38.長き時を経て
ザーブル城を落とし、城を手に入れた銀仮面卿がエクバターナに戻ってきた。
アルスラーン王太子軍がペシャワール城を発ち、ここ王都へ向かっていると知ったギスカールが呼び戻したのである。
この会談で銀仮面卿はギスカールに己の出自を明かし、ヒルメス王子としてパルスの王位の正統性を主張した。
兄王にとってかわろうとするギスカールにとって、その主張は不快なものでしかないが、ザーブル城を手にしたヒルメスを敵に回して背後をつかれてはたまったものではない。当面は互いに利用しあう形で手を組むこととなった。
そうして、ギスカールとの会談を終えたヒルメスは忌々しそうに舌打ちをしながら、王宮の廊下を足早に進んだ。去り際の会話に腹わたが煮えくりかえる。
『して、ヒルメス卿。レイシーのことなのだが』
退出しようとしたヒルメスにギスカールがレイシーの名前を出してきた。
ヒルメスの帰りを待ち、銀仮面卿の館にいると思っていた彼女は、ギスカールにより今この王宮で何不自由なく生活していると説明される。
『あの者を譲ってくれぬか?』
その言葉がギスカールから発せられた時、仮面の奥で顔が歪むのをヒルメスは感じた。
『……なぜ、あの者が良いのかお聞きしても?』
『可憐な花を手元で愛でたいと思ったのだ。しかも彼女はマルヤム王家の血を引いているというではないか、
邪な者の手に落ちる前に、庇護をせねばなるまい?』
『…………』
どの口がほざくかとヒルメスは無言で口を引き結ぶ。対マルヤム用に王家の血を引く彼女を自分の意に沿うように利用して操り、用が無くなれば情人にすればいいと、ギスカールの思惑が透けて見えた。
『おぬしも、か弱い
女性を戦に連れては行けぬであろう』
だから彼女を置いていけ、と暗に言うギスカールにヒルメスは何も言葉を返せなかった。無言のヒルメスにギスカールは良い返事を期待していると言い、彼を下がらせた。
「ちいっ!!」
一連の会話を思い出して、ヒルメスが苛立しそうに王宮の壁を殴りつける。
ギスカールがレイシーを利用しようとするのに腹が立つ。
元々は想い人と勘違いして攫ってしまっただけで、ヒルメスにとって何の意味もなさない女だったのに、自分以外の男が彼女を欲しようとするのが今ではそれが許せないのだ。
いつのまにか、自分の中で大きくなっている存在にヒルメス自身の何かが揺らぐ。
『貴方の傍にいてもいいですか?』
思い浮かぶのは、想い人の微笑みではなく、自分を見つめる強い意思を持った瞳。
「俺を惹きつけてやまない女……」
ふらりと、足が王宮の薔薇園へと向かう。
どうしてそこへ向かうのか、何を探しているのかなど考えるまえに自然と足が進んでいた。
真っ赤に色づいた薔薇に囲まれて、こちらに背を向けた女の、金の髪が揺れた。
まだヒルメスには気がついていない。
ふと、風が吹いて髪がなびく。
顔にかかった金の髪を耳にかけると、美しい薔薇に顔を近づけて、芳しい香りを楽しんでいる。
その後ろ姿に吸い寄せられるように、白い指が薔薇に触れる前に、女の体を後ろから抱きしめた。
「っ!?」
びくりと震えた体が強張る。
叫ばれると思ったが、女はひやりと冷たい銀の仮面に気がついて、息を飲んだ。
「ヒルメス殿下……?」
「…………」
「お戻りになられたのですね」
「…………」
「殿下……?」
「……レイシー……」
「!!」
彼女の名前をはじめて口にして、ヒルメスは自分の気持ちをやっと理解した。
レイシーのことを手放したくないと、この体をずっと抱きしめていたいと気がついた。
「ザーブル城を落として戻ってきたが、直ぐにここを発つ」
「はい……」
「……ルシタニアの王弟がおぬしの事を求めてきた。ここに残るというなら、おぬしは俺から解放され、ギスカールの……」
「いいえ、私は貴方様について行きます」
ゆっくりとレイシーの温かな手がヒルメスの手に触れた。
「貴方様のお傍にいさせてください」
「俺は、おぬしを利用しようと攫ったのだぞ」
「はい」
ヒルメスの胸が軋む。今までの自分のおこないと、ギスカールがこれからやろうとすることと、どう違うのか。
「おぬしに無体なことをした」
「はい」
「それでも、ついてこようと思うのか」
「はい。どんなに利用されても、辛くされても、私は貴方様のことを嫌いになれませんでした」
「っ……」
「貴方様をお慕いしております」
レイシーの優しい言葉に何故、とヒルメスが呟く。
「ヒルメス殿下……いえ、ヒルメス様、私はずっと貴方様が迎えにきてくださるのを待っておりました」
「レイシー」
「記憶が朧げになったとしても、ずっと待っておりました。あの歌のように」
「まさ、か」
抱きしめていた腕を離して、レイシーの腕を掴みこちらに振り向かせと、彼女が泣いていることにはじめて気がついた。
「旅人さん……」
「俺はまさか……取り違えて……?」
レイシーが手を伸ばして銀の仮面を取り外す。一瞬、陽の光が眩しくてヒルメスが目を細めると、柔らかいものが唇に触れた。
一生懸命つま先をあげて、口づけをするレイシーにヒルメスの胸が締め付けられる。
彼女の熱に身を任せていたが、触れるだけの口づけが物足りなくなってきた。
「んっ」
レイシーの金の髪に触れて、もっと奥まで繋がるように頭を押さえて深く唇を合わせる。
しばらくして唇が離れると、ヒルメスが包み込むように優しくレイシーを抱きしめた。
「どんなにおぬしがあの少女だったらと思っていたか……まさか、本当におぬしだったとは」
記憶を無くしても、取り違えていても、きっと惹かれ合う運命だったのだと、確信する。
「もう離してやれそうにない」
素顔のヒルメスが幸せを噛みしめるように笑う。今にも泣きそうなその表情に、レイシーが優しく背中を撫でた。
「大丈夫、決して離れません」
「レイシー」
「ヒルメス様」
互いの名前を呼び合って幸せそうに笑う。
「愛しているレイシー……俺と共に来てくれるか」
「はい、どこまでもお供いたします」
幼き日にはじめて出会った薔薇園。
長き月日を重ねてやっと、二人の時間が動きはじめた。
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