■ 愛も嘘もきみの薬指にからめて蝶々結び

 まったく、本当に。
 この女が何を考えているのか、オレにはよくわからない。

 出会ってから何度目かの、もう考えるだけでも頭が痛くなる程に回数を重ね続けている溜息を、またひとつ。
 もはや単純な回数ではこの女の精神を挫くことが出来ないとわかっている分、深く、深く、心底深く、いっそうの思いを込めて溜息を吐いたのだ。だというのに、ああなんてこった。やはり今回もそんなオレのアピールを軽々と無視してこいつは能天気な顔で笑いやがる。



「はーい、キャンディちゃん。素敵な夜景を見に行かない?」
 嫌な予感に駆られながらもノックの音に出てみれば、案の定立っていたのはなまえだった。
 だが、そんな予想通りの展開にもかかわらずメレオロンは自身がイメージしていた通りに反応することはできなかった。
 誰がキャンディちゃんだとか、なんでオレの帰宅のタイミングを知っているんだとか、なんつー誘い方だよとか言いたいことは沢山ある。けれど、それらの言葉を口にしようとする前に視界の赤が邪魔をするのだ。メレオロンとなまえの間に存在する真っ赤な塊が。
「なんだ、ソレ」
 とりあえず問いの言葉を発してみたメレオロンだったが、いっそ口にした方が間抜けなことは充分自覚していた。誰がどう見たところでやはりそれは花束としか認識されないだろう。
 あえて尋ねる迄もなく疑いようもなく花だ。真っ赤な薔薇の花束だ。
「もちろん、メレオロンに似合うと思って」
 はいと促す声についつい手を伸ばしてしまった自分の人の良さがいっそ悲しい。
 なんてことを思いながら花束を受け取り、しかし一体これをどうしろと言うのかと覗き込む。赤い薔薇は、ひぃ、ふぅ、みぃ……十一本というところか。開いているものが多いが蕾のものも数輪見受けられる。
 そうして所在なさげな視線をひとまず花へと落ち着けたはずが、間もなく聞こえた大きな音によりまた顔を上げる羽目になった。

「うわっ何してんだ!? つーか、え、もしかして調子悪りぃのか!? おい、おい、なまえ!!」
 数秒前までは確かに、ふらつく様子も見せず普通に立ってたはずの女が今は床に崩れ落ちている。
 どうやら先程の音はなまえがドアだか壁だかに頭をぶつけた音らしいと推測するのは容易だった。そうなれば自ずと、もしや貧血かまたは何処か別のところの具合が悪いのかなどと心配もしてしまうというもので。
 しかし、それこそがまさに人の良さであり、ついでに言えばなまえに対しての認識の甘さであるのだとメレオロンはそろそろ気づきかけていた。大体の場合で彼女はおかしい。今だって、確かになまえの顔色は不自然に色付いているし、息はぜぇはぁと苦しそうだし、しゃがんだ肩も小刻みに震えている。けれど、かけた声への応えとしてやっと向けられた表情を見ればそれらが別の感情に起因するものだとは一目瞭然だ。
「……あー……正直、聞きたくねェんだが……どうしたんだって聞いてやろうか?」
 もはや嫌な予感しかしないメレオロンが頭痛すら覚えながら問えば、なまえは相変わらず潤みっぱなしの瞳を揺らして口を開いた。
「似合うだろうって思ってたけど……予想以上に眼福過ぎてトキメキが抑えられない」
「ああもう、こら! 『眼福』じゃねーだろ!! 常々思ってたんだがなぁ、お前さんの目は絶対おかしいぞ!? いっぺんマジで診てもらえ、な??」
 握った手に伝わる感触で、声を張り上げたついでに手の方にもしっかり力を入れてしまっていたことに気が付く。か弱い花の茎など、何本集まろうが手折るのは容易い。慌てて花束を脇に置こうと身を捩れば、すかさず「もうちょっとそのままで」と指示が飛んできた。
「そう、できればそのまま、ゆっくり花を顔に近づけて……そう、そこ! その角度凄くいい! そのまま目線をこっちに……ああ!」
 すっかり諦めた様子のメレオロンを気にする素振りも見せず、欲望のままに指示を飛ばしては堪えきれないと口元を押さえて悶えるなまえ。
 前々から、きっついなぁと思う瞬間は多々あったが……今夜のこの姿が今んとこダントツだな……。
 手を伸ばせば届くほどの距離にもかかわらず、メレオロンはなまえとの距離を限りなく遠いものに感じていた。なんと言うか、精神的に。けれどその傍らで、いっそこれが悪趣味な冗談だったり悪意に満ちた嫌がらせならむしろ楽だっただろうにと自嘲してもいた。

 実際に最初の頃はそう信じていたのだ。戯れのように軽い口調で浴びせかけられる無数の言葉たちを、どうせただの皮肉か良くても冗談だろうと受け取っていた。けれど、いつだってなまえは良くも悪くも本気だったのだ。そして、だからこそ……余計にタチが悪いのだ。いくら"二度目"の命とはいえ、こうも真面目にオカシイ女を軽くあしらえる程、経験豊富な人生を送ってきたと言えるわけでは決してないのだから。

