祝福されなかった子供

「はぁ〜!ごちそうさまでした!」
「本当によく食ったな…」
「いやあ、食べられる時に食べておかないと!」

明日はご飯が食べられるかも分からないのだから、という言葉は飲み込んだ。
好きに頼んで良いと言うのでお言葉に甘え、尾形さんにつられてお酒まで飲んでしまった。
飲酒なんてどれだけ振りだろう…お陰で今日はよく眠れそうだ。

食事中、尾形さんとの会話はあまり多く無かった。
どうやら彼はあまり喋らない方らしい、それでも分かったのは私とあまり年が変わらない事(尾形さんの方が少しだけ上だった)位であり
私の事も多く聞いてくる訳ではなく、快適な食事だった。


*****


「送ってく、家は?」
「そこまでしなくても大丈夫ですよ。一人で帰れます」
「いや、もう夜も遅ぇだろ。女一人で帰す訳にはいかねえ」

その女は現役の兵士が三日三晩追い回してようやく捕まるのだから少しくらい安心して欲しいものではあるが
しかしここで別れないと面倒くさい、適当な嘘をついて済ませたいが尾形さんを納得させられそうな嘘が思いつかない。
三日三晩の鬼ごっこさえ無ければ色々と嘘をつけるというのに…。
色々と思案したがやはり上手く嘘が浮かばない、不本意だが酒を入れても話す事の無かった身の上話しを少しだけするとしよう。

「えーっと…」
「なんだ?言えねえとこに住んでるのか」
「…言えないというか、その聞き方が間違えてるというか…」
「どういう事だ?言え」
「…そのー…私、家が無くて…」
「お前脱獄囚か何かか?」

言われると思った。けれど一応そこまで悪い事はしていないのだ。

「違いますよ、私は天涯孤独の身です。
親も居なければ家もありません。幸いというか、狩りの知識などはあるので
野宿して日銭を稼いで、たまの贅沢で宿に泊まるような生活をしてるんです」
「天涯孤独…」
「親の顔は勿論、名前すら知りません生粋の天涯孤独ですよ。
私がいる、って事はそりゃ存在はしてるんでしょうけど…私の事は要らなかったんでしょうね」

もしかしたらどうしようも無い理由があったのかもしれないが両親を辿る手段は何一つ残されて居なかった。
それだけで大体の事は察せられる。
とは言っても、この時代において天涯孤独は珍しい事でも無い。
にも関わらず、私の話しを聞いた尾形さんは少しばかり考え込んだように思えた。

「なるほどね…。わかった、行くぞ」
「へ?どこにです?」
「宿だよ」
「あっ、あー?…そうですか、分かりました」

そうやって私の手を引く尾形さんが向かった先は連れ込み宿だ。
後腐れの無い楽な女とでも思われたのだろうか?
まあ、酒も飲んだし仕方が無いのかもしれない。

湯を浴びれて屋根があり、布団の上で寝られるならこれ幸いだ。


******


なるべく川で綺麗にはしているけれどやはり風呂は良い。
今回は三日三晩の汚れがあるのだから尚更だ。
この後あの尾形さんの相手をしなくてはいけないのが少し面倒だが…一宿一飯の恩は返さなくてはならない。
見た目からして淡白そうだし、簡単に終わると良いのだけれども。

「え、尾形さんまた飲んでる」
「良いからお前も飲め」

部屋に戻ると何時買ってきたのか、尾形さんは酒を飲んでいた。
さっきもそこそこ飲んだというのに…風呂につかった事で酔いでも醒めたのだろうか。

「…なまえ、こういう事はよくするのか?」
「昔は…たまにしてましたけど最近はあんまり…。
それこそ嫁入りとかしちゃえば楽だったのかもしれませんがどそういうの合わなくて」
「男に媚び売るよりか山で明日死ぬかもしれない生き方の方が良いってか?」
「そうですね、そっちの方が合ってます」

