■ 6(完)

「だって、今だったら人間も普通に食べられるでしょ? しかも、血抜きも済んでない、非加熱の丸ごとでも」


 投げつけられた物騒な言葉には、けれどもメレオロンに対する糾弾の響きはなかった。
 むしろ純粋な興味と事実確認としての響きしかなく、そのことが更にメレオロンを戸惑わせる。

「それにほら、まあ元のメレオロンがどうかは知らないけど昨日も多少は酔ってたみたいだし。酔いつつも酔い潰れなかったって事は、アルコールを分解・処理する働きはあるってことで──つまり、お酒をお酒として楽しむ素質があるのよね。このあたりはきっと"蟻"には必要ないことだから……ほら、食に関してだけでも、結構混ざってて面白いでしょ?」

 そこで面白いでしょうと同意を求められても、メレオロンとしては困る一方だ。他人事としてならいざ知らず、他でもない自分のことをこうして面と向かって分析されるのは気分のいいものではない。それどころか、ただ好き勝手に飲んで暴れていただけのように見えた女が、そんなことを考えていたということに密かに衝撃を受ける。
 それだけではない。
 寄ってきたり抱きついたりという普段の気安い振る舞いのどれもこれもが、メレオロンが人間を食う"蟻"だということを認識した上でのことだったとは。

「……いや、まあ、そりゃ人間も食ったけどよぉ……でもな、それはあくまで"ジェイル"の頃のことで……」
「ん? "ジェイル"?」

 小首を傾げたなまえに、ようやく彼女がそれを知らないのだと知る。

「あー……つまりだな、オレが"元人間"である事を思い出す前だ。師団長時代のオレには"ジェイル"って名がついててな……」

 妙な後ろめたさに追い立てられるように口を動かしながら、またもメレオロンは余計なことに気がついてしまっていた。
 ゴンやナックルにも「思い出した」という説明はしたものの、前の名まであえて話した覚えはないことに。勿論それは、隠したわけでも言わなかったわけでもなく、伝える必要を感じないくらいにどうでもいいことだったからだ。
 メレオロンにとっては取るに足りない、ただのつまらない話にもなまえは熱心に耳を傾けている。

「……なるほどー。じゃあ"メレオロン"として自我が確立されてからは、人間に対して摂食欲求は涌かないわけかー」
「まあな。昔はマジで"餌"や"獲物"としか見てなかったが……今は、食いたいなんざぁ欠片もねーな」

 すると、なまえはメレオロンの顔をまじまじと眺めて、ふわりと動くとその頭部を抱き抱えた。
 横になっている体勢のため逃れる術もなく、強制的に胸に顔をうずめさせられたメレオロンとしては堪ったものではない。さすがに不快なだけでもないのだが、むしろそれが余計にたちが悪い。

「おい、こらなまえ!」
「あーもうメレオロンってば本当に可愛い。 可愛い可愛いって思ったけど、やっぱり本当に可愛い! 思い出してくれてありがとう! "メレオロン"になってくれてありがとう!」

 興奮を隠しもしないなまえは、メレオロンの頭部に絡ませただけでは飽き足らずその手を動かし頭や肩を撫でていく。

「あーもう、堪んないわ……って、ああごめん。ちょっと待っててね」

 そして騒いでいたかと思えばぴたりと動きを止めて、かと思えばあっさりと身体を離して立ち上がる。脈絡なく続く行動にメレオロンの思考が追いつけないでいる間になまえはもう扉に手をかけていた。開けられた扉が戻る直前に視線が絡むものの……にこやかに手を振るその表情からは、あいにく彼女の考えはさっぱり読めない。

「……なんだ? ……って、いちいち考えるだけ無駄なんだろうな」


  ***


 唐突に去った女は、やはり唐突に戻って来た。

「お待たせ。さあ、じゃあ仕切り直してキスしよう、キス!」
「おいこら、待てって。『じゃあ』って何だよ『じゃあ』って!」
「えー、だってさっき凄くキスしたい気分だったし」
「おいおい、そーいう問題じゃねェだろ。それより前に、気にする事があるだろーが!」
「検査の方は大丈夫よ。キスするから数値に乱れが生じるだろうって説明して、ちゃんと了解も得たから」
「そーいう問題でもねェだろうっての!」

