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私は俗に言う“空っぽな人間”なのだと思う。

こうなってしまったのは決して褒められたものではない出自のせいだったのかは分からないが私は子供の時からあまり笑う子では無かったし、意欲的でも無かった。
大人になった今も特にやりたい事は無く、恋愛らしい恋愛もして来ていない。

尾形百之助はそんな私と似たような人間だった。

私の両親は私を産んで直ぐに蒸発し、今や生きてるか死んでるかも分からない。
物心がつく頃には親戚中をたらい回しにされ、最終的には老夫婦と頭のイカれた母親、そしてその子供というこの家に押し付けられた。
厄介者だった私を大人が数人がかりで大して抵抗の出来ないであろう人達にていよく押し付けたのだ。

それでも同情からか老夫婦は私を人並みに扱ってくれたし、頭がイカれてると言っても穏やかな母親の事も嫌いでは無かった。
私より一つ年上の尾形百之助とも良い距離感でいられたと思う。
思えばこの時は私が一番まともな時期だったかもしれない。

しかしそんな環境も長くは続かず、老夫婦も遅からず死に。
まだ学生だった私たち2人ではどうしようも出来ない彼の母親は病院に入った。

それから尾形百之助と2人で暮らす事になったが、お互い身を寄せ合うというような事はしなかった。
学校でも浮きがちだった私達は1人でいる事が多く、同じ家に住んでいるのに会話どころか顔も合わせない日も多々あったのだ。
お互い気が向いた時だけ一緒にいる、そんな関係を子供の頃から今に至るまでずっと続けている。

大学に行きたいか?と高校2年の時に聞かれたが行かないと即答したのを今でも覚えている。
それだけのお金があるのか?とか、色々と考えはあるけれど何よりも私は高校生活ですらギリギリだったのに更にあと4年間も学生を続けられる気がしなかったからだ。

やりたい事も無いし、行く方が迷惑を掛けてしまうからと答えたら彼はそれ以上聞いて来なかった。
でも尾形さんは大学に行った方が良いですよ。頭良いし、大卒ってだけでお給料も違うじゃないですか。とお節介をしたら俺は最初からそのつもりだと短く返された。
その言葉通り彼はきちんと国立大学に進学し、単位も落とす事なくそこそこの企業にあっという間に就職も決め流石ですねと褒めると何時もの嫌味が返って来た日が懐かしい。

尾形さんが就活をしていた頃、私も成人したのだから少しはちゃんとしようかなと思い折角なので一緒に就活をした。

結果、尾形さんの会社と比べたら全然小さいがある会社に採用されたのだ。
高卒でフリーターだった私でも取れる内定なんてこんなものだと思ったがそれでも尾形さんは喜んでくれたように思う。

だってあの時にはお祝いなどとは口にもしなかったがあんこう鍋を食べに連れて行ってくれたのだから。

無事に就職を決めた私は新しい仕事に戸惑いながらも必死にこなす一方で尾形さんも卒論などに追われていた。

それから一年が経過し、仕事にも少しだけ慣れた頃には次は尾形さんが就職先で仕事を覚えるのに必死で忙しそうだった。
あの時は私の方が家事の負担の割合が多かったけれど、仕事から帰ってきて家事をする私に随分慣れたもんだなと言う尾形さんは嬉しそうだったので私も少し嬉しかった。

だからこそ、後の私は言い出す事が出来なくなったのだ。

尾形さんが24歳、私が23歳の時だ。
入社時から変わらない給料明細を見て、尾形さんは既にもう2回昇給していたなと思い出した。

一方で3年目になるのに私の給料はずっと変わらなかった。
高卒で資格も職歴も無かった私の給料なんてしれているが、それでも入社時より色々な事が出来るようになったと思う。

おじいちゃんやおばあちゃんの残してくれた家があるから家賃は掛からないし尾形さんだって結構お給料は貰っているから生活はしていける。

けれど雨漏りを直さないとなあ、と尾形さんが先日見積もりを出していたのを見てしまった。
おじいちゃん達は家だけでなく、お金もある程度残してくれたけれど有限だし何時も私はお世話になりっぱなしだなと情けなく思った。

その感情が表情に出ていたのかもしれない。
給湯室でお茶を入れている私に部長が話しかけてきたのはその直後だったからだ。