25.悲劇のはじまり
「もう、五月かぁ」
年が明けてから早いもので、初夏になってしまった。
実感は湧かないが、何事もなく月日が流れるのはパルスが平和だからだろう。国同士の戦や内戦のない穏やかな日々に肩透かしすら感じる。
「元の時間では戦い続きで、ゆっくりする暇もなかったし」
今では王子の世話をして、空き時間にサームさんと優雅にお茶をする余裕まである。
「おみやげのお菓子、喜ぶかな」
丁度さっきまでサームさんとお茶をして、帰り際にお菓子を持たせてくれた。ヒルメス王子に見せればきっと一緒に食べたいと言ってくれるだろう。
どうしてか、サームさんとお茶をするたびにヒルメス王子はおもしろくなさそうな顔をする。それを見た侍女長様が「お気に入りの侍女を取られて機嫌を損ねてしまったのでしょう」と言っていた。
「……お気に入り、か」
王子宮へ向かっていた足が止まる。
なるべくヒルメス王子に顔を覚えられないようにベールをつけ、身の回りの世話より下働きの仕事をして接触しないようにしてもあちらから呼び出しがかかり、結局王子の世話をしている。
今日、ヒルメス王子は父王であるオスロエス王と王弟アンドラゴラスと共に猟苑に行っている。そこに行くにも私を連れて行くと王子が言って侍女長様を困らせたが、女が狩りに行けるわけもなく大人しくお留守番だ。
王子に振り回されずにすんだけれど、なんでそこまで気に入られているのかが謎で、この先のことを考えるとどう接すればいいのかわからない。
俯いて溜息を吐くと、遠くから声が聞こえた。
「アリサ! 殿下達がお戻りよ!」
顔を上げると宮女仲間が急ぐように手招きしているのが見える。慌てて王子の迎えに行くと、上機嫌のヒルメス王子が馬から降りた。
「おかえりなさいませ、殿下」
「アリサ!」
頭を下げる私に王子が興奮したように駆けてくる。
「聞いてくれ! 今日、熊と獅子を射ることができたぞ! 父上に献上したらとても喜ばれて、褒めていただけた!!」
「すごい! すごいです殿下!!」
高揚して頬を上気させながら王子がこんなに大きいのを仕留めたとジェスチャーする。私にも勇姿を見せたかったと言う王子がとても可愛くて、熊と獅子との緊迫する戦いの説明に固唾を飲んで聞き入った。
「ヒルメス殿下、お話はそこまでに。陽が落ちて風が冷たくなってきますので、中にお入りください」
話を聞いていた侍女長が静かに進言する。
夏が始まるといってもまだ肌寒い、汗をかいた王子が風邪を引かないようにと宮に戻ると、ポツリと王子が呟いた。
「確かに風が冷たいな……父上は大丈夫だろうか」
「殿下……?」
「さ、殿下、こちらへ」
さっきまでの興奮が冷めたような王子の呟きを聞き返そうして、他の宮女に遮られる。まずは汗を流すために湯殿へと宮女に連れられ、王子の背が遠ざかった。
(オスロエス王の容態が悪いのかな)
少し前から王の体調が優れないというのは王宮内の噂で聞いていた。
でもどこが悪いのか、病からなのか怪我からなのか、誰も分からない。
(そろそろなのか……)
未来のヒルメスはアンドラゴラスが兄王を弑したとカーラーンさんに言っていたというから、この体調不良も王弟の仕業の可能性が高い。
いつくるか分からない王の死に焦りを感じながら、私は夕食の準備に向かうためにヒルメス王子と違う廊下へと足を進ませた。
* * *
汗を流して温かい食事をとったヒルメス王子は、やっとひと心地ついたのかいつもの笑顔が戻っていた。
「そういえばバフマンがおぬしを心配していたぞ」
「バフマン様が?」
「ああ。王宮で粗相していないかとか、私や侍女長に迷惑をかけていないか聞いてきた」