 他に何か問題でもあるのかと不思議そうな顔を向けるなまえに、メレオロンは心労を爆発させた。

「だーかーらーなぁ! オレの意思は、無視なのかってことだ!」
「……ああ、そのこと」

 ポンと手を叩いたなまえは、ベッドのメレオロンとしっかり視線合わせた上でにっこりと笑う。

「大丈夫よ。メレオロンが気持ち悪がるのも嫌がるのも承知した上で、私がキスしたいから」

 とんでもなく一方的な理屈を呆れるくらいの笑顔で言ってのけた女に、メレオロンは言葉を失った。
 その隙を逃さないように、なまえの両手がメレオロンに向けて一直線に伸びてくる。片手はするりと額を撫で、髪を撫で、頬を撫で、そのまま頬を包むように沿わされた。もう一方の手は髭で覆われた顎へと伸びてきて、角度を確かめるように軽く触れたかと思えば、そのまましっかり掴まれた。
 メレオロンの頭を拘束し見下ろす女の表情は、相変わらずへらへらとしたものだが、よくよく見ればその瞳は熱く潤んでいる。

「おい、なあ。……なあ、なまえ。まあ、ちょっと待て」
「……なぁに? ああ、別に、絶えられないほどに気持ち悪かったら遠慮なく噛み切ってくれてもいいよ。でも、せめてあとからでいいから非常ベルは押してね」

 ここでの怪我だったら、致命傷レベルじゃなかったら治してもらえるしね。だから一応、やるなら出来る限り綺麗に噛み切ってくれると嬉しいかなぁ。あ、そうだ、ちなみにこの場合の怪我は勿論私の自己責任になるし、メレオロンにとっては正当防衛の範囲だから安心して。
 メレオロンが怒られたり不利になることはないし、むしろ私が怒られる結果になるだけだから。
 冗談かと思うほどに物騒極まりない言葉をぽんぽん吐き出す当人が、冗談どころかいたって真面目だということがわかってしまいメレオロンは溜息を抑えられない。

 先ほど言った「気持ち悪い」はお前を相手にオレが思う事じゃなくて、オレの相手になったお前の視点で言ったんだ、などと今更弁解できる空気ではない。しかし、かといって……この傍若無人な女を相手に諦めるように身を任せてしまえば、後に残るのは苦い後悔と気まずさだろうことも想像に難くない。
 だからこそ。
 きっと人間だった頃もこんなふうに迫られた事は無かっただろう……と思ってしまう程に熱烈な視線を前に、メレオロンは腹をくくることにした。
 けれど、せめて、どうしても。先にこれだけは確かめないと気が済まない。

「いや、まあ、それはもういいんだが……な。……お前さぁ、なんでそんなにオレにキスしたいんだ?」
「そんなの、メレオロンが大好きだからよ。いつもに比べて自由が効かなくてしかも寝っ転がっている今だったら、キスくらいなら力技でどうにかできそうだし。それと、実は今日の実験内容が結構やばいやつだから。このまま進むと薬で増幅された攻撃衝動で職員を襲いかねなくて、でもそれやると危険ランクが上がるし拘束必至になる。ここらへんで性欲に振り替えるか、それが無理でもどうせ暴力振るうなら私相手の方が揉み消しやすい」
「……だったらお前。それを先に言えよ」
「……『今から力技で襲ってみます』って?」
「ちげェよ! そういう意味で好きだってんなら、それを先に言えよ! あと実験ってなんだよ!」
「ずっと好きって言ってたけど? ……って、ああもう。恨み言なら後で幾らでも聞くから、ちょっと黙ってて。瞳孔開いてきてるからさっさと済まそう。大丈夫大丈夫、今ならなにやっても全部私の責任で被れるから」

 さらっと大事なこと暴露してんじゃねェよ!
 恐ろしく強引で恐ろしくストレートな唇を受け入れながら、メレオロンはナックルの言葉を思い出していた。『そのかわり、アイツは腹芸も出来ねぇし、気持ちがいいくらいに直球勝負だから、好かれる奴には好かれるけどな』……ああそうか。確かに。この不器用かつ直球勝負なアプローチは、大問題だ。煩いし鬱陶しいし我侭だし思考回路からしてよくわからない。にもかかわらず、妙な色気と紙一重な思いやりだけはある。正直、面倒臭いことこの上ない。それでも、いや、だからこそ……この不可解な味付けを一度でも味わってしまえば、その時点で勝敗はきっぱりと別れるのだろう。合わないと感じる者は、どこまでも合わないだろう。だが、そうでない者ならば?

 それどころか、むしろこれもアリだと思ってしまえば……
 きっとどこまでも嵌まって、すっかり参ってしまうに違いない。



(2014.10.24)
[ / 一覧 / ] 

top / 分岐 / 拍手