一夜の夢を永遠に
マルヤムのとある修道院の裏手、花々が咲く花壇に修道女である私は日課の水遣りをしていた。
厳格なるイアルダボート神に仕える修道女として、長い髪を切り、化粧もせず黒い修道服に身を包んでいる。
「フォルトゥナ、祈りの時間ですよ」
聞き慣れた声に顔を上げると、そこには修道院の院長様が小さく微笑んでいらっしゃった。
「院長様! も、申し訳ございません!」
「最近とみに沈んだ顔をしているけれど、悩み事ごとでもあるのかしら」
「い、いえ……ご心配をおかけするようなことは、何も 」
確かに最近は物思いに耽ることも多くなり、食欲もあまり湧かない。それもこれもあの”楽士”のせいである。俯いていると、院長様がポツリと呟いた。
「そういえば、最近旅の楽士は現れなくなりましたね」
「え……」
楽士という言葉に顔を上げると、院長様は笑みを深くして頷く。
「一月程前に急に現れて、貴女に会わせてほしいと言ってきたのですよ。”一目見て虜になってしまった、せめて名前だけでも教えてほしい”と。勿論毎回門前払いをしたのだけれど、それ以来しつこ来るから名前だけ教えてしまったの」
「……その、楽士は……」
「ええ」
「他に何か言っていましたか……?」
「一月経ったら国に戻ると、言っていたわ」
心臓が大きく鳴った。
なぜ、どうしてと思う前に、気づいた時には踵を返して走っていた。
あの人はとてもずるい。
人の事は沢山聞いてくるのに、自分の事など何一つ話さない。
自分が満足すればそれでいいの……?
「そんなの、言いわけがない」
ただの思い出にされることなど私は許さないーー。
*
きっかけは些細なことだった。
院長様に頼まれて、修道院から少し離れた場所にある教会に荷物を持って行った時、そこに旅の楽士が訪れていた。
パルス人である彼は、マルヤムの教会に深い興味を持ち教えを請おうと滞在しているという。熟した葡萄色の髪を揺らし、不誠実そうな笑みを浮かべた楽士は、イアルダボート教について私に聞いてきた。
「して、何故イアルダボート教では神に仕える乙女を生涯独身で、修道院に閉じ込めておられるのです?」
「私達は終生イアルダボートの神に仕えるのです。欲を捨て、質素に生き、神に祈りを捧げる。神は常に私達を見ていらっしゃるのですから」
「神への奉仕、ね……」
「なにか?」
「いえ、こんなに美しい方を神が独占できるとは、羨ましいかぎりと」
「……美しいなどと……私達は身を着飾ることもしないのですよ?」
「美とは、厚く化粧を施し宝飾を凝らして飾り立てるだけでは決してない。飾り気のない自然美こそ、本来の美しさ!」
「……はあ」
「貴女のその陶器のような白い顔(かんばせ)に蒼玉の如き瞳、縁取る睫毛は長く映え、素朴に色ずく唇はまるで薄く紅を差したように俺を誘惑する」
いつの間にか手を握られて指を口元に寄せられる。軽く口づけされると、そっと耳元に唇を寄せてきた。
「我が名はギーヴ。貴女の知らない世界を、教えて差し上げますよ」
そのなんともいえない声色に驚き身を引くと、楽士ギーヴは意地悪そうな顔をして笑っていた。
「結構です。祈りの時間に間に合わなくなりますので、失礼いたしますわ」
なんて軽い人物なのだろうか、怒りと羞恥心に顔が熱い。楽士を無視して教会から去ろうとすると、残念そうな声が耳に入る。
「おや、どうも嫌われてしまったようだ」
そんなこと残念そうに思ってないくせに。ふつふつとした怒りが湧き上がってくるのを抑えながら、修道院へ戻る。
てっきり追いかけてくるかと思っていたが、すんなり帰ることができて拍子抜けした。
パルスの楽士はただ異国の神に興味があっただけと自分に言い聞かせ、礼拝堂で祈りを捧げて自室に戻る。
同じく奉仕する修道女の仲間を姉妹と呼ぶが、同室のお姉様は疲れているのか既に横になっている。規則正しい寝息を聞きながら横になろうとした時、窓辺から微かにウードの音色が耳についた。
こんな時間に何故と不審に思い、窓に近寄り外を見ると、先程の楽士がウードを手に片目を瞑っていた。
「なっーー!?」
驚いて窓を開けると、ヘリに手をついてしーっと人差し指を唇に当てている。
ここで騒げば大問題になると瞬時に判断し、後ろを振り返ってお姉様を見れば気付かずに寝入っている。ホッと胸を撫で下ろすと、後ろから手を引かれて抱き上げられた。
「きゃ!?」
「おっと、静かに」
窓から外に連れられたと分かり抵抗するが、男の腕力に敵うわけなく、呆気なく修道院から連れ攫われてしまう。
「貴方っ、いったいなにを考えているの!!」
やっと解放されたと思えば、町の東側にある寂れた四阿(あずまや)に連れられていた。
中央にある小さな噴水の縁に座らされると、隣に楽士が腰を下ろす。手が触れ合う程の近さにに思わず距離を置くと、楽士が小さく笑った。
「そう警戒しなくとも、とって食ったりはしませんよ」
「ならばなんのためですか」
「貴女と二人きりで話したかったから、と言ったら?」
「教会で十二分にお話ししたではありませんか」
「あそこでは話せないようなことをですよ」
下げていた視線を上げると、秀麗な顔が目の前に近づき頤(おとがい)を指で上げられる。唇に触れられると思った瞬間、思わず手を振り上げた。
