26.紅の獣



 オスロエス王崩御の報せが届いてから数時間が経った。
 父を失った悲しみから錯乱したように泣きじゃくっていたヒルメス王子がやっと眠りにつき、人知れず私は安堵の溜息をついた。

「殿下……」

 泣き疲れたのか、ヒルメス王子の寝顔は辛そうに見える。
 深夜もまわりそろそろ皆も寝なさいと侍女長様に言われたが、どうしても王子を一人にしていられなくて、他の召使いが部屋を出て行っても侍女長様と共に側から離れなかった。

「侍女長様はいらっしゃいますか」

 会話もなくただ静かに王子の寝顔を見つめていると、一人の召使いが部屋に入ってきた。

「どうしました?」

「王弟殿下がお見えになっているのですが……その、様子がおかしくて」

「王弟殿下が?」

 何故こんな深夜に、しかも王が崩御したばかりという時に王子宮に王弟アンドラゴラスがきたのか。不審に思いながら侍女長様を見ると、何かおかしいと感じたのか、真剣な表情で召使いに問いただした。

「どのように様子がおかしいのですか?」

「休もうと支度をしていたら外から変な音がしたのです。それで外を見てみると、王弟殿下が数人の兵士を連れてこの宮の前にいるのが見えたのです。でも、一向にこちらに入るようなそぶりが見えなくて……」

「……そう。わかりました、私が王弟殿下にご挨拶をしてきましょう。貴女は戻ってよろしいですよ」

「はい」

「アリサ、貴女もついてきてくれますか?」

「わかりました」

 侍女長様に頷いて立ち上がる。
 一瞬だけ王子の寝顔を見た後に部屋を出ると、どこからか変な臭いが漂ってきた。

(なに、この臭い……)

 思わず顔をしかめながら外に出ると、私達に気がついた王弟アンドラゴラスと目が合う。彼の背後には数人の部下と思わしき兵士が見えた。

「王弟殿下、このような時刻にいかがされ――」

 王族への礼を取りながら侍女長様が近づこうとした時、王弟が腰に吊るしていた大剣の柄をゆっくりと握った。

「侍女長様!!!」

 気がついた時には遅かった。
 静かな、しかし雷光のごとく鋭い殺気を纏った王弟が剣を抜くと、ただの一振りで侍女長様が倒れ伏す。

「なっ……」

 ざっくりと、肩から腰まで斬られた侍女長様の姿に私は声すら放てず、王弟は苛烈な目を王子宮へと向けた。

「火を放て」

 王弟のその一言で、背後にいる松明を持った兵士が一斉に王子宮へと火をつけた。
 赤い火が蛇のように燃え上がり、徐々に大きく宮を呑み込んでいく。
 激しい炎に部屋を出た時に感じたあの臭いは油だったのだと、今更気がついた。

「っ、ヒルメス!!」

「その女を始末しろ」

 いてもたってもいられずに、ヒルメスのいる部屋へ駆け出そうとした時、背後から聞こえた王弟の指示で一兵士がこちらに回り込んできた。

 万が一にもヒルメスが助からないように、そして目撃者を一人残らず消すために王弟は私を排除する気でいるのか。

「くっ」

 目の前の屈強な兵士が剣を抜く。
 武器のない丸腰状態でじりじりと後退しても、後ろには王弟と兵士が待ち構えていて八方塞がり。それでも、ここでつまづいてなんていられなかった。

