■ 高嶺の花に手を伸ばす

「あ……んんっ! っううぅ……ん」

 おかしい。何もかもがおかしい。
 どれくらい経ったのだろう。全身の骨という骨が軋むような、血の一滴一滴が沸騰するような、皮膚の内側から作り変えられるような痛みがふっと消えた。けれど、あれほど切望していた痛みからの解放だというのに、喜ぶことは叶わなかった。痛みの代わりに別のものが襲ってきたから。体温が上昇した気がして、頭がぼうっとなって、酷く喉が乾き始める。

 身の内で暴れる熱をやり過ごそうと手に力を込めれば、まっさらなシーツに皺が寄る。大きく頭を振り、熱い身体を叩きつけるように倒れてみたところでスプリングが軋むだけだった。痛みもなければ快感もなく、もどかしさは何ひとつ誤魔化せないまま。噛み殺せなかった声と共に溢れた涎がぼたりぼたりと染みを広げていくけれど、それを恥だと感じる余裕すらない。

「やれやれ。どうだいなまえ、聞こえているかい?」
「……ふぇむと……?」

 くっつきそうな瞼をこじ開けて、霞んだ視界に男を探す。けれど人影をはっきりと認識する前に、光に眩んだ目が痛い痛いと悲鳴をあげるから……堪らず再び強く瞑った。するとああ、どうしたことだろう。たちまち追いついてきた熱にまたも思考を奪われる。ああ、熱い。熱い。熱くて、疼いて、おかしくなる。
 連れ去られそうになる正気を引き止めてくれたのは、またも彼の声だった。

「……聞こえているならまだマシか。さて君、処理能力を超えて燃え狂った炉をそこまで冷やしてやったのだからこの僕の気まぐれに感謝したまえ。あとの微調整ぐらいは自分で出来るだろう」
「な、にが……」
「その身体だよ。君、変なものを飲んだだろう。愚かしい愚かしいとは思っていたが、まさかここまで筋金入りのど阿呆だとは思わなかったぞ。あやうく人の形をとれなくなるところだったのだから。ほら、聞こえなかったのかい? さっさとこの僕に感謝したまえ」

 やっとの思いで一言を絞り出すと、フェムトはすっかり気が済んだと後ろを向いた。ああ、待って。このまま去られてしまうととても困る。だって、熱くて、乾いて、たまらない。
「へ? 乾くって言うけどさぁ、肉体に合うよう水分量は調整してあるんだから問題はないだろう。だいたい君の場合は発汗でどうにかなるってわけでもないし、自家発電の制御さえできればあとは簡単じゃないかな」
 そんなことを言われても。パチンパチンとスイッチを切り替えて目盛りをいじれば済むような生き方はしていないつもりですよ。
「ねえフェムト、お願い…熱くて……もう……」

 なんだい氷でも差し入れて欲しいのかい。
 呆れた声のフェムトには悪いが、私の目はひらひらと揺れる指に惹きつけられていてそれどころではなくなっていた。熱くて熱くてたまらない。自分でない誰かの熱で冷やしてほしくて、たまらない。自分でない誰かにの手で。その、白い手袋に包まれた長い指で。フェムトという男に。この身体に、触れてほしい。身の内からふつふつと湧き上がっていた飢えの"正体"を今なら言い当てられる。
「あ…あぁ……フェムトの熱を……んっ…教えて……」
「…………」
「…うぅん……ねぇ、フェム…ト……?」
 縋るために伸ばした腕が虚しく宙を掻くけれど、諦めるには至らない。
 どう言えばいいだろう。どう乞えば与えてもらえるのだろう。この熱を冷ますには"それ"しかないと知っている身体をくねらせて佇む影へともう一度手を伸ばす。ねえフェムト、熱いの。お願いだから、その手を貸して。わたしに触れて。この身体に、あなたを教えて。

「──ふむ。なるほどな、指針を見失っては調整が難しいと? 比較対象が必要という訴えはもっともだが、その道具にこの僕を指名するとは! クハハッ つくづく君は傲慢だな! いいぞいいぞ、実に面白いじゃないか!!」
 白い手袋が目の前いっぱいに広がった。
 ぼうっとしているうちに視界が塞がれ、眉間や頭皮に指が食い込む。なんということだろう。獣を従えるように頭を掴まれて喜ぶような自分がいるなんて、今の今まで知らずにいたのに。
「おっと。近くで見ると一段と酷いな」
 何がと問う前にシーツより厚い布で口元を拭われた。気遣いの欠片もない力加減で頬と鼻下を擦られて、ようやくフェムトの言った"酷い"が何を指すのか理解する。なけなしの理性が羞恥の熱をもったけれど、それでも欲望には打ち勝てない。フェムトの手を汚したことを詫びるよりも先に、もっと触れてくださいという浅ましい願いばかりが浮かんで溢れる。

