8夜目

「テキトーに準備すっからちょっと待ってろ、コーヒーでいいか?」
「えっ?!あ、有難うございます」
「良かったですね、左馬刻の入れるコーヒーは絶品ですよ」

案内された事務所は綺麗な所だった
よく手入れされた観葉植物が飾られ、掃除も行き届き広さもある
一体何の事務所かは分からないが左馬刻さんはすごい方なのだろうか

革張りの黒いソファーに腰を掛け、頂いたコーヒーに口をつけると香りの良い酸味が鼻をくすぐる
入間さんのいれてくれるコーヒーも美味しいがこのコーヒーは絶品だ

「入間さん、この方々と仲良いんですねえ」
「あ゛ぁ?」

そして一息をついて思わず漏れ出た私の言葉は
どうやら左馬刻さんの怒りに触れたらしい

「テメエ今この方々つったな?」
「はっ、はい」
「まさかヨコハマに住んでて俺様達を知らねえとは言わねえよな?」
「えっ、あっ、左馬刻さんですよ、ね?」
「様を付けろや!!」
「ひぃっ!ごめんなさい左馬刻様!!!」

キレた入間さんも怖いけどやっぱりこの人は比じゃない
もっと怖い、メチャメチャ怖い

青筋を浮かべてポケットに手を突っ込んだまま普通にソファーも蹴っ飛ばしてきた
見た目通りと言えばそれまでだがとにかくこの人怖い

しかし気のせいだろうか
この罵声、どこかで聞き覚えがある気がする

「いい加減にしろよ左馬刻、カタギにキレてんじゃねえよ」
「本当になまえは小官達を知らないのだな」
「えっ、あ…申し訳ありません…」

入間さんの影に隠れて震えていると理鶯と呼ばれていた方が気にかけてくれた
どうやらこの人だけは話が通じそうだと思っていたら
理鶯さんの口から驚きの事実が告げられた

「自己紹介が遅れた、リーダーの左馬刻に銃兎、そして小官、毒島メイソン理鶯を入れた3人でMAD TRIGGER CREWだ」
「なんでヨコハマに居て知らねえんだよナメてんのか」
「これだけ一緒にいる私の事も知らなかったんですからお二人の事だって知らないでしょう」
「…え、ま、まっどとりがーくるーが…?全員…?いる…?」

あれ、もしかして入間さんを検索した時に一緒に写ってた人達か
全然意識をしていなかった

左馬刻、理鶯
ディビジョンラップバトルの参加者はイケブクロ以外揃いも揃って変わった名前が多く
顔はおろか名前も覚えられなかったが言われてみればそんな感じの人達がいた気がする

「あ、あの…ヒプノシスマイクは…勘弁してください…」

とりあえず、泣きながら3人にはこれを懇願しておいた


******


以前入間さんを起こした電話の相手が左馬刻様だったのだとようやく気付いた
入間さんの口が悪くなるという事はやはり気を許してる証拠なのだろう

現に今も普段あまり見ないような柔らかい表情をしてお酒を飲んでいる
たまに行われる左馬刻様との言葉の悪い言い合いはたとえ冗談でも見ていてヒヤヒヤするものがあるが
本人達はその距離感が良いのだろう

「銃兎が最近女飼いだしたとは聞いてたけどよぉ」
「…メチャメチャ語弊ある言い方ですね」
「というか何時私がそんな言い方しましたか」

私は入間さんとの関係なんて友人にも話せていないが入間さんは違うらしく
左馬刻様と理鶯さんには話しているようで二人は元々私に会ってみたかったらしい
それにしては少しやり方が強引だとは思う

「つうかアレほんとか?銃兎とほぼ毎日一緒に寝てるっつーのにヤってねえってやつ」
「…ホント、です…」

しかし左馬刻様、ホント、口が悪い
お酒も周り、気持ちよくなっているのかもしれないが仮にも私達は初対面なのだが

「ウサちゃんは発情期がまだ来ないんでちゅかねー?あんまたまるようなら俺様が相手してやっても良いぜ?」
「左馬刻テメエ黙ってろ…」

これはヤクザジョークなのだろうか
どう反応すれば良いかわからないのが本音だし入間さんから話を聞いてるなら私達はお互い眠いだけだと認識してそうだがつまらない事は覚えないタチなのだろうか

「ちょっとトイレに行って来ます、ついでにタバコも吸って来ます
なまえさん、もし何かあったら大声を出してくださいね」
「はっ、大声出せるような状況に誰がするかってんだ」
「小官がついてるから大丈夫だ」

