穴の中の魚

離れに訪れたが彼の姿は見えない
と、言うことは

敷地内に目を向けると穴から土が湧いて出る様が見える
あそこか
実に分かりやすい


「綾部くーん」

「なまえさん」

「休みなのに精がでるね」


すでに私の身長よりも深い立派な穴が出来上がっていた
そしてその穴の中に綾部君がいる

ここに訪れた時に着ていた忍び装束を纏い
以前穴を掘りたければこれを使いなさいと渡したスコップを握りしめ随分と泥だらけだ

暇さえあれば穴を掘っているし
汚れる事など気にならない程穴掘りが好きなのだろう


「穴掘りは僕の趣味でーす」

「そうかそうか
君が掘る穴は立派だものね
しかしクリームソーダは良いのかい?」

「食べます!」


今日は綾部君の仕事はお休み

私と雑渡さんの旅行の口止めの賄賂を兼ねて外に連れ出すつもりだったのだ
しかし泥だらけの忍び装束ではさすがに連れていけない


「じゃあまずはお風呂に入って着替えておいで
その間に私も用意するから」

「はーい」


綾部君はスコップを足場に慣れたように軽々と穴から這い出し
足取り軽く離れへと向かって行った

しかし、クリームソーダ一つで可愛いものだ
忍者と言ってもまだまだ子供だなぁ



─────────



「綾部くーん、準備出来たー?」


着替えも化粧も終わり
私の準備が終わった所で再び離れを訪れたが何だか静かだ
用意が終わったのだろうか
茶の間から部屋の方へと移動しようかと思った時
襖が開いた


「って、綾部君?!」

「なまえ、さん…」


襖が開いたそこに立っていたのは綾部君だが
何を思ったのか服を着ていない

水が滴る様子から風呂上がりなのだとはわかるが何故全裸なのか

私自身が襖の前に立っていた為辛うじて下半身は見ていない
何事かと事態を理解しようとしている刹那そのまま抱きつかれ事態はより複雑化した

まだまだ子供だと思っていたが鍛えられたその体はやけに大人っぽく感じた

いやしかしダメだ
とにかくダメだ
仮にも人様の家の子供を預かっているのに不埒な行為など…


「ちょっ、まっ…!
落ち着いて!君はまだ13さ…って、熱い…?」

「フラフラ…します」


混乱していて気付けなかったが綾部君の顔は熱い
のぼせたか?とも思ったがそれにしては少し様子がおかしかった


─────────


38度


「…風邪だね
最近一気に寒くなったからねぇ…季節の変わり目は体調を崩しやすいから」

「…げほっ」


手持ちの体温計が示した数字は病人そのもの
自分の発熱すら感じられない程夢中になっていたのだろうか
そうまでさせる魅力が穴掘りにはあるのか

あの後タオルを持ち出して綾部君を拭いたり着替えさせたり布団を敷いたり…

尚下半身を見ない努力はしたので私は見ていない


「よくそんな状態で穴が掘れたなぁ
お粥作ってくるから待ってて」

「…やだ」

「やだじゃない。いくら若いからってご飯食べて薬飲まないと治らないよ」

「…一人いやです」


病は気を弱くさせるが
彼も例外ではないようだ
弱々しく私の服を掴み
潤んだ瞳でか細い声で囁かれるのはどうも気分が良くない

私の言葉は正論の筈なのに私が悪者のように感じるからだ


「材料持ってきてここで作るから
少しだけ待ってよ」

「はい…」


言い聞かせるように顔をのぞき込み
頭を一撫でしてあげると渋々ではあるが納得してくれた


「綾部君は偉いねー
粉薬飲めるんだ」


食欲はあるようで
お粥は完食し
言われた薬もそのまま飲み込み
先ほどよりは少し落ち着いた様子が見受けられる


「なまえさん飲めないんですか?」

「うん。だって苦いもん」

「子供みたい」

「こう見えて君の倍近く生きてるけどね」


この時代はオブラートってものがあるから別に粉薬がそのまま飲めなくてもさほど苦労はしない

しかし彼の時代の薬とか凄く苦そうだ
私がもし彼らの時代に生きていたら発達していない医療技術が原因で死にそうだなとふと思った


「…最近、ここでの生活に慣れてきました」

「二ヶ月も経つんだ
慣れてしまうだろうね」


彼と出会った時は夏だった
しかしその夏も終わりもうすぐ雪の季節がやってくる
彼は確かにここの生活に馴染み
適応している


「前の生活を忘れてしまいそうな気がして
怖いんです」


彼はここでの生活に溶け込んでいき
店でもうまくやっている

うまくやっているからこそ
彼は不安なのだろうか

ここでの生活が彼の日常になってしまう事を恐れているのだろうか


「滝やタカ丸さんや…三木や立花先輩の事、忘れてしまいそうで」


彼の視線は天井だが
実際に今視ているものは違うのだろう

病気のせいで気弱になっているか
でも、まぁ彼は本当によく我慢している


「大丈夫だよ
そう簡単に忘れないさ
過ごしてきた時間の長さが違いすぎるだろう?」

「そうですかね」


彼の話から察するに
綾部君は忍術学園に入学して三年が経つ

加えて忍術学園は全寮制との話だ

三年間も同じ学びやで生活を共にした人たちなど二ヶ月程度では忘れないだろうし
色あせる事すらないだろう


「じゃあこうしようか
忘れないよう、綾部君の友達の話毎日一つずつ聞かせてよ
きっと話す事も無くなる頃には戻れる」

「戻れる、かな」

「この間神社でお参りしてきたし戻れるよ
賽銭も奮発したんだ。神様にも仕事して貰わなきゃ」


結構な額を私は賽銭箱に投げ入れたのだ
雑渡さんは結局電車賃すら負担させてくれなかったからここで位使おうと思い投げ入れた賽銭
これで叶えてくれないというなら神様はえらく強欲だ


「じゃあ、きっと戻れますね」


気休めでしかないような私の神頼みでも
少しは安心したのだろうか
柔らかく笑ってくれた


「滝は僕を怒る時アホハチローって言うんです
自分はカスなのに」

(綾部君にここまで言わせる滝夜叉丸って子は一体どんな子なんだ)


しかしアホハチローという語感の良さには少し感心してしまった
滝夜叉丸という人物は勉強も出来ると言っていたし
センスが良いのかもしれない


「僕の名前は喜八郎なのに
ここでは雑渡さんだけが僕を名前で呼んでくれますが
以前より名前で呼ばれる事も少なくなって
沢山嘘をついて
自分が分からなくなりそう」


名前、という点では確かにそうか
綾部は名字でしかないのだから

名前も呼ばれず
素性に関しては嘘をつき続けるのは自分を見失いそうだ

13歳だった頃の私はそんな事は出来ただろうか

出来やしないだろうか

そもそも嘘をつき続ける事が良心の呵責に襲われてしまう


「喜八郎」

「なまえさん…?」


私に出来るのは
こんな事程度か


「私には嘘つかなくて良いんだしさ
大丈夫、喜八郎は喜八郎だよ」


言い聞かせるように
喜八郎の名前を呼んだ


「はい」

「早く治してまた元気に穴を掘ると良いよ
クリームソーダも食べに行かないとね」

「ありがとう、なまえさん」


熱はあるものの
その表情は穏やかで

安心したのか
はたまた薬が効いてきたのか

規則正しい寝息が聞こえはじめた


「ははっ、忍者とは言えまだまだ13歳だねぇ
寝顔は子供そのものだ」


何があっても
私はこの子の味方でいようと思う