「で? どこから確かめてほしいんだい? 手っ取り早く脳かい? それとも定番のリンパ腺からかい? ああ……けれどやっぱりこういう時は心臓からってのが順当かな?」
「ひっ…きゃ……んっ、あぁ」

 問いの意味を理解するよりも早く、ふわりと服が持ち上げられた。
 するりと滑り込んできた手のひらが想像していたよりずっと冷たくて心臓が跳ねる。けれど驚いた理由は別にあった。火照った身体に心地よく吸い付くこの体温が、布越しとは思えなかったから。いや、確かめるまでもない。今も頭を掴んだままのこの手袋の質感と、胸に置かれている"それ"は全く違うものだから。鼻水と涎にまみれた手袋の行く末を気にしかけたけれど、すぐにそれどころではなくなった。
 心臓の位置を的確になぞる手のひらは、どうやらこれより横を触ってくれる気がないらしい……悪くはない。けれど、こんなものではちっとも足りない。二つの乳房とその先端がむずむずと燻ってたまらない。その大きな手のひらで鷲掴んでほしい。揉みしだいてほしい。硬く主張するそこを摘んで弾いて押し潰してほしい。考えただけでお腹の奥に甘い疼きが広がって、物欲しげな声が喉を震わせる。

 いつもの自分ならば絶対にこんなことはしない。
 けれど、今は、今だけは、どんなに浅ましいことでも出来てしまう。
 あとでどんな顔で取り繕えばいいだろうとか、厭われたらどうしようとか、下手すりゃ命はないだとか、もっと他に解決方法があるのではないかとか。そんな面倒なことを何ひとつ考えないまま、フェムトという高嶺の花に手を伸ばすことすら出来てしまう。

「なんだい? おっと、そこは心臓では──」
 冷たくて心地のいい手のひらを強く引いて、欲しがりな乳房へと押し付ける。待ち望んだ刺激に腰が跳ね、じんじんと甘い痺れが身体中を駆け巡る。自分のものでない体温と知らない皮膚の質感と、これらの持ち主があのフェムトだという事実に達してしまいそうになる。けれど肝心の手の主は別段何かをするつもりはないようで、長い指はぴくりとも動かされない。
 でも、いいのだ。もちろん本当はめちゃくちゃに動かして弄んでほしいけれど。
 でも、今は。とりあえず、今は。この手がここに置かれているということが嬉しくてたまらない。一人上手な私はぞくりぞくりと襲いかかる快感に仰け反りながら、夢中でその手に縋って腰をくねらせる。
「んぁ…あっあっあ、やぁ、これすごっ…ゆびっ…ふぁ、ん」
 敏感な先端に当たるように、角度を変えて繰り返し繰り返しフェムトの手を動かした。視界が不自由な分、妄想が幅を利かせるのかもしれない。たとえこの手のひらの向こうでどれだけ冷めた視線を送られていようとも、見えない世界に浸る私は自由だった。
 けれど、不意にぱしりと払われてしまう。開きっぱなしの唇から不満を漏らせば、ようやくフェムトが言葉をくれた。頭の直ぐ横から吐息交じりに流し込まれる声はいつもより低くてゾクゾクと肌を震わせる。

「まどろっこしいなぁ。発情しているなら発情しているとさっさと言いたまえ」
「……ひぁ…ん…ふぇむと?」
「この肉体に"生殖が生存に結びつかない"という事実を思い出させるには一体どれだけ刺激してやればいいのだろうなぁ、ああ、考えるだけでも面倒くさい。君でなければ胎ごと抉って終えるところだぞ。まあ、心優しい僕の事だから、たっての望みだというのなら性処理用の魔獣の一匹や二匹、合成してやってもいいが……」

 声に合わせて両手をわきわきと動かすのだからたまったものではない。ヘッドマッサージにしては随分と危ない力によって頭蓋骨がめりめりと音をたてようとも、もう一方の手で同じように胸を揉みしだかれてはやめてとは言えない。愛撫とは程遠い動きにすら、悲鳴をあげるどころか絶えずあんあんと甘い声を上げてしまうのだからフェムトが面倒な女だと呆れるのも無理もない。
 女体への配慮などまるでないような手のひら相手に快感を見出してしまえば、いよいよお腹の奥が叫び始める。もっとも、何度も何度も擦り合わせていた足の付け根は、もうずっと水を被ったようにくちゅくちゅと生々しい音を立てている。べっとりと張り付く下着は何の役にも立っていないけれど、何の役にも立たない下着が張り付いていると意識すればまた熱が上がるのだから救えない。
「ぁあ……んっ……、ひゃああん!?」
 頼りない布で隠された敏感な場所をぴんと弾かれて、たまらず声がひっくり返る。びしっびしっ。今度はもっと強い。跳ねるように弓なりになればすかさず下着の隙間から指が差し入れられた。だらだらと蜜を溢れさせている穴の周囲をくちゃくちゃと音を立ててなぞる長い指は、やがて穴の入り口を押し広げ始めた。

