■ お菓子が救う世界もあるよ

「ねぇメレオロン、今日が何の日か知ってる?」

 ふんふんと鼻歌を歌いながら顔をのぞかせたなまえがメレオロンを見つめてにんまりと笑う。
「……さあ? 何の日だって言われてもなぁ……?」
 目をぎょろりと動かして首を傾げるという、メレオロンの素直な反応になまえの機嫌はますますよくなった。
「ヒントは、その数字」
「あー……さすがに今日がいつか、くらいは理解してるぜ。11月11日だろ? でも、だからなんだってんだ?」
 指差された先の壁掛けカレンダーを振り返ってみたものの、メレオロンには相変わらず、さっぱり、まったく、これっぽっちも見当がつかない。
 なまえが読みたがっていた本の発行日はまだ先だし、ビデオの返却日でもないし、近所の店のサービスデーでもない。ついでに言えば、一緒に行こうと誘われた映画の公開日は来週末だし先日の仕事の報酬だって一昨日に振り込まれたのを確認している。
「よくあるパターンとしては誕生日とかだろうが……まあ、そんなわけねェよな?」
 仮にその手の記念日ならば、この女が当日まで黙っていられるわけがない。そんな妙な確信すら抱きながら、メレオロンはお手上げだと肩をすくめた。なまえとしてもメレオロンがわからないことは想定の範囲だったらしい。それ以上は焦らすこともせずあっさりと答えを口にする。
「そう、11月11日。つまり1111で1だけの日!だから今日は、世界的に有名な棒状菓子の日なのよーん!」
 じゃじゃーんと効果音を口に出しながらなまえが差し出した箱は、メレオロンも見覚えのあるパッケージだった。赤い箱から覗くのは、さくさく軽い歯ごたえの棒クッキーにチョコレートがかかった定番菓子である。といっても、こちらに来て初めて知った食べ物なのだが。
 それにしても。「1」が棒で、「1111」は棒だけだからこの「菓子の日」だなんて。そんなことわかるわけねェだろうとは思っても口にしない。世の中にはそういうものだと流した方がいい事柄が多くあることはもう知っていたし、こいつが絡むと大抵のことがその類になることももう諦めている。
 そして、納得できたかは別として。差し出された菓子まで断る理由も思いつかない。
 どう反応すればいいのかよくわからない"記念日"に関しては「そりゃめでてェな」という投げやりな言葉で締めることにして、菓子はありがたく頂くことにする。人間のそれよりやや硬い唇でポキリと折って味わえば、薄くかかったチョコレートとクッキー部分が一体となった程良い甘さが口内に広がった。



 なまえがこの手の事柄を手土産にするのは、よくあることだった。
 食べ物にしろ節句にしろ、メレオロンが……つまり純粋培養のNGL出身者が知らないだろうことに、なまえはいつも積極的だった。
 最初こそ、それらの言動を複雑に感じたりむしろ正直なところ気分を害したこともあったのだが……、それらがただの優越感からくるものでないと知れば柔軟にもなれる。なんてことはない。他ならぬなまえ自身が、知識や経験を得ることに対して貪欲だったのだ。
 知らなかった事柄を知り、触れたことがないものに触れる。理解し、知識を増やし、さらなる知識の充実を求める。その執着の有り様はもっぱら、ライフワークである書物収集や紙媒体に対するリーディングの熱意として見て取れたが基本的には何事に対してもそうだった。

 つまり、なまえ自身の行動理念が"そう"だから。なまえ自身の喜びの基準が"そう"だから。
 だから、メレオロンを喜ばせたいという思いが、当然のように"未知との遭遇"という発想に繋がった。ただ、それだけのことだったのだ。
 そしてその結果としての手段が、学習速度に合わせた本の贈り物だったり、なまえの宝物庫への合鍵だったり、食べ歩きだったり、映画だったり、町歩きだったり、そして……今日のようにささやかな事柄までも見落とすことなく拾い上げて毎日を彩り豊かなものにしようとしたり。