「粗相って、あの方は本当に心配性だな……。殿下はなんて答えられたのですか?」
「もちろん、大丈夫だと言った。アリサはよく尽くしてくれている、私の自慢の侍女だと」
「殿下……なんか今、ジーンときました……」
笑顔で「私の自慢の侍女」と言う王子が眩しい。
これが天使というやつか……。
可愛すぎる言葉に涙が出そうなのをおさえながら、でもと咄嗟に私の口が開いた。
「なんでそんなに私を気に入って、お側に置いてくださるのですか?」
行き倒れを拾い、側においてくれた優しい王子様。
それがどこか大人のヒルメスと似通っていて、どうしてか胸が苦しくなった。
「なんで、とは……おぬしが私に助けを求めたからだ」
「え……」
なんでそんなことを聞くのか分からないというように、ヒルメス王子は小首を傾げて私の目をジッと見つめてきた。
「おぬしを助け、バフマンの館で看病している時、気を失ったおぬしは必死になにかを探すように手を伸ばしていた。そして私 の名を呼んで『助けて』と言った」
「!?」
『助けて……ヒルメス……』
確かに、目を覚ます前にヒルメスの夢を見た気がする。その時にヒルメスの名前を口走っていたのか。
「だからどこかで私の名を聞きつけて、助けを乞いにきたのかもしれないと思ったのだ。
ならばパルスの王子である私が助けぬわけにはいかぬであろう」
「殿下……」
「それにおぬしは見ていて飽きぬ。いつも百面相していて面白いしな」
だから気に入っていると言う王子に、また涙が出そうになった。
「ありがとう、ございます……」
ああ、私は
彼に助けられてばかりいる。
彼の助けになりたいと思って奮起して、守りたいと思っても、いつも助けられているのは自分のほうだったのだと実感した。
「っ……。殿下、外も暗くなってきましたし、寝ましょうか」
さっと指で目元を拭ってヒルメスに微笑みかける。
「そうだな……」
ふと、ヒルメス王子が心配そうな目を遠くに向けた。
「父上は……温かくしてお眠りになっているだろうか……」
視線の先は王の住まう宮。
きっと大丈夫、明日お見舞いに行きましょうと私が口を開こうとした時、慌てたように侍女長様が部屋に入ってきた。
「殿下! ヒルメス殿下!!」
「ど、どうしたのだ……?」
普段何事にも冷静な表情の侍女長様が、真っ青な顔で王子に駆け寄る。
「どうか冷静に、心を落ち着かせて聞いてください……王が……オスロエス陛下が、崩御なされました……」
「は……」
まるで時が止まったかのように私と王子の動きが止まった。
「父上……が……お亡くなりに……なられた、だと……」
大きく目を開いて侍女長様の言葉を反芻した王子の体が傾ぐ。
「殿下!」
「ぁ……ああ……あああ……」
倒れる寸前で王子を抱きとめると、彼は濁流の如き激情に呑み込まれたように取り乱した。
「うわああああああああっっ!!!」
「殿下っ、殿下!」
己の髪を掻きむしり、悲痛な慟哭を上げる王子は半狂乱になって周りの声が聞こえていなかった。
「殿下、お体を傷つけるのはおやめください! 殿下!!」
爪で髪を引っ掻くのをやめさせようと腕を掴もうとして、手の甲に痛みが走る。
「っ!」
逆に爪で引っ掻かれたと気づき、私は腕を掴もうとするのをやめて王子の体を真正面から抱きしめた。
「ヒルメス様っ!!」
「う、ああ……ああああっ……」
ぼたぼたと大粒の涙が私の肩を濡らす。
「父上っ……父上っ!!」
抱きしめた小さな体が震え、しゃくりをあげる。
十一歳の少年がおうにはこの悲しみは大きすぎて、彼は声が枯れるまで叫びを上げた。
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