そう言って入間さんは事務所から出て行ってしまう
あ、やばい、お酒があるとはいえ流石にちょっと気まずいかもしれないっていうかお酒あるからこそ嫌かもしれない

「銃兎からなまえの話しはよく聞いている」
「は、はあ」

そんな私の緊張を解いてくれたのは理鶯さんだった
入間さんの普段の穏やかな口調は猫被りだと知ってるが理鶯さんはこれが素の性格らしい
大きな体と低い声に最初は少し身構えたが話せば話す程気を許せる人だ

「最近は銃兎の顔色も良いし、ラップのキレも上がった
きっと体調が良いからなのだろうな」
「そうなんですか?」

そして入間さんが居ないからだろうか、私の知らない入間さんの話をゆっくりと始めた
聞けば入間さんが疲れていたのは本当で、最近随分と顔色が良く調子も良さそうなので何かあったのかと問い詰めた所私の話をしたらしい
というかそんなに目に見える程彼は疲れていたのか

バーは照明も暗い為以前の入間さんの顔色を知らない私には少し意外だった

「銃兎も体が資本の仕事をしているからな、貴殿との睡眠はそれは良質なのだろうな」
「私は分かんないですけど、でも人肌は安心しますね
私も入間さんと会ってから肌の調子が良いです」
「それは良い事だ」

きちんとした睡眠と朝ご飯のお陰か、本当に最近は肌を始めとした体の調子が良かった
世間はあまり信じてくれないかもしれないが私達は本当に互いの健康の為だけに添い寝をしているのだ

「変な事はされませんでした?」

一服の終わった入間さんが帰って来た
というか左馬刻様はメチャメチャ此処でタバコ吸ってるしわざわざ外で吸わなくても良いのに

「おい銃兎ーついでに割り物取ってくれや」
「仕方がないですねえ、てかまだ飲む気ですか?」
「今日は何時もより人が多いから酒の減りがはえーだけだよ、まだ大して飲んでねえっつの」

そう言ながらも入間さんはまんざらでもないのか、少し嬉しそうに冷蔵庫から割り物を取り、私の隣へと戻ってきた
最初は少し警戒したし、あのMTCだと及び腰だったが
こうやって話しながら飲むお酒は美味しかった


*****


と、思っていたのが数時間前
何だこれ

「…スー…」
「 …ナメてんじゃ…ねぇ…」
「…ん…」

お酒は飲んだ
いっぱい飲んだ

左馬刻様も理鶯さんも、運転の心配もなくなった入間さんもすっごく飲んでた
楽しかったし美味しかった

そして今のこの状況だ

私の左半身を抱えるのは理鶯さん、右半身を抱えるのは左馬刻様
そして顔を包む腕は入間さんだ

此処にいる人間全員25歳以上で飲酒も慣れてる筈なのに全員潰れて
それがどうしてか皆仲良く床で雑魚寝してるしすっげえ器用に皆さんが私にまとわりついてる

やばい、本当に何だこれ
私MTC全員と寝たって言える状況だよ

「…ん、なまえさん…」
「あ、銃兎さんおはようございます、これ…」

戸惑っていたら入間さんが起きたようだ
良かった、助けてくれ

「…ああ、これは良くないですね」

状況を確認した入間さんは徐に立ち上がり
二人を起こさないように私から引き剥がすと別室の扉を開けた

「泊まり込み用の布団があるんですよ」
「はあ」

そこは小さな和室で、とても慣れた手つきで入間さんは押入れから布団を取り出す
いや待った、お前この状況でもどんだけちゃんと寝たいんだよ

「ほら、なまえさん来てください」
「は、はぁ…」

綺麗に敷かれた布団の中に潜り込んだ入間さんに手招きされて
まだ酒が抜けてないのか何かもうどうでも良いや、と半ばヤケクソになりつつも
理鶯さんと左馬刻様にも毛布だけ掛けて、ポーチから取り出したメイク落としで軽く化粧を落とし入間さんと布団に潜り込んだ

私が以前から知っていた情報に加え検索し、新たに知り得た世間のMTCの印象はどれも数あるディビジョンチームの中でも極悪、物騒、悪い奴ら、そのような言葉ばかりが並んでいた
それこそ女なんか取っ替え引っ替えしてそうな人達しかいないっていう印象なのに
実際は本当の意味で仲良くおねんねしてくれた

ていうか左馬刻様、俺様が相手してやろうか?ってえらいカッコつけた顔で言ってませんでしたか
入間さんと同じくメッチャスヤスヤ眠ってるじゃないですか、寝顔は結構幼いんですね?

こんな事人にはいえないし、そもそも言っても信じてくれないだろうなあと思いながらも入間さんは何時もよりも眠そうな声でおやすみなさいと言うと
あっという間に聞き慣れた寝息が聞こえてきたので

私も諦めて意識を手放す事にした

なお起き抜けの左馬刻様に入間さんが蹴飛ばされるのはこれからほんの数時間後の話だ