「っと」
振り上げた手は空を切り、逆に楽士に手首を掴まれる。手酷い一発でも見舞いたかったのに阻まれ、悔しくて仕方ない。
「手を出さないと言ったではありませんか、それを舌の根も乾かぬうちに……」
「これは失礼、貴女の反応が可愛らしくてつい」
「ついではありません! それに、この手を離していただけまんか」
キッと睨みつけると楽士は何がおかしいのか声を上げて笑い、強引に引き寄せた。
「っっ!?」
男性の広い胸に抱き寄せられ、腰に手が回される。強引なやり方ながら優しい抱擁に頭の中が真っ白になってしまう。
「どうやら俺は想像以上に舞い上がっているみたいだ」
「え……?」
「ずっと貴女に触れてみたかった……フォルトゥナ」
「……なぜ、私の名前を……」
名前など名乗っていなかったのに何故、と言うと楽士は何も言わずに微笑む。
「そんなことよりも、俺は貴女の事を知りたい」
「なぜですか……」
「貴女がどこで生まれ、どこで育ち、なぜ修道院にいるのかとても興味がある」
「……聞いても楽しいことはありませんよ」
それでも腕を解放しようとしない楽士に根負けし、小さな溜息をつく。修道院にいる者の中には訳ありの者もいる。そんな人物から話を聞いて詩でも作るのだろか。自分のつまらない生い立ちを聞けばがっかりするかもしれない、いや、それがいい。
「なんてことはありません……ただの捨て子です」
赤子の頃に教会に置き去りにされ、そのまま修道院に引き取られただけ。
黙って聞いている楽士の顔を見ずに生い立ちを語ると、ゆっくりと腰にまわる腕が離れていく。
ちくりと胸が痛み、どうしてか離れるのが名残惜しい。
「夜風が冷えてきた、風邪を引く前に帰さなければいけないな」
「貴方は何がしたかったのです……」
問いに楽士は答えず、視線を伏せる私の瞼に小さく口付けを落とした。
「逢瀬はひとひらの夢、そこに意味は見いださずとも一夜酔えればそれは真のうつつとなる……それで十分では?」
「それが貴方の常套句ですか」
微笑むだけの楽士が憎らしい。
手を取られて誰にも見つからずに修道院に戻ると、楽士はまた明日も来ると言って去って行った。
その日から楽士との密かな逢瀬が始まった。
毎回拒絶する私を丸め込み、毎夜四阿で他愛のない話をする。マルヤムの風習やイアルダボート教の話し、修道院での生活を話すと楽士は楽しそうに聞いていた。
それでも決して自分のことは話さない楽士のことを訝しみ始めた時、楽士の来訪がぴたりと止んだ……。
もう、自分のことなど飽きたのかもしれない。異国の修道女が珍しかっただけで、既に国に帰ったのだろう。
そう思う度に胸が苦しく辛い。なぜこんなにも悲しいのだろう。
「……イアルダボートの神よ、なぜ、こんなにも苦しいのでしょうか」
静まりかえる礼拝堂で一人胸の内を吐露する。
「あの楽士にとって私はなんだったのでしょうか」
この時間は誰もいないと分かっているからこそ、言葉が溢れて苦しい。
「私はあの人のことを……」
あの人のことを、想ってしまっているのでしょうか。
「そんなこと、許されるはずがないのに」
ああ、そんなことを口にした時点で私は、あの楽士に惹かれていると気がついてしまった……。
*
自分の気持ちに気づいてから、私はいつも迷っていた。
自分の生い立ちや修道院のこと、そして互いの国のこと。諦めるのは一番な簡単なことだけれど、それをすれば私は一生後悔すると分かっていた。
一夜の夢ならば諦めもついた。でもーー。
「一夜の夢も真のうつつになるならば、諦めることなんてできない」
修道院から出て、初めて出会った教会に行き着く。荒い息を整えて教会の扉を開けると、見慣れた後ろ姿が目に映った。
「ギーヴ!!」
「なっーー!?」
珍しく目を見開く顔を見て笑みが浮かぶ。
もう、なにもいらない。
全てを捨てて私はギーヴに駆けていく。
「自分のことを話さずに逃げるなんて私は許しません! 思い出などにされるなどまっぴらごめんですわ」
目一杯抱きつけば、負けましたとばかりに破顔する。
「……まったく、貴女には敵わないな」
爪先を立てて精一杯背伸びをする。
私の全てを連れ去るように、温かいものが落ちてきたーー。
*
初めて目にしたのは偶然の出来事だった。
旅で立ち寄った教会の中庭で、美しい修道女を見つけた。村の子供たちと木陰に座り、イアルダボート教の聖典を読む姿にこの国のいう天使を見つけた……。
子供たちに囲まれて優しそうに語るその姿が目から離れない。
いつもなら一夜の夢と泡沫の言葉を混ぜで女性を口説くのに、彼女にはできなかった。できたとしてもあの美しい瞳で嘘を見抜き、袖にされていただろう。
だからこそ幾多の女性と同じように甘美な夢の思い出として、終わらせようとした。嘘のない美しい思い出として。
ああ、それでも、貴女にはすべてお見通しだったようだ。
「もう、逃したりしません」
いつもなら逆の台詞なのに、なぜかそれが嬉しい。
「なら、どこまで行きましょうか?」
「どこまでもーー!」
あなたとなら、一夜の夢を永遠にできるから。
- 5 -
*前次#表紙
ALICE+