しく気弱な調子で声をかけて来たから、何かと思えば。何を恐縮する理由があるのかわからない。だってどう見ても、これは……。 「お守り……だよね?」 きなり色の小さくて薄い袋をひょいと摘み上げて、まじまじと見つめる。一見よくあるお守り袋だが、裏にも表にも神社の名前やご利益等の装飾はない。 「えーっと、マイナーなんだけど、うちの地域ではちょっと定評のあるお守りで……なのでその、よかったら、持っていてもらえると……」 声も態度も小さくなるなまえに、笹塚は軽く息を吐いた。胸の奥がくすぐったい。 「(やれやれ、朝から何を緊張しているのかと思っていたら……)」 警察官と言う職業柄、家族や恋人から渡されるお守りを持つ者は少なくはない。笹塚自身は神仏に期待など持てなくなっていたし、神頼みなど無駄でしかないと思っていた。だがそれでも、こういった"形"に込められる贈り主の心まで否定するつもりはなかった。 「ありがとう。なるべく、持ち歩くようにするよ」 「……へ!? ……え、本当に持っていてくれるの!?」 感謝を込めて伝えた筈の言葉に大して心の底から予想外だと驚く態度を返されて、そのあまりの勢いに笹塚の方がひるんでしまう。そんなに意外に思われるなんて。 「おいおいなまえちゃん、俺を何だと思ってんの。……俺を案じてなまえちゃんが用意してくれたんだろう? だったら、ありがたく身に着けるよ」 *** ……そう告げた時の、なまえの不思議な表情を笹塚は今も覚えている。 拒絶されなかったことに対しての安堵と、受け取られたことに対しての喜びと。そして、それにしては、妙にどこか違和感を禁じ得ないあの表情に含まれていた感情は、ひょっとしたら悲しみだったのだろうかと、笹塚はふと思った。 特に理由は無いけれど、なんとなく。なんとなく。そんなことを今更思ったところで、どうにもならないのだけれど。 *** もはや力の入らない身体を、以上な強靭さを誇る細身の女に吊り上げられ、ただ嬲る為だけの言葉を投げかけられる。そんな明らかに八方ふさがりな状況において、死を待つだけの思考の片隅を使って恋人の事をぼんやりと考えているなんて随分贅沢なことだと思う。 ……いや、正しくは恋人ではない。ここに来るまでのやりとりで、もう"元"恋人としか言えなくなってしまったのだが。 「読み終わった。もういいよ、パパ」 「では、バイバイ」 場違いな程に平淡な女の声を受け、当然のようにシックスが引き金を引き────けれども次の瞬間シックスは、ほうと感嘆の声を上げていた。 引き金を引いた感触はある。けれどシックスの目の前には、数秒前と何ら変わらぬ姿の笹塚衛士が存在している。最悪を極める新種である彼の優秀な眼球は、今起こった事態をしっかりと捉えていた。放たれた弾は確かに笹塚衛士の頭部へと向かい……その皮膚にめり込む直前で"はじかれた"のだった。それが、笹塚衛士自身の関与しない事態であることは、当人の様子を見れば一目瞭然である。 ならば、この男以外の、"誰か"の意志によるものだろう。そして、このような小細工を行いそうな存在にも心当たりがあった。 「ネウロ……か?」 「ううん、パパ。多分……こっちだと思う」 笹塚衛士の服の隙間へと手を入れてたイレブンがそこで見つけた小さな袋をシックスに差し出す。染色前の布の色をした無地の小袋は、この島国では守護と祈りの象徴としてありふれた"ガラクタ"だった。しかし、これがただの形式どおりの"ガラクタ"ではないことは、先ほどの事象からしても明らかなことである。触れるまでも無く、一目でその物体の本質を読み取ったシックスが浮かべたのは、醜悪な笑みだった。 守り袋を摘み上げ、戯れる様に指先で弾く。 「これはネウロじゃない。女が渡していたよ」 見た記憶をそのまま話すイレブンの声を聞き流しながら、シックスはくつくつと笑う。 「これはこれは、微力ではあるがなかなか面白い術がかけてある」 人智を超えるイレブンの能力には対応できない程度の可愛い術だ。しかし弾丸にはきちんと反応したのだから、ひとまず褒めてやってもいいだろう。この時代のこの街で、まさかこの手の呪法に出会うとは思わなかった。そう言って、退屈を嫌う男はささやかな感嘆を漏らす。 この予想外の事態はシックスの感情を愉快に揺さぶっていた。その気を変えさせるのに、充分な程に。 守り袋から逸らした視線が捉えるものは、もう充分遊び価値を無くしたと判断した"玩具"の姿である。しかし、それは早合点だったのだと今のシックスにはわかっていた。まだまだ"遊べる"。まだまだこの玩具は楽しませてくれるだろう。 虫の息でだらりと吊るされたままの、自分が生き長らえている状況を理解しようともしていない死にかけの男。 そんな放心状態の笹塚に視線を合わせると、シックスは酷く甘い声で悪魔の取引を囁いた。 「なあ、笹塚衛士よ。この術を用意した女を私に差し出す気は無いかね。そうすれば、ここでお前を見逃してやろうじゃないか」 その瞬間に笹塚の瞳が激情を取り戻したことは、シックスの期待に沿うものだった。相変わらずイレブンに掴まれたままで、腹からは絶え間なく血が流れ、自力では動くことも叶わない無力な身でありながら、追い詰められた獣の目をして自分を睨む笹塚。その光景に、シックスは心底愉快そうに笑みを濃くした。 ほら。やはり、この方が面白い。 「冗談だよ。そこで頷いてしまう人間など、つまらない」 先ほどまでの楽しい愉しい時間を考慮すれば、まだまだ伸びる余地のある狂気だと思えなくもない。おまけに、他にも面白い存在が近くに居るとなれば、なおさらこんなところであっさりと殺すのは勿体ない。 「喜びたまえ、笹塚衛士。君たちに敬意を表して、再度私を楽しませるチャンスをくれてやろう。……お前をここで殺してしまうより、その方がずっと面白そうだ」 このような時代錯誤の術をかける程に、笹塚衛士の事を守りたいと願う女。その女の目の前で、いっそ銃で死んでいた方がよかったと思えるほど、無残に引き裂いてやれば一体どんな慟哭が聞こえるだろうか。いや、笹塚の前で女を殺すほうが効果的か。いっそ"箱"を用意して、愛しい女で"あの日"を再現してやるのも一興……いずれにせよ、楽しみは多い方がいい。 守り袋を踏み躙りながら、シックスはその瞬間に思いを馳せ、醜く顔を歪ませた。 「……引き上げよう。今夜は良い酒が飲めそうだ」 上機嫌のシックスの指示を受け、イレブンはあっさりと手の力を緩める。重力に従って笹塚衛士の身体がどさりと倒れ、傷口から溢れる血がコンクリートに染みを広げていく。 そして── 瀕死の男と怖れ慄く探偵を場に残し、二体の化け物は悠々と立ち去った。 (2014.07.20) [ 戻 / 一覧 / 次 ] top / 分岐 / 拍手 |