飴色の瞳


 神羅電気動力株式会社総務部調査課───通称タークス。
 表向きはソルジャーの素質を持った人材のスカウト、重役のボディガードなど……裏では、工作活動、暗殺、不祥事の証拠隠滅エトセトラと、汚れ役をやっている俺達。
 まあ会社の中では煙たがられるが、特に気にしたことはない。だが日々激務をこなす中で……たま〜に、どうしようもなく、疲れた日というものが……ある。

「おいイリーナ、一発殴っていいか、と」
「はあ!? 意味わかんないんですけどレノ先輩! 真面目に仕事してくださいよ!」

 現在地、自分のデスク。
 目の前には、積み上げられた重要書類。
 向かいにはキャンキャン吠えるアホな後輩。
 つまるところ……俺は今、ストレスがリミットをブレイクしていた。

「だーーーーーやってらんねえ! いい加減暴れさせてくれよ主任よお! 俺は書類仕事は苦手だぞ、と!」
「うるさいレノ。叫ぶ暇があるなら手を動かせ」

 手足を椅子から投げ出して主任のツォンに抗議する。が、それもにべもなく切り捨てられてしまった。
 普段ならもっと荒っぽい仕事が回ってくるが、ここ最近このミッドガルは至って平和らしく、俺達タークスが暗躍しなければならないような事態は激減していた。
 とは言っても、俺達はあくまでも会社員。平和だからといって俺達の仕事がなくなるわけはなく、裏の仕事の影響で後に回され続けていたデスクワークが、今まさに俺達に襲いかかっている、というわけだ。
 正直、かなりキツい。元々暴れる方が性に合っている俺だ、もう細かい文字を見るだけでやる気を削がれてしまう。その上調査課のフロア内には、クソ真面目な主任、黙々と仕事をこなす相棒、キャンキャンうるせえ後輩しかいねえときた。こんなん、耐えられなくなる方が正常だろーが。

「俺はもうやんねーぞ、と。もう無理だ、ケンショーエンになっちまうっつーの」
「もう、レノ先輩ちゃんとやってくださいよ! 先輩がちゃんとやらなかったら仕事回されんの私なんですからね!」
「いっつも後輩の尻拭いしてやってんだ、そんくらい構わねーだろ、と」
「構いますゥ〜! 大体レノ先輩よりもルード先輩の方が助けてくれる率高いですゥ〜! ねっルード先輩!」
「……………………俺に振るな」
「はあ〜あ、うるせえ後輩と陰気臭えハゲと頭の堅い上司しかいねえんだ、なんか楽しみくらいほしいぞ〜、と」

 頭の後ろで手を組んでぼやく。やる気はもう完全にログアウトだ。デスクに足を乗せて椅子に身体を預けた(向かいのイリーナのところまで俺の長い足が届いてしまったらしく、キャンキャン吠えている。うるせえ)。
 するとさすがに業を煮やしたのか、主任が眉間を揉んでパソコンから離れ、俺の方へツカツカと歩いてくる。徹夜明けだと言っていた主任は、そこそこな迫力だ。
 ちょっとビックリして思わず足をデスクから下ろすと、首根っこを掴まれ、ポイッと部屋から追い出された。

「は!? オイ、主任!?」
「うるさい」

 ぴしゃり。冷たい声に、俺は確信した。
 これは、マジでキレてるやつだ。

「そこまで言うなら外で頭を冷やしてこい。三時間は帰ってくるな。戻ってきたら書類を片付けろ。以上」

 バタン! と勢いよく扉を閉じられる。徹夜明けの頭には、さぞイリーナの甲高い声が響いたことだろう。……アレ? それなら追い出されるのはイリーナだよな? てことは、俺がうるさかったのか。いや、当たり前か。
 何はともあれ、ようやくあの空気から抜け出すことができた。主任はガチギレだったが、まあケガの功名というやつだ。言われた通りたっぷり三時間、頭を冷やしに行くとするか。
 ……と、バキバキになった身体を伸ばしたところで気付く。今、夜の八時過ぎなんだが……。


「あ〜あ、もうこのまま帰ってやろうか、と」

 社宅なんてほぼ使っていないが。タークスに定時なんてものはないため、寝食はほとんどタークスのフロア内だ。
 宛もなく、神羅ビルの周りをうろつく。仕事終わりだろう神羅社員達が、社宅なり電車なりに向かっている。時間帯的にはもう少し賑わっていてもいいところだが、ふらふらと入った路地裏には、ほとんど人気はなかった。
 仕事でミッドガルや別の街に行くことはあれど、神羅ビルの周辺を散策することなどほとんどない。来たことのない道に疲れ切った心を少し弾ませていると、どこからかコーヒーの香りがした。

