12.昏き翡翠の瞳



 銀仮面卿の部屋の一室。
 理由も知らぬまま幽閉されていたレイシーは、手持ち無沙汰に外の夜空を眺めていた。
 数日前まではカーラーンが顔を出して何かと気遣ってくれていたが、少し前から顔を見ない。思い切って銀仮面に聞いてみようかとも思ったが、何を考えているか分からないあの仮面が不気味で、ずっと避けていた。
 レイシーが避けているのを知ってか、銀仮面も必要最低限の時でしか接触しようとしない。

 慰めに歌でも口ずさもうとした時、部屋の扉が開いて銀仮面が入ってきた。
 仮面越しに疲れたような表情が見えたような気がした。なんとなく盗み見していると、銀仮面がこちらを振り返る。

「…………」

 無言でじっと見つめられる。
 何かあったのだろうかと考えていると、銀仮面がポツリと呟いた。

「カーラーンが、死んだ」

「え……」

「アンドラゴラスの小倅の一党にだ」

「嘘……」

 銀仮面が告げた言葉にレイシーが呆然と仮面を見つめる。表情の変わらない仮面に真実だと知り、長椅子に座り込んだ。
 青白い顔をするレイシーに近寄り、銀仮面が手を伸ばそうとする。それに気がついて思わず身を固くすると、彼は口を引き結んで無言で部屋から出て行ってしまった。

「……カーラーン様……」

 パルスを裏切り、王太子を弑そうとしたカーラーンを恨んでいないとは嘘になるが、幼い頃から優しくしてくれた人が死んだと知り、胸にポッカリと穴が空いたような気がした。

「もう、ここには居られない」

 ここに幽閉され続けて早数日、確かに命の危険は無いが銀仮面に何か利用されそうで恐ろしい。もう縋れるものが何一つないのだ。

 ちらりと外を見れば暗闇の中を大勢の人々が広場に集まっている。
 今から何か始まるのだろうか、ルシタニア兵が広場の周辺を警備しているのが見えた。

「もしかしたら今なら……」

 何かないかと部屋を見渡し、衣装箱に目が行く。箱を開けて中を見ると、黒い外套が中に入っていた。
 確か銀仮面の外套の一つだったことを思い出して、頭から被ってみる。背丈も合い、丁度よく顔も隠せる。これで脱出をはかってみようとレイシーは小さく意気込んだ。

 そろりと部屋の扉を開けて周囲を見渡す。
 廊下はとても静かで、人っ子一人通っていない。廊下にある燭台の炎を頼りにそろそろと歩く。幼い頃に父に連れられては姉と王宮内を探索していたのだ、ルシタニア兵よりは確実に王宮内の通路を知り尽くしている。

 途中で見張りを見つけては隠れたり遠回りをしたが、闇夜に紛れる外套が良かったのか、誰にも会わずに王宮の外へと逃れることが出来た。

「はあ……はあ……こんなに簡単に脱出できるなんて……」

 思った以上に王宮の警備が薄く、銀仮面の姿も見えない。いったい今日は何が行われているのだろうかと疑問に思っていると、遠くから煙の臭いがした。

「なに……?」

 恐る恐る臭いがする方へと歩を進める。
 暗闇を縫うように人々が集まる場所が見える所までくると、臭いの原因が見えた。

「……これ……は……」

 炎が唸りを上げて燃え盛っている。
 その中に投じられているのは無数の書物……。
 高く作られた木のやぐらには、あの大司教ボダンが狂ったように高笑い、後ろには王族らしき人物らがそれを無言でみつめている。
 
「パルスの歴史が……」

 市民の中から聞こえる嘆きに唇を噛みしめる。黒い灰へと消えていく書物を見つめて、レイシーはただ立ち尽くすだけだった。

「……お父様……」

 あの中に宰相であった父の遺した書もあるかもしれない。それなのに何もできない己が悔しい。そしてなによりも、ルシタニアの狂信的に神を信奉する姿に恐怖がこみ上げてきた。

 震える足でその場から立ち去る。
 ルシタニア兵で溢れる酒場通りを避け、人通りの無い入り組んだ路地を進んで行く。
 兎に角どこかで馬を調達しエクバターナを出なくてはいけない。エクバターナさえ出れば王太子一行を追うことができるのだから。

 歩く速度を速めて石造りの階段を上ると、向かい側から歩いてくる体格の良い黒衣の男と目が合った。

「なっ!?」

「えっ」

 それは見知った男ーーアンドラゴラス王の居場所を探っていたダリューンだった。

「まさか、ダリューン様……?」

「あ、ああ! 無事だったかレイシー殿!!」

 偶然の再開にお互い驚き、次に嬉しそうに顔が明るくなる。レイシーが駆け寄ろうとすると、背筋に冷たい氷が落ちる感覚がした。

 びくりと立ち止まって恐る恐る後ろを振り返る。
 そこには冴え冴えと光る三日月を背に、銀仮面が塀の上に立っていた。


「何事か探っている者がいると聞いていたが……貴様までここにいるとはな」

 目が合うと、月明かりに照らされた仮面が鈍く光った。
 静かだが怒気を孕んだその声音に動くことすらできない。レイシーを見つめる瞳は昏く、鎖のようにその場に縫い止めた。