 出会ってから今までに示された、数え切れない程に多く、避けようがない程にストレートな無数の好意の記憶が脳裏をよぎる。自分の頬がらしくもなく熱を持つのを自覚したメレオロンは、慌てて小さな咳払いでそれを誤魔化す。
「むせちゃった?」
「いや、そういうわけじゃねェんだけどよ……つーか、すまん。結構食っちまった」
 ポキポキと気持ちの良い歯応えにつられて、ついつい手と口の動きを止めるタイミングを計り損ねた。あっという間に残り数本になってしまった箱を慌ててなまえに向ければ、けれども機嫌よさげに首が振られる。
「ありがと。でも、全部食べちゃっていーよ」
「でもよ……」
「うーん、まあ、私は私で"棒の日"はちゃんと楽しませていただくつもりなのでー」
 言葉に合わせてにやりと歪む口。なまえが見せた表情に、何故かメレオロンの直感が全力で警告音を鳴らし始める。
「なまえ……お前、なんでそんな上機嫌で……つーか"棒の日"って言うな。"棒菓子の日"だろ」
「えー。だって、お菓子はメレオロンが食べちゃったしー」
「いや、だから残りは返すって……」
「そう? じゃあ最後の一つだけ置いといてー」
 せっかくだから、後で面白いゲームをしようとなまえが笑う。面白いゲームだと言うのなら、今すればいいだろう。そう言ってみたところでなまえの気が変わる様子は見られない。
「大丈夫、大丈夫。なんたって"棒の日"だからね。主役様は、ただどーんと身を任せて寝っ転がっていればいいから」
 露骨な物言いに加えて、あらぬところをさらりと撫で上げられてしまえば、意図に気がつかないふりをしてすっとぼけることも難しい。
「つーか、なまえ。お前、一体いつからその気で……」
「仕方ないでしょ……そんな可愛い食べ方をする方が悪いんだからね」
 小さく呟いて軽く頬を膨らませる姿は、どう見ても甘えている時のものだ。可愛いという言葉がふさわしいのは明らかにオレじゃなくてお前だろう!とメレオロンの理性がぐらりと揺らぐ。ちょろい男である。というか、ちょろいのはお互い様と言うべきか。そもそも菓子を食べる姿の一体どこがよかったと言うのだろう。毎度毎度のことだが、こいつのこの手のツボだけは未だによくわからない。
 そう思って文字通り首を傾げた瞬間、無防備になった首筋にやわらかな唇が押し当てられた。
「ねえ……私も、食べていいよね……」

 今すぐ、メレオロンを食べちゃいたい。
 人間を"餌"と見た経験を持つ相手に囁くには、あまりに無防備で軽率な……時と場合によっては洒落では済まないような言葉をなまえは口にした。今まで、この手の行為に対して"食べる"という言い回しを使われた覚えがないのは、偶然でもなければメレオロンの考え過ぎというわけでもないのだろう。
 それを今口にしたのは無意識の内か……いや、なまえのことだ。充分に意識した上で、敢えて口にしたに違いない。
 などと考えるメレオロンの余裕を取り払おうとするように、どうにもひどく興奮しているらしいなまえの手が再度、熱を持ち始めている部分に伸びてくる。

 けれどもその手は、先ほどのようにさらりと挑発的に撫であげるわけでもなく、かといって即物的に扱きあげるわけでもなかった。


 ギラギラと欲に濡れる眼差しとは不釣り合いな程に優しく愛おしむような手つきで求められ、メレオロンの心臓と下半身はふたたび強く跳ね上がった。



(2014.11.11)(タイトル:otogiunion)
(ポッキーゲームは情事の後で、です。こんな筈ではなかったのにどうしてこうなった)
[ / 一覧 / ] 

top / 分岐 / 拍手