 これまで以上に聞くに堪えない喘ぎを垂れ流しながら、けれど私は首を傾げずにはいられない。頭は相変わらず力強く押さえつけられたままだし、胸をいじる手もそのままなのに、なぜ下半身に触れられている感覚があるのだろう。いや、それだけではない。こうして考えている間にも、もう一方の胸への刺激が増えている。ああ、なんてことだろう、今まさに陰核を摘んだのは新たな"手"に違いない。
 誰かいるの? 何か作ったの? きもちよさに押し流されながらも途切れ途切れに疑問を投げると、ハハハとお馴染みの笑い声が降ってきた。
「ただ触ってやるだけじゃあ埒が明かないだろう?」
 時間がどうだとか空間がどうだとか。ぺらぺらぺらぺらと相変わらずの勢いで語られる理論は殆ど理解できなかったけれど、"つまりこのどれもがフェムトの手である"という答えにひとまずほっと息をつく。在り得ないことでも在り得てしまうこの街の、異常の筆頭のようなこの男が"出来る"と言うならそれ以上の理屈は要らない。フェムトに触ってもらいたいという当初の願いは、想定を遥かに超えたスケールで叶えられたわけだ。

 両手の指をクスコのようにひっかけて、大きく広げられたところに何本もの指が突き立てられる。方向も力加減もばらばらに動く指は絶えず溢れる蜜を掻き出すようでもあり、塗り込むようでもあり、もっともっと溢れさせろと促すようでもあり──増えたり減ったりする指先に、いいところを片っ端から擦られ、抉られ、押され、引っ掻かれる。いつもは堅く閉じているその場所がフェムトの指でいっぱいになっているなんてまるで現実感がないけれど、与えられる快感は本物だ。
 勢いに任せてねだったキスに応えてくれたのも、骨ばった指だった。歯列をなぞり頬の内側を撫で、舌の根をぐりぐりと押す指は確かに器用で素晴らしいけれど、欲しかったものが与えられなかったという事実は変わらない。けれどそれを残念だと感じるより早く、ぴんと立ち上がった両の乳首とどろどろに濡れた陰核を同時に扱かれてしまえば全て有耶無耶になった。過ぎた快楽に堪らずきゅうきゅうと膣を締めあげると、みっちりと詰まった指の先がいいところを刺激する。
 すっかり達し慣れた身体はいとも簡単に絶頂を繰り返すのだけれど、それでも満足したとはなかなか言えない。とっくに枯れてしまった喉をよそに、何度達しても達し足りない身体は貪欲そのものの勢いでフェムトの手を欲しがった。相変わらず視界は閉ざされたままで、絶えず響かせていた声のせいか耳も馬鹿になっている。五感をどんどん失って、今ではどこからどこまでが自分の身体かもわからない有様だ。全身が性器になったような、むしろ自分が性器でしかないような……そんな妙な心地よさに囚われながら、わけも分からず何度も何度もフェムトの指を締め付ける。
 果てがないようなこの時間がいつ終わりを告げたのか──それすらも私にはわからなかった。


  ***


「まったく、よちよち歩きのベイビーかい? それとも厭世家ぶったティーンかい? 『得体の知れないものを飲むなと』いちいち注意してやらないと気を付けられないのかね、君は!」
「でもみんな飲んでたし……いやぁ、まさかあれが催淫剤だったとは……」
「なーにが催淫剤なものか、馬鹿馬鹿しい。そんなものを出されるがまま飲むなどそれこそ愚かを通り越して哀れであり、この街から一刻も早く逃げ出すべき凡人の最前列だ! 君は有象無象以下の怠惰の塊共と自分を同列に並べるのかい!? いかに君が愚鈍であろうとも現在のこの街で生きていける程度には──」

 あれれ、微妙に褒められていませんか。早々と脱線した"お説教"に嬉しい引っ掛かりを見つけはしたものの、散々迷惑をかけた自覚はあるので浮かれかけた心をぴしりと引き締める。とはいえまだまだ本調子でない頭にはこのマシンガントークはなかなかに辛く、つらつらと流れるように繰り出される言葉の大部分は"そういう音楽"として右から左へ抜けていく。
 けれど、まあ、誤解を恐れずに言ってしまえば普段だってこんな感じだ。天才と対等に話せるのは同じ天才か狂人くらいなもので、にもかかわらず私とは毎回会話にならない会話が成立している以上、堕落王フェムトにとっては私がどこまで理解できているかなんてことは……そもそもどうでもいいことなのだろう。