きっと私も酔っていたのだと思う。
三日三晩山を歩き回った疲れ、やっとありつけた食事に温かい風呂に綺麗な布団。
そこに酒という開放感が加わって、何時もより饒舌になっていた。
尾形さんも気を良くしたのか、食事の時より口数が多く私の事を聞いて来る。
何時もなら適当に流すのだが考えるのも面倒で、ご丁寧に答えてしまったのだ。

捨て子だった私を育ててくれたある夫婦、子宝に恵まれなかったその二人は私を大切に育ててくれたが血の繋がりの無さ故か、私はどこかで二人を家族とは思えなかった。
そうしてる間に何とその夫婦が子宝に恵まれたのだ。
私の気持ちを察して居たのか、そこから私はまるで居ないものとして扱われた。

望まれて生まれたその子供は祝福され、私の役目は終わったのだと思った。


「だからって名前まで捨てて良かったのか?」
「だって、本当の子供が出来てからはその夫婦が付けてくれた名前で呼ばれる事は無くなったんです。
そんな名前、いらないと思いましたし私も好きになれなかったから」

なまえというのは自分で考えた名前だ。
捨てられていた私には親を辿る情報は疎か、名前すらも無かった。
そんな私に付けてくれた名前も私はどこか受け入れる事が出来ずにいた。
その夫婦から受けた愛情の数々は私ではなく、本当の家族にしたかったのだろうという事が透けていたからかもしれない。
子宝に恵まれ、私にしてきた事をやり直すかのように愛情を実子に向ける一方で
私を無かったものとして扱う様は子供ながらにやっぱりそうだったのだと確信を持ったのを覚えている。

「幼いながらに家を出ましたけど何も探されませんでしたよ。
それで、アイヌは子供を大事にすると知って居たのでアイヌの村にお世話になりました。
まあ、アイヌもどこか合わなくて色々な知識を覚えて15になる頃にはもう今みたいな暮らしです」
「まだ矯正もきくであろう歳からアイヌに育てられたのにそんなに捻くれるって事は元よりそういう人間だったんだな」
「でしょうねー。感謝はしてますよ?私がこうやって日銭を稼げるのもアイヌの知識のお陰です」

確かにアイヌの人達はあの夫婦と比べてよっぽど愛情に溢れていた。
皆優しく、私の様な人間も心から受け入れ色々な事を教えてくれたと言うのに私はそれすらも受け入れる事が出来なかった。

同じ人間だというのに明らかに私と作りが違う。
私の様な者にも愛情深く接してくれ、アイヌの教えを信じて生きる誇り高き彼らとの生活は異物に混ざり込むような居心地の悪さを常に感じており遂には我慢出来なくなったのだ。

誰からの愛情を受けず、もしかしたら明日死ぬかもしれない。
そんな生活の方がよっぽど私には合っていた。

家族からの本当の愛情に触れられなかった子供はどこかが歪むのだろうか?
もっと楽な生き方は幾らでも浮かぶ、それでも今の生活を後悔した事は無い。

「あんたは、どこか欠けてんのかもな」
「かもしれませんね」

尾形さんの言葉に、そう返すと何故か満足そうだった。
その言葉を皮切りに彼は酒を飲む手を止め、もそもそと布団に潜り込む。
そんな尾形さんをぼんやりと見つめていると消すぞ、と灯りまで消されようとしていた。

「しないんですか?」
「酒を飲んだら勃たねえんだ。それともなんだ?したいのか?」
「いえ、しないで済むならその方が良いです」
「正直な女だな」
「今更我慢なんて出来ませんよ」

連れ込み宿の布団なんて1組しかない。
その決して大きくも無い布団で、お互いを温め合うように眠りについた。

同衾なんて初めてではないが、尾形さんとのそれは今までと違いどこか安心した。
何故だろう、何が違うのかは分からない。

一つだけ思ったのは、彼は私と何処か似ているのかもしれないという事だ。