「ところでよ、なんだって急にこんな……って理由の方も聞いていいか?」
「知ってたかな、緑の補色は赤なのだよーん。つまり、メレオロンをいっそう引き立てるのは、この赤い薔薇ってわけ!」
「だあああ、そんなことは聞いてねーよ!! つーか赤ってだけだったら、薔薇である必要はねェだろうが!!」
「え、でもデートのお誘いって言えば薔薇が王道でしょ? 花屋のおねーさんも、愛を語るなら薔薇の花束が間違いなしですよって言ってたし」
「……その店員が言ったのは、どう考えても別の意味だろ。少なくとも女から男宛で、このチョイスはありえねーだろうが!?」
「そういう決め付けは良くないよー。肝心なのは相手が喜ぶかどうかだしさー」
 だったら、今のこの状況はどういうことだ。いっそ清々しい程の矛盾に満ちた状態じゃないか。そんなメレオロンの突っ込みになまえは誤魔化すように笑うとそっと視線を泳がせる。
「えー……まあ、そんなに要らないなら、今回は持って帰るけどさー」
 そう言われると、自分の方がなんだか酷い事を言ったように思えてくる上になぜか申し訳ない気までしてくるから不思議なものだ。ついうっかり「いや、まあ、そこまで迷惑っつーわけでも……」と漏らしたメレオロンだったが、その胸の前にずいとなまえの手が差し出される。
「いいよー。うちに飾るから、ちょうだい」
「だからな、別に、そういう意味じゃ……って、まあ、この部屋にゃ花瓶もねーしな……お前のとこで飾るなら、その方がいいか?」
 そうだねと促すなまえが、まるで何かを耐えているように思え……普段の彼女らしくない気配にメレオロンは狼狽えた。しかし、とっさの動揺は動き始めていた身体を止めるまでの力は持たず、戸惑う心を置き去りにして花束はなまえの腕の中へと戻される。

 途端に響いたのは、疑いようもない程に露骨な歓喜の声だった。
「やーん、メレオロンから花束貰っちゃったー! しかも、赤! 情熱の赤! しかも、十一本! 意味はもちろん……"最愛"!! やーん幸せー!!」
 両手で抱えた花束を身体ごと振り回すように身をよじるなまえは、自己申告の通りに心底幸せそうなのだがメレオロンとしては納得できるわけがない。
「いやいや、待てって! それは、やったんじゃなくて返しただけだろーが!!」
「ふふん。メレオロンが受け取った時点で、これはメレオロンのものなのよ。だからこれは『メレオロンに貰った花束』以外の何物でもないってこと」
 大切にするね。部屋に飾った後はドライフラワーとか押し花とかで、少しでも長く楽しんで……。あ、でも薔薇風呂もいいかな。ちょっと勿体ないけどでもメレオロンと一緒にお風呂に入っている気分になれたりして……。
 うっとりと何処か遠い世界を見ているらしい危ない瞳で呟くなまえの姿に、メレオロンは先刻以上の距離を感じずにはいられない。もしや、今日もおかしな具合に飲んでいるのだろうか。いや、先ほどからアルコールの香りは全くしない。つまり、信じられないことに酔ってはいないらしい。
「つーか、シラフでソレって危なすぎだろーが!! つーか本当に何しに来たんだよ、お前はよォ!?」
 その言葉にぴたりと動きを止めたなまえは、きょとんとメレオロンを見つめて小首を傾げてみせる。
「何って。だから、デートのお誘いよ」
「……はぁ?」
 そういえば、あまりに面倒臭い流れにうっかりしていたが夜景がどうのと言っていた気がする。
「あー……そうだな……じゃあ、まあそれは次回に回すとして、今夜のところはその花束を持って大人しく部屋に帰ることにしねェか?」
 今までの経験からあくまで駄目元だと承知の上で一応そんな提案を口にしてみる。これで大人しく帰ってくれたらいつも苦労はしないのだ。
「えー。だってメレオロンは、もう今日の予定はないでしょ? だったら、この薔薇が綺麗に飾られるとこまでちゃんと見ないと勿体ないよー」
「どういう理屈だっつーの。大体、オレの予定をどうやって……って、待て、解説しなくていいからな!? 頼むからこれ以上、オレを怯えさせるなよ!?」
 おおかたナックルあたりが出処だろうとは思うものの、もし下手に尋ねてそれ以外のルートを答えられたら……それこそ、恐ろしくて堪らない。
「つーか、だったらその花はやっぱオレが貰うことにする。それで、いいんだろ? だから夜景は無しだ」
「オッケー。じゃあさっそく、花瓶を取りにうちまで行こうか」
 はいと花束を持っていない方の手を差し出されて、メレオロンは思わずずっこける。

「なんでだよ!?」
「花瓶ないって言ったのメレオロンだよー」
「んなの別に花瓶じゃなくても、適当に水張っときゃいいだろうが!」
「往生際が悪いっての。飾られた薔薇を見に部屋まで来るか、花瓶を取りに部屋まで来るか、花束抱えて夜景デートか、の三択でお願いね」
「……ちなみによォ、さっきから言ってるデートってのの行き先は何処なんだ?」
 夜景とひとくちに言っても多岐にわたる上、そもそもこの部屋の窓からだってそれなりにきらびやかな街並みが確認できる。そう思いながら尋ねればなまえがにっこりと笑って告げた。
「知ってた? ここから五階程上の階に行くと、繁華街の光がちょうど段々に見るんだって」
「……おい、それってお前の部屋じゃ……」

 どこが三択だよ。どれを選んだところで最終的には一択にしかならねーじゃねェか。
 真っ赤な薔薇を眺めながら、メレオロンは深い深い溜息をひとつ。



(2014.11.06)(タイトル:亡霊)
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