花びらの証し
パルス国、王都エクバターナ。
栄える都の王立図書館で、ヒルメスは静かに書物を眺めていた。
国王アルスラーンの従兄弟であり過去に因縁あった身である彼は、今は王の剣であり盾である。
数日後に挙式を控えているのだが、準備を恋人家族に任せて、彼は目下政務にかまけていた。
「……いつの間にか陽が落ちていたのか」
書物から顔を上げれば、あたりは薄暗くなりかけており、どことなく文字も見にくい。
いったん中断して灯りを用意しようと思考が動いたその時、廊下から男女の楽しげな声が耳に流れてきた。
『まあ、ギーヴさんたらご冗談を』
『冗談などと。このギーヴ、真実しか申し上げませんよ』
『ふふ、ではありがたく頂戴いたしますわ』
『……まったく、貴女のその麗しい微笑みがこれから毎日見れるとは、かの御仁はパルス一の幸せ者だ』
『あら、今もほぼ毎日顔を合わせております』
『おやそれは羨ましい』
この声は恋人のレイシーと宮廷楽士兼巡検使のギーヴである。
昔からレイシーにちょっかいをかけていたギーヴは、ヒルメスの前でも堂々と彼女を口説こうとする不埒者だ。胸の奥に渦巻いてくる負の念にヒルメスは舌打ちしたくなる。
『それよりも、ギーヴさんのお話が聞きたいです。当分は忙しくなって会えないでしょうから、いつもの旅の話をお聞かせくださいな』
『貴女の望みならばいくらでもお話ししましょうとも。ああそうだ、久しぶりにレイシー殿の歌を聴きーー』
我慢などできるはずがなかった。
ただでさえ不埒者との二人きりに業を煮やしたのに、これからレイシーの歌を肴に旅の話しとはヒルメスにとって許し難いことである。
大股で廊下まで出れば、驚いた表情のギーヴと、ヒルメスを見て嬉しそうに微笑んだレイシーがいた。
「おや、ヒルメス殿下」
「ヒルメス殿下! 今日は執務室ではなくこちらにいらしたのですね」
満開の花が咲いたように笑顔を浮かべるレイシーに、満更でもない表情となったヒルメスは彼女の肩を掴んで自分の胸に引き寄せる。
「これはこれは、この俺がまるでお邪魔虫のようだ」
「ああ、俺の許嫁に色目を使うとはいい度胸ではないか」
「色目など、そこに美しい花があれば男は寄ってくるもの。花は愛でてこそでしょう、ヒルメス殿下」
「この花は俺のためだけに咲いていればよい」
「なるほど、貴方らしい」
片目を瞑ったギーヴが愉快そうに笑い、次いでレイシーに向かって小さく微笑む。
「こたびのご婚礼誠にめでたきこと。貴女の幸せをアシ女神に祈っております……が、ヒルメス殿下に泣かされたら、いつでもこのギーヴめの胸に飛び込んできてくだされ。お慰めしましょう」
「結構だ」
大真面目に言い放つギーヴが憎らしい。
してやったりの顔で立ち去る彼の後ろ姿を見送ると、ヒルメスはレイシーを連れて先程いた部屋に連れ込んだ。
「殿下? いかがされーーきゃっ!」
強引に近くの卓に突き飛ばして、上から覆いかぶさる。
驚くレイシーの唇を塞ぐと、自然と煮え滾る嫉妬の渦が少しは落ち着いてきた。
「んっ、ふっ……」
舌を絡めて唇を堪能し、同じように互いの手もゆっくり絡ませてしっかりと握る。
「はぁ……あやつと、いったい何を話していた?」
唇を離せば、レイシーは頬を朱に染めて甘い吐息をつく。
「それ、は、婚礼の祝いにと……」
「祝い物か」
「はい……」
ドレスの隠しからペンダントが出されて、それをしげしげと見つめる。美しい紅玉のペンダントをレイシーがつければさぞ似合うだろう。だが、祝い物といえど他の男の贈った物を彼女がつける所などヒルメスは見たくなかった。
ぽいっと無造作にペンダントを床に放る。
「ヒルメス様なにを、っっ」
首から鎖骨にかけて舌を這わせ、胸に口づけを落とす。
「こんなものを付けずとも、ふさわしいものを付ければいい」
「っ、そんなっ」
首筋に強く吸い付き赤い花弁の跡を残す。
「これは証しだ」
ヒルメスのものという証しであり、彼の嫉妬の象徴。黙ってそれを受け入れていたレイシーは、くすりと笑った。
「証しなどなくとも、私は貴方のものなのに。用心深いのですね」
ギーヴに嫉妬していたのだとようやく気がついたレイシーが、両手を伸ばしてヒルメスの顔を引き寄せる。
「大丈夫、私の方が貴方を離しませんわ」
互いを求めるような、激しく、それでいつ優しい口づけにヒルメスは頭が甘く痺れたような錯覚に陥る。
ゆっくり唇を離せば、花のように綻んだレイシーがヒルメスを呼んだ。
「愛しています」
「……ああ、愛している。俺のいとしい花嫁殿」
幸福という甘い蜜に浸るように、二人は睦み合うのだった……。
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