「……? どこだ?」

 香りを辿って歩くと、ぼんやりと光る看板。カフェらしいその看板は、この薄暗い路地裏にはいささか不釣り合いだ。けれどなんとなく気になって、アンティーク調の扉に手をかけると、カランコロン、と軽やかな音が響いた。

「あ、いらっしゃいませ」

 カウンターに立っていたのは、少女……と言っても差し支えない、若い女。カウンター席とテーブルが二つだけの狭い店内に客はおらず、もう店じまいの準備をしていたのか、女は手にふきんを持っていた。

「あっ、気にしないで、どうぞ座ってください。ご注文はどうされますか?」

 ふきんを置き、笑顔でカウンター席を指す。えらく明るい女だ。居座るつもりはなかったが、その笑顔になんだか気が抜け、俺は高めのスツールに腰かけた。
 とりあえず、コーヒー。そう告げると、女はこれまた笑顔でかしこまりました、と言い、サイフォンに火をつけた。
 出来上がりを待つ間、俺はもう一度店内を見渡した。客は俺ひとりで、店員もこの女以外には見当たらない。

「あんた、ここはひとりでやってんのか?」
「いえ、ここはおじいちゃんの店なんです。腰悪くしちゃったんで、今は奥に引っ込んでますけど」

 なるほど。じいさんの手伝いをする孫娘、ってことか。まあよく見るとそこそこかわいいし、看板娘として機能しているんだろう。立地は最悪だと思うが。
 女はカウンター内の棚から豆が入った瓶をいくつか取り出し、えらく本格的なコーヒーミルにざらりと入れた。ハンドルを回すと、ゴリゴリと豆が挽かれる音がする。

「慣れてんだな、と」
「一応長いこと働いてるので! お兄さんは、お仕事帰りですか?」
「あー、まあそんなとこだぞ、と」

 仕事帰りではないが。むしろ絶賛就業中である。
 そんなことつゆとも知らない女は、お仕事お疲れ様です、と言いながら作業を続けた。先程火にかけたフラスコからコポコポと湯が沸いた音が聞こえ、サイフォンの上部にフィルターと挽いた豆を入れる。コーヒーの淹れ方なんて、普段イリーナの淹れたインスタントしか知らない俺にはよくわからないが、まあ手際はずいぶんといいんじゃないか。

「他に店員はいねえの?」
「ん〜、おじいちゃんが人を雇いたがらなくて……お店の場所も場所なんでそこまでお客さんが来ることもないんですよね。だから必要ないって。その結果ぎっくり腰なんかになっちゃったんですけど」

 手を動かしながら、女は楽しそうに笑う。話す内容は特段面白いものとは言えないが、愛想のいいところは好感がもてる。ちょっとガキ臭いが、それも愛嬌というやつだろう。
 フラスコから上部へと湯が上がる。なんとも不思議な光景だ。女はカウンターの横からヘラを取り出して、上がってきた湯とコーヒーの粉を混ぜるように攪拌した。コーヒーの香りが店を満たす。

「ところで、お兄さんはお仕事何されてるんですか? この辺りってことは、神羅カンパニーの方ですかね」
「俺、タークス。知らねえ?」

 カウンターに肘をついて聞く。それは、好奇心だった。女はぱちくりと飴色の瞳を瞬かせる。
 俺がタークスだと知った人間の反応は、大体二通り。目に見えて怯えるか、お前のせいでと罵るか。……このミッドガルに、神羅の干渉を少しも受けていないやつなんかいない。それは恩恵然り、厄難然り。
 そんな神羅の中でも、特に嫌煙されるのが俺達タークスだ。大企業神羅カンパニーの裏で、様々なことを揉み消すために動く俺達。俺達の仕事の全貌を知らなくとも、噂で聞いたことくらいは誰でもあるだろう。
 タークスは、そういう存在だ。
 肘をついたまま、女を見つめる。女は大きな目を丸くしたまま、サイフォンの火を消した。

「タークスの方って………………お仕事熱心なんですね」
「は?」

 我ながら素っ頓狂な声が出た。もう一度言おう。は?
 女はもう一度湯をかき回し始めた。

「だってこんな時間までお仕事されてたんですよね? 神羅は定時帰宅だって聞いてたので、びっくりです」

 ……神羅は定時帰宅だというのがどこ情報なのかは知らないが、ずいぶん呆けた答えだ。
 そのまま女を見つめていると、フラスコにコーヒーが落ち切った。フラスコをサイフォンから取り外し、保温機らしいところからカップとソーサーを取り出してコーヒーを注ぐ。ゆったりとしたその動きに、俺は何も言わず、女の瞳を見続けた。

