ずっと欲しかったものは
パルス国アルスラーン王の御代、宮廷画家兼軍師のナルサスはぐったりとした顔で机の上に頬杖をついていた。
「どうしたナルサス、珍しく疲れた顔をしているな」
所用でナルサスの部屋を訪れたダリューンが、天才軍師の青ざめた顔を見て首をかしげている。先程ナルサスの部屋に入室する前に、双子姫の片割れとすれ違ったのだがそれが原因だろうかと推測していると、ナルサスは口元に手を添え溜息を吐いた。
「…………ダリューン、今日は何の日か忘れてはいまいか」
「今日? 勿論覚えているというか男ならば意識する日ではあるな。……まさかナルサス」
「ああ……」
「レイシーにまたフラれたのか」
「違う!」
戦場では冷静な判断で数多の策を弄するナルサスが珍しく声を荒げる。
過去に幼馴染である双子姫の妹に想いを寄せ、一度は告白するもあえなく玉砕したナルサス、知略に優れる勇も色恋を操ることは出来なかった。
「確かに俺は一度フラれたが今回はそういうわけではない……はずだ」
あのナルサスが断言出来ないとは。恋というものは人の強みをいかすことのできないものなのかと、そう考えていたダリューンはナルサスの次の言葉で初めて彼を心から哀れんだのだった。
「…………毒味役を、させられてな」
今日は一年に一度女性が愛する者に贈り物をする日。
渡す物は花や菓子だったり多岐にわたるが、本来は男が女に贈り物をする日だった。だが庶民の間で女性が唯一想いを伝える日として男女逆転が流行し、それが国中に広まったのだった。
若い頃は宮廷で浮名を流したこともあるナルサスは女性に大層モテた。今年も多くの贈り物を貰ったがやはり気になるのは想い人の贈り物である。今まで彼女は特定の男に贈り物をしていなかったのだが、今回は話が別だった。
彼女に恋人が出来たのだ。
「レイシーはあの男に菓子を贈るのだと張り切っていてな、俺に菓子の味見を頼んできた」
口の中にまだ菓子の甘い味が残っている。彼女はこれはどうか、彼は気にいるだろうかと事あるごとに恋敵の名前を連呼し恋する乙女の顔で笑っていた。
「あれは二重の意味で胸焼けがしたぞ……」
なんという苦行かと嘆くナルサスにダリューンも流石になにも言えない。半ば哀れんでいると、ナルサスがキッと睨んできた。
「そういうことだダリューン、俺は今すこぶる気分が悪い、話があるならまたの機会にしてくれ」
「あ、ああ。ではなナルサス」
ナルサスの部屋から逃げるように部屋を後にすると、思わず溜息が出てきてしまう。
あんなナルサスはレイシーにフラれて以来だ、今夜はヤケ酒に付き合ってやるかと心に決め廊下を進む。
「…………レインは誰かに渡すのだろうか」
ふと、脳裏に双子姫の姉であるレインの顔がよぎるダリューンもナルサス同様幼馴染であるレインに想いを寄せていった。
やっと互いに「殿」と敬称をつけることなく呼び合えるようになったのだが、進展は進むことなく、ナルサスのように想いを伝えることが出来ず今日まできている。
もしも彼女が妹と同じく違う男と恋仲になろうものなら決闘でもなんでもしてやると物騒なことを考えていたその時、前方から声を掛けられた。
「ーーリューン、ダリューン」
「はっ、レイン!?」
先程まで想っていた女性が目の前に現れ、思わず動揺してしまう。
「ごほん、な、なにか俺に用でもあるのだろうか」
動揺を悟らせないよう咳払いをして真正面からレインを見ると、彼女は落ち着きなく周りを見渡してから上目遣いにこちらを見てくる。
「あの…………その、ダリューンは甘いもの食べれたよね」
「好き好んで食べはしないが食えなくもない」
まて、これはまさか……!?
と期待を膨らませてダリューンが無愛想に答えると、レインはホッとしたように息をついてばっと両手に持った包み紙を出した。
「こ、これダリューンに、た、食べてくれると嬉しいな!!」
「!! ありがたく受けーーレイン!?」
ダリューンが受け取った瞬間、レインは脱兎の如く逃げて行った。
何故逃げる必要があるのか全く分からない、だが逃げられたら追いかけたくなるのが武人ーーいや男のさがであり、全力疾走でダリューンは追いかけるのであった。
「レインーーー!!!」
「なんで追いかけてくるのぉぉぉっ!!」
廊下ではパルスで名高い大将軍格の黒衣の騎士が追い、国王の身辺を守る姫将軍が逃げていた。
すれ違う宮女や官吏は皆首を傾げ、事情を知る者は苦笑している。
レインが薔薇園に逃げ込んだのを見てダリューンがそれを追う。
目一杯手を伸ばすと、彼女の細い腕を掴んだ。
「うわっ!?」
「レイン!?」
腕を掴んだ瞬間体勢を崩したレインが転んび、二人して花壇に突っ込んだ。
薔薇の香りが鼻をくすぐり、気づくとダリューンがレインを押し倒したような状態になっている。
「いたた……」
「レイン、どこか怪我はーー」
「大丈夫、頭打っただけみたい」
目が合うとお互い顔が薔薇のように赤い。
レインが目をそらすと、ダリューンは決意したように地面についた彼女の手を握りしめる。
「レイン、先程の菓子のことだが」
「……潰れてないよね?」
「あ、ああ、大丈夫だ」
告白の機会を逃し肩透かししたダリューンだったが、レインはそっかと小さく笑っている。
「ね、ダリューン」
「なんだ」
「遅くなってごめんなさい」
急に謝るレインに困惑すると、彼女は太陽な微笑みをしてダリューンの頬に両手をあてた。
「好きです」
それはずっと欲しかった言葉で。
気がついた時はダリューンは夢中でレインを抱きしめていた。
たった一言、その言葉をどれほど待ったことか。
それはまさに甘い甘い、砂糖菓子のような言葉。
それさえあればなにもいらない。
甘い陶酔を彼女の唇に寄せ手を握りしめ合ったーー。
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