「こんなところで死んでたまるかっての!!」

 頭と口元を覆う白く長いベールを剥いで、向かってきた兵士に投げつける。

「!?」

 視界を遮られた兵士がたじろいでいる隙に、動きやすいように長いスカートの裾を素早く破いて、思いきり体当たりする。

「うわっ!!」

 衝撃で驚いた兵士が手から剣を滑り落としたのを見逃さず、素早くキャッチしてがら空きの懐を貫いた。

「がっ……!」

 一撃で心臓を貫く姿に周りの兵士達からどよめきが起こり、条件反射のように剣を抜いた。

「か、囲い込め!!」

 突き刺した剣を抜いている私の周りを兵士が囲い次々に襲ってくる。

「ああ、もう――」

 斬りかかってきた兵士の攻撃を剣で弾き、流れるままに喉を斬ってもう一本剣を奪い取る。

 数人を相手取りながら、正確に死に至らしめる点を外さずに突き、斬ると次第に頭が空っぽになってきた。

 炎の焦げた匂いと、血の匂いが混ざり合って鼻孔をくすぐる。それは死と隣り合わせだった世界に戻ったような、暗澹とした絶望の臭気。

 ああ、すべてを、喰らってしまいたい。

 肉を裂き、血が噴き出るたびに私の中のアラガミがすべてを壊してしまえと囁いてくる。

 まるで風が少しずつ凪いでいって、空虚な静けさの奥深くから、私ではない荒ぶるものが外へと出て行きたくてたまらないという感覚。

 最後の兵士がこと切れて倒れると、ただ一人となった王弟が面白そうに笑った。

「ふん、まるで腹の空かせた獣のようだな、小娘」

 前髪から返り血が滴り落ちる。
 ベールを脱いだ下着同然の薄手の衣に、ビリビリに破かれたスカートは赤黒く染まって見るも無残な有様である。

「かすり傷負わず、返り血で染まるか……。あの幼い王子には過ぎたるもの。仕える主人を間違えてはいないか?」

「……いいえ、私の主人はたった一人。ヒルメスだけ」

 私の言葉に何がおかしいのか、アンドラゴラスは口元に笑みを浮かべた。

「その小さな主人は炎に焼かれてじき死ぬ。おぬしは主人の仇を取りて果てるか、新たな主人を戴くか、どちらをとる」

 こちらを見据える深淵のような瞳が私の内を見つめてくる。

「仇も、ヒルメス以外の主人もどっちもいらない。私はここで死なないし、ヒルメスを絶対に救い出す」

「ほう、随分と強欲な」

 じっと見つめてきたアンドラゴラスが剣を抜いた。
 しんと空気が張り詰め、炎の音も風の音もアンドラゴラスの剣気に掻き消される。
 ヒルメスを生かす要素を徹底的に取り除きたいのか、たかが小娘一人に本気を見せてきた。

「!!」

 大剣が唸りを上げて迫ってくる。
 紙一重でかわすが、まるで影ごと斬られたかのような、空気が振動する様に肌が粟立った。

「ふんっ!」

 横合いからとんできた拳を避け、首をはねようとしてくる剣を二振りの剣でしのぐ。
 ギチギチと剣がぶつかり、長い迫合いが始まった。

「そんなに王になりたいんですか」

 アンドラゴラスを睨みつけながら剣を持つ手に力を込める。

「兄を殺して、その息子も殺して。そんなに王様になりたいの」

 私の問いにアンドラゴラスはただ当然のように言った。

「あの呪われた子を生かしておけぬ」

「呪われた子?」

 呪われた子という言葉の意味をはかりかねていると、私の持つ二振りの内の一つが音を立てて真っ二つに折れた。

「っ!?」

 迫り合いは剣の強度の差であっさりと終わりを迎えた。

「しまっ」

 体勢を崩した私の頭上へ大剣が振り落とされる瞬間、アンドラゴラスの体が傾いで剣の軌道が変わった。

「な、にが……」

 大きな音を立てて大剣が地面にめり込んでいる。アンドラゴラスを見るも、驚いたように己の足元を見ていた。

「あ、りさ……はやく、いまのうちに……」

「侍女長様!?」

 袈裟懸けに斬られて倒れていた侍女長様の手がアンドラゴラスの太い足を掴んでいた。

「はやく、王子の……もと……に」

「でもっ、侍女長様っ」

「お行きなさい!!!」

 か細く囁いていた声が血を吐く叫びに変じた時、私は唇を噛み締めて後ろに反転する。
 侍女長様の言う通り、今は目の前のアンドラゴラスではなく、取り残されたヒルメスを助けなければいけない。

「っ……ごめん、なさい」

 絶対に後ろを振り返っちゃいけない。
 振り返ったら、侍女長様が作ってくれた隙を無駄にしてしまうから。

 一直線に宮へ走り、炎の中にとび込む。
 炎の音が耳を塞ぐ直前、小さな叫び声が上がったのが聞こえた気がした。



「ヒルメス! ヒルメス!!」

 宮に入った瞬間、そこは地獄のような惨状だった。
 炎と煙に巻かれながらなんとか逃げ出そうとした召使い達が折り重なるように倒れている。

「お願い、無事でいて……」

 倒れた人々を間を通りながら、王子の部屋へ走る。

 もしも侍女長様と一緒に行っていなければ、火事に気がついた時にヒルメスと逃げれたかもしれない。でも一緒に逃げても包囲していたアンドラゴラス達に見つかってしまっている可能性もある。

 もしもここでヒルメスが死んだら元いた世界のヒルメスはどうなってしまうのか。
 そんな、もしもが頭の中でぐちゃぐちゃと嫌なことばかり考えてしまう。

「ヒルメス!!!」

 煙を吸いながらも、なんとかたどり着いたそこには寝台で倒れて動かない幼い彼がいた。

「ヒルメス! ヒルメス! お願いっ、返事をして!!」

「……ぁ……あり……さ……」

 ぴくりとヒルメスが顔をもたげる。

「!!」

 彼の右顔は灼けただれ、彷徨うように小さな手が宙をかく。

「っ、ヒルメス……ごめんね、一人にして」

 熱い、熱いとうわ言のように発するヒルメスの体を抱きしめると、堰を切ったように泣きじゃくり私の体にしがみついた。

「大丈夫……絶対に私が守るから」

 柱の高さはあるだろう炎の海を見据える。

 いったいこの中からどうやって脱出するか、ヒルメスを担いで走ってどこへ向かえばいいか考えていると、炎の奥から暗灰色の衣が舞うのが見えた。

「ククククク……」

 ぬるりと暗灰色の衣が人の形をする。
 仮面をつけた男がヒルメスと私を見ると面白おかしそうに笑った。

「貴方……は」

 ヒルメスが魔道士と呼んでいた、王都の地下にいる怪しげな男と仮面の男が重なる。

「ゴタルゼス二世と懇意にしていた者だ」

「先代の王と?」

「どうやら窮地の様子。我が魔道でお助け申し上げよう」

 魔道士の青白い手が差し出される。

 煙を吸って少しずつ朦朧とする頭の中で、どうしてこの男が手を貸すのか、大人ヒルメスにもっと男との関わりを聞いておけばよかった思いながら、私はその冷たい手を取った。

- 27 -

*前次#
表紙
ALICE+