鶴見中尉

尾形さんは命に別状は無いものの、アゴが割れて話せない上に意識を失っていた。
頼むから早く意識を取り戻して欲しい。
そしてありとあらゆる弁明をして頂きたい。

あの日は本当に肝が冷えた。
というか軍がちょっと本気を出したら私は尾形の者じゃないと直ぐにバレそうだ。
バレない為にも、どうか尾形さんには大人しくしていて欲しい。
せめて雪の季節が終わるまでで良いから大人しくしていてくれ。

「なまえ、どうした?考え事か?」
「まーそんなものですね。ちょーっと面倒な事が起きてまして」
「そうか、なまえも大変だな。せめて飯だけはちゃんと食べろ」
「鯉登くんのお陰でそこはだいぶ助かってるよ」

ロシア語の勉強も続けてはいるが尾形さんという面倒な人間が居ない今は以前に近い生活をしている。
毎日少しでも机には向かう事、宿代を気にしなくて良い事、そして時折鯉登くんと食事をする以外は以前と同じ生活だ。

尾形さんのいない生活は楽ではあるが、少しばかり張り合いが無いと感じていたので鯉登くんは丁度良かった。

「おや、君は確か尾形の…」

そんな私達のテーブルに一人の男が近づいて来た。
あまりにも異質な額のプレートを付けた、一度関われば忘れる事がない程印象的な男だ。

「つ、鶴見さん…」
「キエエエエエッ?!」
「って、うわ、鯉登くん何?!」

鶴見中尉、それこそ尾形さんの上官に当たる人だ。
尾形さんが怪我をした際、他の兵に詰め寄られている私を助けてくれた人でもあるがこの人はどこか信用が出来ない。
感謝こそしているがその額のプレートから表情が読み取りにくいからなのかもしれないが何とも言えない不信感を覚える。

しかし鯉登くん、うるさい。

「尾形の見舞いには行かなくて良いのかね?あまり来てないようだが…」
「百之助さんはそんなヤワじゃないですから」
「それはそうかもしれないな」

別に私が見舞いに行った所で尾形さんの回復が早まる訳では無いし、何より兵営内にある病院に足を踏み入れるのは他の兵からの視線が痛かった。

そもそも本来ならば兵営は女人立ち入り禁止だ。
入院ともなると親戚が近場に居ると言う事で手続きなどの為に特別に許可が降りたもののあの様な重々しい場所には何度も足を踏み入れたくない。
そして尾形であるというだけで兵士達の私を見る目が明らかに違う。
尾形さん、貴方はどれだけ評判が悪いんですか?

それが病院から足が遠のく理由なのだがそんな薄情な私を鶴見さんは疑うだろうか。

「○×△※%^&*!!!!」
「いや、だから鯉登くん…さっきから何…?」
(お、尾形ってまさかなまえはあの尾形なのかと鶴見中尉殿に聞け!)
「いや、それわざわざ鶴見さんに言う必要無くないです?
鯉登くん、百之助さんと知り合いだったんです?」
「なんだ知らなかったのか?なまえくんは尾形の親族だぞ」
「キエエエエエエエッ!!!」
「うっるさ!何なんですか!」

そういえば鯉登くんが落としていた写真、今思えばあれに写るのは鶴見さんだった。
しかしそしてこの挙動、鯉登くんは鶴見さんを何か特別視しているのだろうか?
にしたって挙動が怪しすぎるしこいつ、本当に声がデカい。
何もしなくても鯉登くんは目立つし、そこに鶴見さんが加わるだけでも十分異質なのにこの奇声、他の客からの目が余りにも痛い。

(なまえ!お、お前まさか…尾形の妹か?!それとももしやよ、よ、…嫁か?!)
「えー?私は百之助さんの親戚ですよ。遠縁ではありますが、身寄りが無く家を借りるのも難航していたら手を貸して頂けたんです。軍人様様ですよ」
「そうそう、まさかあの尾形がそんな事をするとは」

鯉登くんの挙動が収まる様子は無いが、場の空気は鶴見さんの声で少しばかり変わった。

「なまえくん、君と尾形はそんなに仲が良かったのか?
あの尾形が遠縁の親戚に情を掛けるとは考えにくくてね」

ああやっぱり、疑われてるじゃないか。
尾形さん、貴方は本当に何をしたんですか?
ただの一介の兵士如きが親戚に情けを掛けて家を借りる事を疑われるなんてよほど尾形さんは性格に難ありと認識されているという事では?

私は嘘をつくのは得意な方だと思う、それは生きていく為に必要だったからだ。
けれど尾形さんもそうだが、軍人というのはどいつもこいつも勘が鋭く
嘘を一つ付くのも緊張してたまったものじゃない。
今この瞬間も、鶴見さんは私がボロを出さないか目を光らせている。
その勘の良さを何とか逆手に取ろう。

「…ええ、私も驚いています。彼とは仲が良かった、と言う程でも無かったので…。
でもそうですねえ、百之助さん程ではありませんが私も色々と家族で苦労をしてたので…どこか重なったのではないでしょうか?」

これは以前尾形さんと打ち合わせをした通りだ。
私の出自を詳しく聞いてくる奴がいたらこう答えろと二人で辻褄を合わせ決めていた。
これ以上込み入ってくるのであればその先の話も勿論用意はしてある。
けれど鶴見中尉とあろう方はこの様に含みのある言い方をしてわざわざ聞いてくるような人では無いだろう。

「…そうか、まだ若いのに大変だ。
たまには尾形の見舞いにも来なさい、歓迎するよ」
「ええ、有難うございます。百之助さんの事、よろしくお願いしますね」

そうやって会釈をすると鶴見さんは帰って行った。
察しの良い人で良かった、と内心胸を撫で下ろした。

鶴見さんが居なくなってようやく鯉登くんはまともに喋れるようになったがそれでも
おいは尾形でも構わんと!と的を得ない事しか話さない。
私が尾形と名乗った時の反応を思い出すに、もしかして鯉登くんは尾形さんが苦手か…または嫌いなのだろうか。

ねえ尾形さん、貴方はもう少し人に好かれる努力をしてみては如何でしょうか?