地に咲く花



 パルス歴320年、春。
 王宮の一角で剣の稽古をしていた少年が、師であるヴァフリーズに剣をはじき飛ばされて尻餅をついた。

「いたたっ……ヴァフリーズ、手加減がなさすぎる……」

「手加減などしていたから、いつまでたっても剣が上達しませんぞ、殿下」

 澄み渡る夜空の瞳が何も言えずに唸る。
 と、後方からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
 アルスラーンが振り返ると、そこには馬に乗ったダリューンと、彼の前に座る少女が微笑ましそうに笑いあっている。

「だ、ダリューンにフォルトゥナ」

 恥ずかしい場面を見られてアルスラーンが赤面すると、ヴァフリーズが嗜めるように二人に声をかける。

「お前たち、殿下の御前であるぞ」

 伯父の言葉に二人がしまったというような顔をし、ダリューンが馬から降りて少女を鞍から抱き上げる。

「失礼いたしました、殿下」

「いや、いい。私こそ恥ずかしい所を見せた」

 少女を抱えながら礼をとるダリューンにそう言うと、黙っていた少女が口を開いた。

「いいえ、剣を持つ殿下はとても凛々しかったですよ」

 笑みを浮かべる少女にアルスラーンが頬を染める。フォルトゥナがいるならもっと真剣に打ち込んでおけば良かったと後悔しながら起き上がった。

「フォルトゥナは母上に呼ばれたのか?」

「はい、夢見が悪いようで占ってほしいと」

「……そうか」

 フォルトゥナはタハミーネ王妃お抱えの占い師である。だが、生来足が不自由であり、歩行が難しい彼女はダリューンに抱えられて移動するしかなかった。

「…………」

 逞しい腕に抱きかかえられているフォルトゥナを見て、何ともいえない表情になる。
 自分にもっと背があれば、ダリューンのように抱き上げて連れて行けるのに……。

「殿下?」

 無言のアルスラーンを心配したフォルトゥナが声をかけると、ああ、と覚醒したように目を瞬く。

「お疲れですか?」

「伯父がスパルタすぎたのでしょう」

「では久方ぶりにお主の稽古をしようかのぅ、ダリューンよ」

「望むところですよ」

 ニヤリと笑うダリューンに、思わずフォルトゥナと目を合わせて笑いあう。ひとしきり笑うと、思い出したようにフォルトゥナを見た。

「ああ、そうだ。母上の所に行くなら私が案内しよう」

「そんな、殿下のお手をわずらわせるわけには……」

「良いのだ、私が一緒に行きたいだけだからな。それに今日の稽古はもう終わるはずだった、だろう? ヴァフリーズ」

「本当はもう少しお話しがありましたが、邪魔者が入りましたし良いでしょう」

「うむ、なら行こうか」

 フォルトゥナを抱えたダリューンを連れて王妃の住まう室を目指す。謁見用の室に到着し、王妃付きの宮女にフォルトゥナが来たと話すと快く中へ通された。

「フォルトゥナ、大丈夫か?」

「ええ、ありがとう、ダリューン兄様」

 絨毯にタップリと敷き詰められた敷物の上にそっと座らせると、フォルトゥナがダリューンに微笑みかける。

 壊れ物を扱うように優しく触るダリューンと、それを安心しきったように受け入れる彼女に、アルスラーンの胸がチクリと痛んだ。

 アルスラーンがヴァフリーズに聞いた話では、フォルトゥナはもともと奴隷だったという。
 どういう経緯でそうなったかは言わなかったが、見世物小屋で占いをしていたフォルトゥナをヴァフリーズが買い取り、本当の娘のように育て、慈しんできたと言っていた。

「では殿下、フォルトゥナをよろしくお願いします」

「あ、ああ……」

 美しい王妃の前に若い青年がいては何かしら噂になりかねない。そう配慮して退出するダリューンを見ると、去り際にフォルトゥナの髪をくしゃりと撫でて出て行った。

「……」

 なんなのだろう、このもやもやは。
 二人の仲睦まじいやりとりを見ていると、胸にシコリのようなものが落ちる。
 ぎゅっと締め付けるこれは……。

「ーー殿下、いかがなさいましたか?」

「え……」

 眼前にフォルトゥナの顔が現れて目を見開く。
 身を乗り出すようにこちらを伺う少女の目は、心配そうな色をしていた。

「す、すまぬ、考えごとをしていた」

 慌てて頭を振ると、頬が熱を帯びたように熱い。視距離で見つめられたからだろうか、胸の鼓動がうるさい。
 ちらりとフォルトゥナを見ると、ホッとしたように微笑んでいた。

 ふと、脳裏にダリューンの逞しい背が思い浮かぶ。

「……私も、ダリューンみたいに背が伸びるだろうか……」

「殿下?」

 ぽつりと、本音が漏れてしまう。
 フォルトゥナは不思議そうに首を傾け、次いで小さく笑った。

「大丈夫ですよ、あと数年もすればダリューン兄様にも負けないほど、背が伸びるはずです」

「……それは占いでそう出たのか?」

「いいえ、勘です」

「勘?」

「女の勘は当たるのですよ?」

 そう言って笑うフォルトゥナにつられるようにアルスラーンも笑みを見せる。

「なら、私がダリューンのように背が伸びたら、一緒に遠乗りに出掛けないか? もちろん私の馬で」

「殿下と遠乗りですか?」

「ああ、ダリューンは万騎長の任で忙しいだろうし、身動きできないまま屋敷に籠りきりでは退屈だろう?」

 本当はただフォルトゥナと遠乗りに行きたいだけなのだが、思わずそれらしい言い訳をしてしまう。

「ありがとうございます、殿下はとてもお優しいのですね」

 そう言って微笑む少女の笑顔が眩しい。

 そんなことはないと言うと、少女は目を伏せて頭を振る。
 濡れたように艶やかな黒い髪が揺れ、絨毯に座る少女はアルスラーンを見つめて嬉しそうに笑った。

「占い師としてではなく、私を傍に置いてくださるのはアルスラーン様だけです」

 紅玉のような赤い瞳に見つめられて、今にも吸い込まれそうな錯覚に陥る。


(まるで、地に咲く紅の花のようだ……)


 とくり、と胸が高鳴る。
 先程までのシコリが嘘のようで、嬉しような恥ずかしいような感情が胸に渦巻く。
 
 今はまだ、ダリューンのようにはいかないけれど、いつかきっとフォルトゥナを抱きしめられるようになりたいと、願うーー。


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