「レイシー殿! こちらに!!」

 動けないレイシーをダリューンが背に庇おうとした時、銀仮面が塀から飛び降りてダリューンに斬りかかった。

「くっ!!」

 二人の間に割って入った銀仮面が、レイシーの腕を掴んで無造作に後ろに放り捨てる。

「きゃあ!」

「レイシー殿!!」

 地面に倒れ伏すレイシーにダリューンが駆け寄ろうとするが、その前に銀仮面の苛烈な斬撃を受けて後退させられる。

 剣を握り地面を踏みしめたダリューンが反撃に出ると、刃がぶつかりあう音が鳴り響き、白刃から火花が散る。
 何度斬り結んでもなお隙を見せない相手の強さに、二人はお互いの力量を認めるしかなかった。

れ者、名を聞いておこうか」

「ダリューン」

 ギリギリと刃が混じり合った瞬間の名乗りに銀仮面が目を見開く。

「こいつは傑作だ、あのヴァフリーズの甥か」
 
 なにが可笑しいのか、高らかに笑い出した銀仮面にダリューンが目を見開く。

「ダリューン、教えてやろう。貴様の伯父ヴァフリーズを殺したのはこの俺だ!!」

「なに!?」

「アンドラゴラスの飼い犬めがそれに相応しい報いを受けたわ。貴様も死に様を伯父にならうか?」

 残酷に笑うそのその姿にダリューンの長剣が素早く振り上る。首を狙った攻撃は咄嗟に後ろに引いた銀仮面には届かず、力強い剣撃は銀色に光る仮面を真っ二つに切り捨てた。

「おおおおのれダリューン!!!」

 カランと地面に転がった仮面の音は、憎悪を含んだ唸り声に掻き消える。
 顔を上げた男は怨嗟を撒き散らすように、焼け爛れた右の顔を歪めてダリューンを睨らみつけた。

「火傷……?」

 ダリューンの声に男が焼けた右顔を左腕で隠す。
 起き上がったレイシーからは彼の顔は見えないが、その声は余裕がなくなったように感じた。

 火傷に気を取られ、男の強烈な力業にダリューンが遅れを取る。素早い突きに防戦していると、男が大きく剣を振りかぶり頭を狙った。瞬間、横合いから正確な突きが彼を襲い、外套が翻る。

 間一髪で避けると、薄い金髪の男が笑みを浮かべて剣を弄んだ。

「おいおい、名を聞いてくれないのか。こちらから名乗るのは気恥ずかしいではないか」

「……誰だ道化者」

 戯けた風に言ってはいるが、どうやら少し前から二人の戦いを伺っていたようだ。油断ならない相手に男の殺気が膨れ上がる。

「気に食わぬ言い種だが、聞かれては名乗らざるおえまいな。我が名はナルサス、次のパルス王国の世に宮廷画家を務める身だ!」

 本人は至って真面目に”画家”だと剣を構えて言い放つ。

「ナルサス……」

 後ろから安堵したような声が聞こえた。
 久しぶりに見る心強い味方にホッとしていると、男が苦々しそうにそれを見ている。

「……勝負は後日に預けた。今日は引き分けにしておこう」

「今日できることを明日に延ばす必要はないぞ!」

 ナルサスの突きを避け、ダリューンの剣を払う。後ろに大きく飛び退ると、左手でレイシーの手首を掴んだ。

「きゃっ!!」

「なっ!?」

「レイシー!!」

「さらばだへぼ画家、今度会う時まてまに絵の腕を上げておけよ」

 そう言い捨て、レイシーを引っ張って狭い小路に飛びこむ。ナルサス達が追おうとするが、先に木材や樽で道が塞がれ追うに追えなかった。


 * * *

「はっ、はあっ、はな、離して!!」

 手首を強く掴まれながら引っ張られ、レイシーが痛みに声を上げる。が、男は決して振り返らずに先を走った。

 もう大分走ったか、ナルサス達とは随分離された。やっと会えた信頼できる仲間を見つけたのに引き離され、思わず叫びを上げる。

「二人のもとに帰らせて!!」

「黙れ!!!」

 レイシーの言葉に男が振り返る。
 男の焼けた顔と憎悪に染まった瞳を真正面から目にして、小さく悲鳴を上げた。
 男が痛みをたえるような表情をして立ち止まる。肩を強く掴まれたと思うと、勢いよく壁に押さえつけられた。

 男の翡翠のような瞳の奥に、燃えるような炎が見える。くらく澱んだその光を見て立ちすくんでいると、男はレイシーではない誰かを見るように顔を歪めた。

「……そんな目をして俺を見るな……醜いものを見るような目をして俺を見るな、”レイン”!!」


 男の言葉にレイシーが大きく目を見開く。ずっと感じていた違和感の理由がやっと分かった。

(この人は私ではなくお姉様を見ているの……?)

 この男が欲しているのは、レイシーではなく、レイン。
 ただそれだけだとようやく分かったのに、何故か無性に胸が痛い。

「俺の名を呼べ、レイン」

 噛み付くように荒々しく唇を塞がれる。

 そのままその言葉を男に返してやりたい。
 私は姉ではない、レイシーなのだと。
 それでも何も言えないのは、男の口づけがいやに優しいからなのだろうか。

 ふと、男の翡翠の瞳と目が合う。
 昏い翠の色の奥にまたチロチロと炎が見えたような気がしたーー。



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