■ あんなこんなそんな二人

「確かに、お前を甘やかしてやりたい気分だとは言ったが……」

 これがお前の望んでいた展開なのだとしたら、なんという性悪だろうか。
 数分前の、あの笑顔は何だったのかと、男は複雑な心境で立ち尽くしていた。


  ***


 抱きしめて、口付けて、額を寄せ合って、また口付けて。
 こんな甘ったるい触れ合いを続けていれば、それだけで足りなくなるのは時間の問題だ。そんなことは火を見るよりも明らかで、ならば、名残惜しいが、仕方がない。

「さて。んじゃオレも一風呂浴びてくるが……待てるか?」
「もちろん。でも、寂しいから早く戻ってきてね。で、何か頼もう」
 視線の先に、すっかり減った酒とつまみと、その横のメニュー表があるのは確かめなくてもわかる。
「おいおい、人がせっかく可愛がってやろうって時に、お前は食欲優先か?」
「だってあんな調子だったからお昼もまだなんだもん。さっきのナッツなんかじゃ全然足りないし、せっかくだしお酒の追加も欲しいしー」
 口を尖らせて空腹を訴える女の姿に、微笑みが浮かんでしまうのは仕方がない。
「まあいい。酒でも飯でも甘味でも好きに頼めばいいさ。なんなら、先に楽しんでいてもいいぞ」
 機嫌よく返すと、案の定彼女は驚いたと声を上げた。
「フン。今日はたっぷり甘やかしてやりたい気分だからな」
 だから、オレの嗜好など気にせずお前が食べたいものを好きなだけ頼め。
「なに、気にするな。お前の腹ごしらえが済んだら、次はこっちの番になるだけだ」
 女の頬が僅かに染まる。けれど、ただそれだけで終わらないのがこの女の面白いところであり、困ったところである。
「あら……嬉しいけど、惜しい。今からオーダーするのはあくまで前菜。メインもデザートも、あなた……ゲンスルー以外にあると思うの?」
 そう言った女は、細やかな悪戯が成功したことをクスクスと喜ぶ。

「全部美味しく食べてあげるから、覚悟なさいな」
「おう……怖い怖い。まあ、いい子にしてろよ」

 これ以上やりあっていると風呂に入るどころではなく押し倒すことなりそうなので、なるべく投げやりに聞こえるよう切り上げて風呂場へと足を向けた。
 背後の笑い声が癪に障るが、ここは我慢に尽きる。せっかく綺麗に整えられたベッドがあるのだから。
 不可抗力とはいえあのクズ共に触れた身体と、砂塵を被った頭のままで致すのは、あまり歓迎できることではないからな。そう考えながら手早く服を脱いで熱いシャワーを身に受ければ、今日という一日がとても長いものであったように思い起こされた。

 変わったものと、変わらなかったものと、得たものと……それらはなんと甘美なものだろうか。
 食ってやるのは私の方よと蠱惑的に微笑むドルチェ様に凶暴な欲が溢れ出す。
 さて一体どう食い散らかしてやろうかと、その瞬間を想うだけで身体が昂る。


  ***


「──なのに、どうしてお前はすやすやと!」

 ベッドの上に広げたメニュー表に頬を、オーダーの為だろう連絡器に片手をのせた、残念な状態で意識を手放す女に男は怒りを通り越して脱力を覚えていた。
 そもそも、この現状では注文前なのか注文後なのかもわかりはしない。だが、空腹だと言うのは真実なのだろうから、何もない状態で下手に起こせば限界を超えた腹を抱えて機嫌を損ねるのは目に見えているし、かといって寝かしておいても、後で時間が惜しかったなどと拗ねられるのも目に見えている。三大欲求に素直過ぎるこの女は、それ故にわかりやすく面倒臭い。
「暫く待ってなんもなかったら、適当にオーダー入れて……そんで、お前を起こすとするかなぁ」
 さすがに、こんな色気のない寝姿に欲情して襲うほどには飢えては、少なくとも、今はまだ、ない。そう、今はまだ。たぶん。だから"今はまだ"起こさない様にとそっと伸ばした指で髪を梳きながら、男は静かに息を吐いた。

「まったく……本当に、やっかいな女だ……」



(2014.04.17)
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