二つの熱

「最近、年を取ったのかなぁ」

「いきなり、どうしたんですか」


36歳にもなって頬杖をついてため息を漏らす上司を持つ部下の心境とはどんなものか

今日も今日とて諜報活動
早々に終わらせてしまいたいがこればかりは日数を重ね確かな情報を手に入れなくてはならないのだから
そうもいかないのが辛い所だ


「少しばかり、心境に変化が出てね」

「そうですか」


なんだ、やけに反応が冷たいじゃないか


「ねぇなまえちゃん元気だった?
お腹空かせてなかった?
尊奈門帰り遅かったけど何もしてないよね?」


心なしか機嫌が悪く見えるがなまえちゃんと何かあったのだろうか

彼女の協調性は未知数なのだがむやみに喧嘩を売る子だとも思わない

尊奈門をからかって地雷でも踏んだのだろうか


「…組頭過保護すぎやしませんか
何もしませんよ…町に買い物に行きたいと言うので付き添っただけです」

「良いなぁ、私もなまえちゃんと町に行きたかったなぁ」

「次の休みに行けば良いじゃないですか」

「言われなくとも」


この諜報活動を繰り返し、情報がある程度固まってきたら一日位部下に任せても良いだろう

町に出たら何を買ってあげようか
白粉か、簪か、帯か

一体何が似合うだろうか

一体何が喜ぶだろうか



─────────



最近、帰宅が楽しみになった


「雑渡さん!お帰りなさい!」


待っててくれる人がいると言うのは嬉しいものだ

おかえりの一言でこんなにも終業が待ち遠しくなるとは

この家に対して今まで何も感じた事が無かったが
彼女が来てからどことなく空気も変わった気がする


「ただいま、良い子にしてたかい?」

「雑渡さん私をいくつだと思ってるんですか
雑渡さん聞いて下さい、今日はご飯を作りました」

「なまえちゃんが?」

「えぇ、諸泉君に買い物を付き合っていただいたんです
あと火を起こすのも」


二人で買い物
その言葉に少しだけ嫉妬をしたが私の為だと思うと可愛いものだった

買い物か、そこで尊奈門の地雷でも踏んだのだろうか


「色々、大丈夫だった?」

「勝手は違ったけどどうにかなりましたよ
この時代の台所の使い方は忍術学園で予習していたので」


聞き方が少し遠回しすぎたか
まぁ良い、私に報告する程深刻な喧嘩をしたわけではないようだし
気にしないでおこう


「そうか、しかし帰宅したら暖かいご飯が用意されてるなんて何年振りだろう」

「喜んで頂けましたか?」

「あぁ、凄く嬉しいよ」


慣れない台所にも関わらず
やはり彼女の料理の腕は確かなようで用意された食事は美味しかった

火の起こし方もまだ完璧ではないのだから毎日は無いだろうが
それでも時折こうして食事を用意してくれるのだろうかと思うとまた仕事を頑張れる気がした


「にしても、どうしてまた突然?」


食事も終わり
囲炉裏の前で隣り合って話すこの時間

あまり多くはとれない時間だがそれでも私には幸せな時間だった

目の前の囲炉裏とはまた違った熱が布越しに伝わる


「お世話になるだけは心苦しいですから」

「洗濯と掃除だけでも助かってるのに」

「お風呂や食事もきちんとしたいんですよ
どうせ待つだけなら、帰りたくなる家にした方が雑渡さんも早く帰って来てくれるかもしれないし」

「帰りたくなる家、ねぇ」


君の策略に
私はまんまとハメられた訳か

帰りたくなる家を目指すというのなら彼女がいるだけでも十分なのだが
それに暖かい食事までもつくとなると満点だ


「私はね、君のそういう気遣いが好きなんだ」


息をするように
当然のように行う彼女の気遣いが私は好きだ


「いきなりどうしました?」

「喜八郎君は分からないけど、私は気付いていたよ
君はわざわざ私達の前で極力横文字を使わないようにしていた事も」

「…おや」


便利な言葉を彼女はもっと知っている
けれどそれの多くはこの時代には存在しない言葉だ

彼女はそれを意図的に避けていた

何度か耳にした私達以外との会話

私達との会話では使う単語に違いがあると気付くのはすぐだった


「そういう気遣いを自然と出来る所に私は惚れたのだろうね
お陰で最近、忘れかけていた感情を思い出してしまったよ」

「それは何ですか?」


この時代に戻ればまた忘れられると思ったのに

思い出したその感情は予想以上に根強く

私の心を蝕んだ


「死ぬのが、怖いんだ」


誤魔化すように彼女を抱き締め

囁くように呟いた


「…」

「そんな感情、とうに忘れたと思っていたよ
しかし困った事にね、君に会ってから思い出してしまった
死んだら、もうなまえちゃんに会えなくなる」

「困りましたね、嬉しいです
嬉しいですが、それは果たして忍びとして生きる雑渡さんにとっては良いことなのか悪いことなのか…
どっちなのでしょうね」


抱き寄せた私の体を弱々しくも抱き締めながら
呟いた声色から彼女の表情は暗いだろう

死が二人を分かつ時でなくとも
私達はまた何時別れてしまうか分からない


「どうだろうね
考え方次第だろうけど」

「何かに執着するのは悪い事ではないと思います
恐怖が、執着が、未練が人を強くする事もあるんじゃないでしょうかね」


彼女のあげた感情はどれも醜いものだ


「36歳のおじさんが女々しい話だねぇ」

「私は好きですよ」

「ありがとう」


恐怖も執着も未練も

全ては愛故なんて

これほど可笑しい話はない