「──で、だ。今回の事象がどういった類のものだったかという話だが。大部分は既に分解及び吸収されていたが、この僕にとって君の体内に留まっていた僅かな残りカスから本質を辿ることなど造作もないことだからね。同時に君の不便極まりない癖に自己評価だけはやたらに高いその身体に何が起こっているのかを理解することもこの僕にとっては──」
「え、すみませんそこはもっと簡単に」
「つまり! 効能として配合されていた細胞若返りシステムを理解できないその肉体が、極小で動くマシンを捕食しそれらの持つ術式を捻じ曲げながら吸収しようとしたせいで修復と破壊が極めて短い尺度で繰り返し、それによって──」
「あの、できたらもっと噛み砕いて」
「ナチュラルな人類なら"マシンが排出されるまでの数日間お肌ツルツルぷるんぷるん"程度の効能で済む程度のものを、君の"食い意地"がややこしくして自滅しかけたというハナシさ!」

 汗とか涎とか違うものとか、とにかくあらゆる体液でどろどろのべたべたになったベッドに沈む私の視線の先では、結局汗の一つもかかなかったどころか服の一枚も脱がなかったフェムトが新しい手袋に指を通している。もっとも、よく見れば彼の白衣は私のせいでそれなりに乱れたり汚れたりしているのだけれど、そっちは放置でいいらしい。
 あまりにもいつも通りだけれど、そんなことを言うならもうずっと前から彼は平常通りだった。
 底なしかと思われた欲望を巧みな手技で宥めすかし、散々鳴かせに泣かせながらもフェムトは自分の熱を一度だって訴えてはくれなかった。冷静さを取り戻して思い返すことはどれも、最初から最後まで彼にとっては支援活動にすぎなかったのだと強調している。蔑まない代わりに茶化しても揶揄ってもくれない"いつも通り"なフェムトのおかげで、どんな顔をしていいかわからないよおと恥じ入ることも叶わないまま……こうなればやけっぱちだ。「性欲ってあるんですか」と尋ねてみたくなったけれど、答えによっては本当に再起不能になりかねないと思い留まる。

「……おなかすいた……かも」
「はぁ? 本っ当に君の肉体は単純だな。だが先に風呂だ風呂!」
 そんな格好で食卓につくことは許さないぞ。
 うわ、珍しい。"あの"堕落王が至極真っ当なことを言っている。ここはおとなしく従っておこうと身を起こしたところに白い布を投げつけられた。──ビュン、バシッ。なかなか鋭い魔球である。こういう時ってもっとふわっと優しく、大きな放物線を描くように渡すのがセオリーじゃないのかな。赤くなった肌をさすりながら見上げた先にはやはり反省の色など見つけられない。
「羽織りたまえ」
 脱ぎたてほかほかの白衣におずおずと袖を通したものの、余り放題の裾をいい感じの高さになるよう纏めるころにはすっかり楽しくなっていた。
「おお、なんか彼シャツっぽくていい感じですね」
 スリットから際どいところが覗くのもお構いなしにくるりと回って言えば、なんだいそれはと首を傾げられる。
「そういうジャンルがあるんですよ。体格差のあるパートナーに服を貸して、ぶかぶか具合を楽しむっていう趣向が」
「ふうん? じゃあ着替えはソレで用意させよう」
 さらっと口にされた言葉は私の足を止めるのに充分な破壊力を持っていたけれど、慌てて覗き込んだ先にあるものはいつもと変わらない鉄の仮面と弧を描く唇だけだった。"彼シャツ"の"彼"ってどういう関係を差すかわかってます? "パートナー"って言ったの聞こえました?
 それとも、このひとにとってはそんなことは重要ではないのだろうか。
 少し悩んで、けれど結局、そうだよなあこの自由人フェムト様だもんなあと思い直す。最初っから見ている世界が違う彼にこうして名を呼ばれ、ひと時を過ごせるだけで奇跡のようなものなのだ。私の知っている数少ない関係性のどれかに無理やり当てはめようなんて、そもそも考えるだけ無駄なのだ。
 もちろん、女として気になる部分がないわけではないけれど……まあ、いざとなったら発散用の魔獣も作ってもらえるらしいし……あれ、なんでだろう、泣きたくなってきた。



(2018.01.09)(淡々とえろいことをするフェムト様が書きたかったのです……)
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