「はい、お待たせしました」

 俺の目の前にカップが置かれる。その手は女らしいほっそりとした指だ。引き立つコーヒーの香りに、疲れた心がほぐれていく。……コーヒーのおかげだけか?
 シンプルな装飾の取っ手を持ち、俺らしくもなくゆっくりと口に運ぶ。苦い香りが鼻腔を満たし、唇に届く。温かいそれを、口に含んで…………

「まっっっず!!!!」
「ええ!?」

 俺は吹き出した。

「ゲッホゲッホオエッ」

 ついでに噎せた。ありえねえまずさだろこれ!
 香りはとてもよかった。インスタントとは比べ物にならない、深みのある香り。そんなもん気にしたこともない俺ですらわかる、とても美味そうな香りだった。
 だから勝手に脳内で『美味いコーヒー』の味をイメージを作って、口に含むと……なんていうか、想像と違うどころじゃない。
 もう一度コーヒーを飲む。うん、苦い味の湯だ。
 こんなことあるか? 信じらんねえ。女を見ると、ガーン……と効果音が聞こえるくらいに、ショックな顔をしていた。
 思わず顔を伏せる。抑えようとしたが、我慢できなかった。

「ぶっ、アハハハ! 嘘だろオイ! こん、こんなまずくコーヒー淹れるやつ初めて、初めて見たぞ、と……」
「ご、ごめんなさい!」
「うちのアホな後輩ですらもうちょいマシなもん淹れるぞ、クク、あ〜面白え」

 大爆笑した。なんかもう、お仕事熱心とかとぼけたこと言われたこととか、どうでもよくなってしまった。
 笑いすぎて腹痛え。腹筋割れるんじゃないかってくらい痛む腹を抱えていると、女がふてくされたように頬を膨らませる。

「わ、笑いすぎじゃないですか……」
「あんだけ自信満々に、長いこと働いてるので! とか言っといてこれかよ、と……は〜、なんだったんだよあの自信」
「……じ、実はおじいちゃんに『お前はコーヒーだけは淹れるな!』って言われてて……」

 そこでもう一回吹き出した。なんで淹れんなって言われてんのに淹れたんだよ。女は淹れ方は間違ってないんですよ、とか、なんでこうなるのか自分でもわからなくて、とか、言い訳なのかなんなのかわかんねえことを言っている。

「も、もう! これでもちゃんと丹精込めて淹れたんですからね!」
「あーわかってるわかってる、それは見てたからわかってるぞ、と、クク」
「絶対わかってないですよね!?」

 いまだ笑い続ける俺に、ギャーギャーと喚き続ける。お前それでも店員かよと思うが、そんなことはどうでもいい。
 ようやく笑いが収まってきたので、滲んだ涙を拭いながら女を見る。静かになった俺に、飴色の瞳が訝しげに細められる。さっきコーヒーを淹れていたときとはえらい違いだ。俺は喉だけ鳴らして笑って、カウンターの向こうの女に問いかけた。

「な、あんた、名前は?」
「え?」

 今度は女が素っ頓狂な声を出す番だった。
 さっきまで爆笑してた初対面の男が名前を聞いてきたんだ、驚きもするだろう。女の丸い目を見続けていると、ゆるゆると肩を下げて、飾り気のない唇を開く。

「……名前です」
「名前、な。わかったぞ、と」

 名前。名前を聞いて、まずいコーヒーを一気に飲み干した。
 いきなりカップをあおった俺にまた驚いた名前。名前を横目に、カウンターに金を置いて立ち上がる。

「ごっそさん。また来るぞ、と」

 名前の返事も聞かないまま、スーツの裾を翻して店を出た。慌てたように、ありがとうございました! と声が聞こえる。俺はその声を聞きながら、さっきよりも軽い気持ちで路地裏を抜けていく。

 オフィスに戻ると、時間よりも早く帰ってきた俺に主任の視線が突き刺さったが、そんなことはどうでもいい。上機嫌のままデスクに座り書類に向き合うと、向かいのイリーナがぼそぼそとルードに話しかけた。

「……なんかレノ先輩、やたら機嫌よくないっすか? 正直気持ち悪いんですけど……」
「…………何かいいことでもあったんだろう。ああいうレノは、大抵その場合が多い」
「怖ッ……まだ一時間ぐらいしか経ってないのに。あんだけ駄々こねてたくせに仕事もちゃんと始めちゃって」
「イリーナ」
「すっすみませんツォンさん!」

 珍しく相棒がベラベラしゃべるのも、キャンキャンうるせえ後輩に主任が叱るのも、いない間に積まれたであろう書類も、今は全部どうでもよかった。

「おもしれーオモチャを見つけたぞ、と」

 ボソリと呟いた俺の言葉に、イリーナがドン引きしていたことを、俺は知らない。

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