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「あのね。そのおねーさんは少しのあいだね、かりてるの。でもすぐにおわるし、そしたらちゃんといるから」

 うそじゃないよ。ちゃんと戻れるように、わたしがおねーさんの代わりにいるの。いっぱいいっぱいの様子ながらもしっかり言い切る幼女を前にして、メレオロンは大きな目玉をきょろきょろと動かす。だんまりよりは随分ましだが、返答としては変化球で具体的な内容も伴っていない。相変わらず状況については理解不能だ。ただし、少なくともこの子どもがなまえの行方を知っていることと、拙いながらも答える気があると解ったことでひとまず安堵する。
 今度はどんな厄介ごとに巻き込まれたのか。はたまた、巻き込んだのか。誘拐だけでも最悪なのに、人質とばかりに幼女を置き去りにするような連中にも幾らかの心当たりが有る事実に頭痛を覚えながらも、ロクでもない連中に付き合うしかない子どもの環境と裏街道一直線の未来に少しだけ同情する。

「つまりアレだな? アイツが居ねェのはやっぱりお嬢ちゃんたちが原因ってことだよな? よし、んじゃまずはお嬢ちゃんのお仲間の居場所を教えてくれよ」
「え、あの、だから、すぐにかえすって……」
「どうせ能力者相手のいざこざだろ? なら、待つよりもオレがさっさと迎えに行った方がはえーだろ。まったく、また何かの賭けか? それとも向こう見ずな喧嘩でもふっかけたのか?」

 なァに、大丈夫だぜ。ちょーっとおウチを教えてくれるだけでいいからなァ。
 怒りと呆れとその他もろもろによって引き攣る頬をフードに隠して、可能な限り愛想よく見えるように心がけながら一歩二歩と距離を詰めにかかる。


  ***



 目の前の"怪物"としか思えない存在がやけに饒舌で理性的なことに驚いていた少女は、けれどもすぐにソレの一を聞いて十を理解するような態度に安堵を覚えた。しかしやがて、その理解の方向がなんだか妙なことになっていることを察してさてどうしようと途方に暮れることになる。
 なんだろうここは。"のうりょくしゃ"とか"おなかま"だとか、けれどぜんぶを知っているわけではない?
 居るはずの誰かの代わりに見知らぬ子どもが存在しているような非日常にもすんなり適応できるなんて。そんな変わった人を相手にするのは彼女にとって想定外なことだった。いや、そもそも、この状況で誰とかち合うことすら初めてだったのだ。
 ただでさえどうしていいかわからないというのに、現実はどこまでも彼女に非情だった。
 この場をどうやって切り抜けようかと小さな頭を必死に回転させている間も、怪物はおかまいなしで近づいてくる。優しい声をしていたが、それが本当にそうでないとなんとなく伝わってくる。苛立ちが隠しきれていない姿は、猶予がないということを嫌というほど思い知らせてくる。
 この状況だけでいっぱいいっぱいの子どもに、気の利いた言い訳など用意できる訳もなく──逃げ場を塞がれて見上げた瞳に、どうしようもなく剣呑な輝きを見付けてしまった子どもはそこで諦めた。島の掟も先生の言いつけも、こんな時どうすればいいかは教えてくれなかったから。


「おわったらすぐにかえるけど、こっちからはムリなの」
「はァ?」
「あのね、そのおねーさんがあっちにいるから、わたしがこっちにいるの。あっちがおわらないと、わたしもかえれないの」
「……いや、だからオレが迎えに行きゃいいって話だろ?」
「ここじゃないところだから、よばなきゃなの」
「まさかまた念空間とかそういう厄介なやつなのか!? オイオイ勘弁してくれよ。ちくしょう、だからひとりで先走んなって、余計な首を突っ込むなってあんだけ言ったばっかりだろ!」
「ねん? えーと、あの、ちがうの。おねーさんはわるくないの。だれになるかわかんないって言ってたし」
「誰が来るのかわからない……? ちょっと待て、すげェ嫌な予感がするぜ。なァお嬢ちゃん、どっから来たかちゃんと答えてくれよ?」
「え、でも、たどれるなにかはのこしちゃだめだって……どうしよう、きっと島のなまえとかもだめだよね」

