14夜目

38度

手に持った体温計が指し示した数字は誰がどう見ても立派な発熱で
つまるところ私は風邪を引いた


『すみません、風邪引いたので今日は無しで』


謝る必要、本来は無いんだろうけど念のため文頭につけてしまう
会社への連絡も、銃兎さんへの連絡も済んだ

はぁ困った
1人暮らしの病気ほど心許ないものはない

体に鞭を打って何とか起き上がり、最低限の身嗜みだけ整えてタクシーで病院に向かう
帰りはスーパーで適当に何か買って来よう、そして寝込んでいよう

しかしキツい
頭はぼーっとするし汗はかくのに寒い
朦朧とする中なんとか病院に向かう準備をした

*****

幸いただの風邪であり、数日で治るそうだ
それでも辛い事は変わらず、ずっと寝込みながら天井を眺めていた

(…寝飽きた…)

寝るのにだって体力を使う、ずっと寝るにも限界はあるが起きているのは起きているので辛い
眠気よりも怠さや息苦しさが勝り、寝付く事も出来ずかと言ってやる事もない
スマホをいじって出来る事も特に無いし1人の部屋でこの状況は少し辛い

ピンポーン

無理矢理にでも寝れないだろうかと再び布団に深く潜ろうとした時、呼び鈴がなった

「…宅急便か何か頼んでたっけ…?」

ちなみに荷物の予定はない
そんな事も思い出せないのだから風邪というのは侮れないものだ


「へ?銃兎さん?」
「意外に元気そうですね」
「いやどうしたんですか」
「お見舞いですよ。それが何か?」

ふらつく足で玄関の鍵を開ければ見慣れた顔が立っていた
仕事帰りなのだろうか、何時ものスーツにきっちりとセットされた髪にそんな姿には少し似合わない買い物袋を手に下げている

「お邪魔します」

そして何時も通り、私の意見など聞かず
迷う事なく来客スリッパを取り出し、うちにあがるのだった

「食事は?食欲はありますか?」
「ご飯はまだですけど…お腹は…まあ、空いて来たかなって…」
「じゃあ安静にしててください。台所借りますよ」
「えっ」

驚いた、あの普段お湯すら沸かさない銃兎さんの口から台所を借りるだなんて言葉が出るとは

「うち左利き用の包丁無いですよ…?」
「…知ってますよ。そんな事気にしなくて良いですから」

病人は大人しくしてなさいと、ベッドに押し込まれ
また見慣れた天井と睨めっこを続けたが先ほどと違うのは聞き慣れない生活音が聞こえる事だ
誰かがいる、それだけで風邪で心細かった私には少し嬉しかった

「…人が作ってくれたご飯だ…」
「そこ、感動するところですか」
「そりゃそうですよお…うぅ…でも鼻つまってるから味よく分かんないや…だけどきっと美味しいです」
「そうですか、ならよかった」

慣れない台所で銃兎さんが作ってくれたのはお粥と野菜が沢山入ったミネストローネだ
味があんまり分からないのが申し訳ないけどきっと美味しいし、何よりあったかい

「熱い、あったかい、おいしっ」
「…熱でやられてるんですか?片言みたいになってますよ
お粥、一食分ずつタッパーに入れて冷蔵してありますから。良かったら明日も食べてください
食欲が無ければスープだけでも飲んでくださいね、食べ終わったらリンゴもありますが食べれますか?」
「ウサギのリンゴです?」
「ご要望とあればウサギにしてあげますよ」

そんなの、所望するに決まっている
あの銃兎さんがうちの台所で一生懸命リンゴをウサギに切ってくれるなんて今後二度とないだろうし
何より考えただけで少し面白い

*****

良い年した大人がウサギリンゴを所望して
良い年した大人がウサギリンゴを作ってくれた

甘いリンゴの後には苦い薬が待っていたが、大人なのでそこは何なく飲む
少しだけ顔はしかめたけれど、こればかりはいくつになっても慣れない

「風邪の中申し訳ありませんがもう少し詰めれますか?」
「えっ、銃兎さん病人と寝る気かよ。欲望に忠実か?」
「こちとら昨日あまり寝れてないんですよ、仮眠だけしたら帰ります。私の場合、睡眠不足の方が体を壊しそうなので」
「そういう事ですか」
「なので、もしかしたら夜中に起こしてしまうかもしれません」
「私は今日一杯寝たので気にしなくて良いですよ」
「それは羨ましい事ですね」

そうやって笑った銃兎さんはネクタイを解き、どうせ数時間だからと上等なスーツにも関わらず床に脱ぎ捨てると布団に入り込んでくる
2人分の体重でベッドが少しばかり軋んだ

「銃兎さんひんやりー…」
「これはなまえさんが熱いんですよ。本当に熱あるんですね」
「仮病なんて使いませんよ」
「そうですか」

おやすみなさい、そう言って銃兎さんは目を閉じた

本当は仮眠すら許さず、帰すのが正しいのかもしれない
だってこの人は体が資本な警察官なのだから

昨日寝れてないというのはきっと事実だろうが、それよりも私が銃兎さんに居て欲しかった

風邪というのは厄介だ。こうやって判断を鈍らせてしまう
そして当の私は罪悪感など感じる前に、銃兎さんの体温とわざわざお見舞いに来てくれた事実に風邪とはまた別に胸が熱くなるのを感じた

誰かに看病して貰うのは久しぶりだったし
そしてそれが銃兎さんなのは単純に嬉しかった

「…スー…」
(いや、病人より先に寝るなよ)

私の心境など知らず、この状況でも変わらぬ寝つきの良さを見せる銃兎さんを起こさないよう
小さく笑って、もう少しだけ銃兎さんに寄り添って私も目を閉じた