■ 1.息苦しいぐらいが丁度いい 1

 どこからどう見ても"うら若き美少女"な57才と、末恐ろしさに溢れた才能の塊のような少年たち。
 ただの獲物と侮りきって切りつけたハサミは思いもよらなかった方向に突き刺さり、かくしてビノールトの運命は捻じ曲げられる(或いは捻じくれていた道が矯正された)ことになった。これだけでも充分「年貢の納め時」という言葉が似合う顛末であるが、けれども彼の不幸(或いは"幸い"と呼ぶ方が適切かもしれない)はあれで尽きたわけではなかった。



 ──これくらいでいいだろうか。
 少年たちから幾らか離れた岩陰でビノールトは崩れ落ちるように腰を落とした。
 あの昼も夜もないような極限の日々から解放された今、満身創痍の身体と心は一刻も早い休養を求めている。

「そんなところで本気寝なんて、襲われちゃってもしらないよー?」

 深く落ちかけた意識を揺さぶったのは、若い女の明るい声だった。
 けれどもこんなところでこんな怪しい男に声をかけてくる女など、まともな女なわけがない。
 定まらない焦点のまま反射的に「ブック」と口にしかけて、すぐにそれが意味のないことだと気付く。カードはもう何日も前に、あの女に一枚残らず奪われてしまっていた。
 右手を動かせば愛用のハサミに届くが──残念ながら振り回せるだけの体力すら残っていない。

「……悪いが、カードなら持ってないぜ」
「知ってるよ。賞金首ハンターの"賞金首"さん」

 嬉しそうに、弾むように、歌うように。
 見開くビノールトの前にしゃがんだ女は、ようやく絡み合った視線に満足するように笑みを深めて言った。

「あっちの方でずっと面白そうなことしてたよね。ちょこちょこ覗いてたんだけど……気付かなかったでしょ」

 当たり前だ。あんな状態であの岩場の外にまで気をやれるわけがない。
 なるほどな、と息を吐く。これで女の意図が判明した。ビノールトが誰だか知っていて、ただの死に損ないだと知っていて、その上で声をかけてくるのならば目的は一つだろう。

「オレはもう、ここを出るつもりだったんだが……な」
「それも聞いてた。けどさ、自首するって言ってもそこまで辿り着けなかったら意味ないでしょ? 賞金稼ぎなんてそこら中にいるんだし、自首したいからって一々返り討ちにしてたら罪状がたまっていく一方だよ?」

 ビノールトに見せつけるように女が両手を突き出した。
 二つの手の間には、ぴんと張られたロープが一本。

「だからさ、ここは一つ私に捕まってみない? あなたは厄介な手間もなく無事に塀の中まで行けるわけだし、私は賞金と実績を手に出来るし、いいこと尽くめだと思うんだけど」

 まあいいか。らしくもなく大人しく頷いてみたのは、単にこんな細腕相手でも逃げ切れる自信がない程に消耗しているから、というだけではない。
 少年に言われた「ありがとう」を思い出しながら女を見上げる。
 若く、生気に溢れた、爪の先から髪の一本一本まで健康そうな女。
 獲物としてなら極上品だ。実際こういった女を何人も刈り取って来た。ハサミを入れ、肉を抉り、恩情を乞う喉を裂き、柔らかい肉を喰らってきた。楽しかったし、美味かった。この女もきっと美味いのだろう。けれども、極限を生き抜いた今では不思議とそんなことすらどうでもよく思える。

 他のプレイヤーやくだらないモンスターの手にかかるくらいなら、散々切り刻んできたこの細い身体に身を任せるのもいいかもしれない。
 賞金首として引き渡されるか、自首するか。どちらにしたって重ね過ぎた罪に課せられる結果に今更さほどの違いもないだろう。だったら、この女の糧になってやるのも悪くないかもしれない。

「じゃあこれにて交渉成立ってことで。"あなたは私が捕まえた"からね」

 ちょっと我慢してねという声に応える間もなく、ビノールトの首にふわりとロープが回される。
 何を突然と責めることも叶わないまま、首から始まり全身に向かって予想だにしない衝撃が駆け巡った。念をかけられたことに気が付けたところで、薄れる意識の中ではどうすることも出来ない。


  ***


 次にビノールトが目を覚ました時、その身体はふわふわのベッドの下に寝かされていた。つまり、硬い床の上である。
 いったい何がと生活感のない室内を見渡すビノールトの頭上から、聞き覚えのある声が降ってくる。

「起きて早々で悪いけど、ベッドに上がりたいなら先にシャワー浴びてきてね」
「おまえ……」
「あら、寝て起きたら全部忘れちゃったの?」

 くすくすと笑う女の冗談に付き合ってやる義理はない。
 記憶を確かめるように首に手をやれば、やはりロープが巻きついていた。くるりと回されたロープの先は軽く結ばれて終わりのようだったが、"凝"で見ればまだまだ先に続いている。

「これがあんたの念能力か」
「そうよ。私がこの手綱を握っている以上、あなたの自由は私の下にある……ってね。賞金稼ぎにはうってつけの能力でしょ?」

 女はそう言って手元を振りながら、ビノールトにおかれた状況とこれからのことを説明し始めた。
 シャワールームの外に陣取ってまで絶えず喋り続けるのだから、ビノールトの意識が戻るのを待ち続けた間よほど暇だったとみえる。
 水音にかき消されて聞こえなかった部分もあったが、十日ぶりの洗髪ですっきりした頭を拭き一息つく頃には受け止める覚悟が出来ていた。

「要は……あんたを連れて港に行って、そのまま"外"に戻れってことだな」



(2016.07.09)(タイトル:いえども)
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