 うーんうーんと難しげな顔をし始めた幼女を見下ろして、メレオロンは痛みの抜けないこめかみに手をやる。
 嫌な予感はもはや予感を超えて実感となっていた。この上なく面倒なことに、この会話の意思は確かにあるようなのに受け答えは今ひとつな幼女しか聞きだせる相手がいないらしい。そして、持ち前の慎重さにより理解不能な事態にありながらも観察を怠ってはいなかったメレオロンは気が付いていた。舌足らずで済ますには妙なイントネーションといい、簡素な生地に似合わない精緻な刺繍が施された明らかに普段着ではないだろう服といい、この幼女となまえが此の期に及んで全く面識がないらしい事といい──まったく、なんてことだろう。

 あーあと深く低く沈み込むような溜め息をつけば、幼女の肩がびくりと跳ねた。そんなふうに心細そうに見上げられても、優しい言葉をかけてやれるような気力は残念なことにたった今尽き果てたところだ。

 タバコ、タバコ、タバコはどこだったか。安息を求めポケットを探ると残り少なくなった箱が触れた。単独行動の時は本数が増えがちで、けれど今日で終わりだからとストックは買わずに帰ってきたのが仇となるなんて。こんなことならさっきのショップで補充しておくのだったと後悔しかけ、いやいやさすがによく知らない子どもの前で吸うのはダメだろうと思い直す。
 それに、趣向としてならともかく、喫煙を安定剤として使うのは弱点を教えて歩いているようなものだという指摘も記憶に新しい。不安や苛立ちや焦りやその他もろもろの心の乱れをわざわざ視覚化してやる必要はないでしょうという彼女の忠告に尤もだと納得して、改めてそういう時用の方法を編み出したのだった。というわけで、大きな目をぐるりと回して幼女を透かして彼女の姿を思い描く。どんなふうに座っていたか、どんなふうに笑っていたか、目を閉じる必要もないほどはっきりと覚えている。

 落ち着けよオレ。こんな変な事態だって今更のことじゃないか。ああそうだ、オマエはいつだって訳の解らないようなものが好きで、頭を抱えるような事態すら楽しんでいたよな。そんで、倒れ込むほど疲れてたってオレの顔を見りゃ"ふにゃり"と笑って言いやがるんだ。「ただいま、ハニー」ってな。そう、だからオレはこれくらいこなしてみせるさ。

 ニコチンよりもずっとタチの悪い甘い毒は、切れると途端に中毒症状を引き起こすらしい。その証拠に、擬似的に得ることで徐々にではあるが苛立ちも治まり思考も冴え始めた。おかげで相変わらず答えを探しているらしい幼女に向かって「なあ」と今度こそしっかりと優しい声を掛けることだってできるのだ。

「お嬢ちゃんはよォ、とにかく"ここじゃねェとこ"から来たってことでいいのか?」
 YESかNOに答えを絞った尋ね方をしてやれば、幼女はぱあっと表情を輝かせて頷いた。情報を聞き出すには手間でしかないが、要領を得ないガキとズレまくったやりとりをするよりは遥かに建設的だろう。
 狙いは成功し、この調子で問いを重ねれば先程までの不毛なやりとりが嘘のようなスムーズさだった。ほっとする傍らで、あれ待てよこういうやり取りを以前どこかでやっていたような……と妙な既視感が湧き上がる。その記憶は、一度端を掴んでしまえば手繰り寄せることは容易だった。
 わかってしまえばなんということもない。幼女の絶妙に噛み合わない言語センスとタイミングは、出会った頃のなまえを彷彿とさせるのだ。やれやれガキと同じだったのかよアイツは……という此処にはいない彼女への呆れは呑み込んで、せめて目の前の幼女こそはもう少しマトモな対人スキルを習得できますようにと祈ってしまったのは、幼女を思いやってのことではなく当時の自分を哀れんでのことである。



(2016.01.05)(タイトル:亡霊)
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