■ 7

 自分がなぜここにいるのか、いられるのか。あの革靴の男による説明からはその肝心の部分がすっぽりと抜けていた。

 望まれるままテーブルについたところで、出てくる料理に舌鼓を打てるような余裕は全くなかった。
 最後の皿を持った給仕を見送ったなまえがようやく話し始めようとするまでの間ですら、一体どれほど長く心細く感じたか。
 そんな、この卑屈な胸の内に彼女が気付いていないことは間違いなく幸いな筈なのに、同時に少しだけ残念なような気もするのだ。ここで己の立場をチラつかせて馬鹿にしたり、脅かしたり、蔑んだりしてくれたら──そんなふうに、オレというクズにふさわしい扱いをするようなクズ野郎に成り下がってくれたならば──今すぐここであんたを諦めてしまえるのに。

「そんなわけで、ここから先も一緒にいることになるからよろしく。なんて言ったところで、実は次の依頼らしい依頼はまだ決まってないからしばらくはこの街でぶらぶらする感じだけど……どう?」
「あんたがそれでいいなら……って違ぇ! そうじゃなくて、なんで、オレを……!」

 了解、問題なしね、なんて晴れやかな顔で立ち上がりかけたなまえを引き止めて食い下がれば、目を丸くして「え、さっきの人から聞いてないの?」と返してくるのだからやりきれない。こんな自分が言えたものではないが、彼女は圧倒的に言葉が足りないし、気にするポイントだっておかしいと思う。

「……あの男からは……お前に助けられたってことだけは聞いた。けど、そんなことする理由がないだろ」
「えー? だってほら、"友達"だし?」

 ここでその言葉を使うのか。
 一体どういう神経をしているのだろう。まるでその言葉で全て片付くと言わんばかりのなまえにありったけの沈黙で返せば、不意にその顔が情けなく崩れた。弱りきったような、泣き出してしまいそうな、そんなふうに見えるのに、現実の彼女からは涙の一滴も溢れ出てこない。初めて見る姿に、気が付いた時には呼吸も忘れて見入っていた。

「あなたはさ、もうちょっと生きてみたらいいと思ったの。っていうか、あのまま死亡ルートに乗られると私が困るっていうか、ね」
「……どういう……意味だ」
「えーっと。話せば長くなるんだけど……お恥ずかしい事ながら、自分の行動がどういう結果に繋がるのかちゃんと分かっとけって怒られちゃったわけ。でね、"私が捕まえた"あなたが引き渡した後どう扱われるのかとか、その処分への責任とか覚悟とか考えたらさ、なんか……割に合わないなあって」
「待て、割に合わないっておかしいだろ。もともとオレは自首する気で──」
「うん。だから"割に合わない"んだよ」

 いつのまにか殊勝な態度はすっかり消え失せていた。弱々しく揺れていた瞳にも熱が戻っているし、声にも張りが戻っている。いまそこに見えるのは、怒りにも似た必死さだ。

「確かに今までも無自覚だったって言われればそれまでだけど、でもさ。生き延びたいと抵抗する相手を捕まえて引き渡して、それ関係でいやーな気分になるなら、まあ、仕方ないって諦めるけど。 けど、あなたの場合は望みに沿う形でしょ? あなたはそれで気が済んで、なのに私だけはそんなあなたと自分のせいで不愉快極まりないなんて、そんなの"割に合わない"じゃない?」

 言おうとする事の意図はかろうじて分かるものの、理解出来るとも共感出来るとも言い難い。
 まったく、あんたは何歳児なのだと呆れたくなる。甘ったれた子供じゃあるまいし、そんな身勝手さがまかり通ると思っているのがおかしい。けれど、どれだけおかしくても事実この身はここにあるのだからやりきれない。

「……それって……めちゃくちゃ自分勝手じゃねーか」
「うん、私の我儘。あなたの望みを潰したのも、こうして付き合わせようとするのも、きっとあなた的には面白くないんだろうけど。でもさ、"生かしたい"なんて我儘は"友達"くらいにしか言えないじゃない?」

 どうしてそうも開き直れるのだ。
 無茶苦茶な理屈を展開するだけでは飽き足らず、放つワードまでもいちいち凶悪なのだから堪らない。ただただ深く溜息を吐くしか出来なくなる。
 すると慌てたらしいなまえが「今回のこともこれからのことも、嫌だったら嫌って言ってくれていいし、怒ってくれてもいいからね。折れるつもりは全くないけど、恨み言はちゃんと聞くから」と何一つ譲歩になっていないことを宣言するのだからますます呆れてしまう。毎度のことながら「世間一般で言う"友達"とあんたのソレは多分どっかズレてるぞ」と言ってやりたくなるのだが、"女"相手ではなんだかんだと言い負かされる未来しか見えないので黙っていることにする。なけなしの処世術というやつだ。

 出会ってからこれまで一瞬たりとも対等ではなかったというのに、それでも平然と"友達"と口にすることの滑稽さになぜ気が付かないのだろうか。まして、傲慢極まりない押し付けを"友達"に対してなら望める"我儘"と信じているのだから耳を疑うしかない。
 やはり、なまえはお人好しなどではなかった。
 今回のことですら彼女にとっては恩情でも憐れみでも施しでもなく、ただ己がどうすれば心地良いかと選んだ結果に過ぎず……けれど今の自分にはその身勝手さこそが心地良い。あなたのためにと薄ら寒い甘言を吐かれるよりは、ずっと解りやすくて、安心できる。



 けれど。
 たとえなまえがどう認識していようが、事実として今の自分には彼女の決定に意を唱える権利はないし、身の振り方を選べる立場でもない。あの革靴の男にも散々釘を刺されたことだ。
 けれど。
 もしもなまえの手を振り払う選択が許されていたならば。背を向けて違う道を行くことも出来たのならば。選べる立場にあって、その上でこうして"我儘"を言ってもらえたなら。そうしたら。きっと。

 ちゃんと、あんたに応えられたかもしれないのに。



(2016.09.19)(タイトル:いえども)
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