今昔ジャンクション

 緊張しつつも扉を開け、恐る恐る教室へと足を踏み入れる。そこはまるで廃墟のようだった。剥がれかけの壁紙、床や机に散らかったままの道具、割れた部分に紙を張り付けただけの窓。カビと埃の臭いがするその部屋は、普段は使われていないかのような印象を与えた。
 生徒は少なく十人もいない。犬を連れてる子がいるが、あれは悪魔だろうか。
 かのこが思い出したように慌てて扉近くの席につくのと、扉が開き講師風の男が入ってくるのは同時だった。

「はーい静かに、席について下さい。授業を始めます」

 教室内の歓談の声が止む。
 教壇へと上がった講師は随分と若く見える。かのこはその顔に見覚えがあった。いや、恐らくそれは彼女だけではない、ここにいる新入生たちは皆覚えがあるだろう。
 それは、新入生代表挨拶をしていた男子だった。つまりは彼女らの同級生だ。

「はじめまして、対・悪魔薬学を教える奥村雪男です」

 挨拶をする奥村へと、彼の正面に座る男子生徒が驚きながら立ち上がり声をかける。先程犬と一緒に居た子だ。彼らのやり取りからして、恐らくは知り合いか何かだろうか。

「お察しの通り、僕は皆さんと同い年の新任講師です。…ですが悪魔祓いに関しては僕が二年先輩ですから、塾では便宜上"先生"と呼んでくださいね。…まず、まだ魔障にかかった事のない人はどのくらいいますか? 手を上げて」

 奥村はそう言うと、教室を見渡した。

 魔障とは悪魔から受けた傷や病のことを指す。魔障を受けることにより悪魔が可視化されるため、言ってしまえば祓魔師エクソシストになるための必須条件となる。幼い頃に魔障を受けたことがあるかのこは、手を膝の上に置きっぱなしだ。

 かのこが魔障を受けたのは、かつて関西にある父の実家に住んでいた時のことだ。近所に住んでいた男子にまざって山で遊んでいたところを、小鬼ホブゴブリンによって魔障を受けたのだ。突如見えるようになった宙を漂う小さな悪魔に混乱したのをよく覚えている。

 視線を巡らせるとまだ魔障を受けたことのない生徒が数人いるようだ。彼らのために、これからここで魔障の儀式を行うと奥村は話した。
 案の定この廃墟のような教室は普段使われていないらしい。半ば悪魔の巣になってはいるようだが、今のように明るく人がいる状態では悪魔は姿を現さない。儀式のために動物の腐った血を薄めて使い、ゴブリンを誘き出して魔障を受けさせるようだ。

 準備をする奥村に、先程の男子生徒が席を立ち近寄る。彼は少し話すと「ふざけんな!」と叫び奥村先生へと食ってかかった。奥村は冷静に話しているが、男子生徒はわかりやすく怒りを浮かべている。
 男子生徒が奥村の腕を思い切り掴む。すると、奥村が手にしていた試験管はその手から滑り落ちた。
 ガシャン、という音とともに赤黒い液体は小さな水溜りを作る。鼻をつくほのかな腐臭に眉をひそめた。

(というか、これはまずいのでは?)

 かのこがそう思うと同時に、教室の中心の天井が大きな音を立てて崩れ落ちた。土埃を巻き上げて現れたのは、角と尻尾の生えた小さな生き物…小鬼ホブゴブリンだった。数匹で身を寄せ合っていた小鬼ホブゴブリンは、グルルルと唸り声を上げながら周囲の人間を睨みつける。

「悪魔!」
「え、どこ!?」
「そこ!!」

 後ろにいた女子生徒のうち一人は魔障を受けていないらしく、悪魔がいると話す女子生徒の方へ身を寄せキョロキョロと辺りを見回す。
 奥村は拳銃を取り出すと、小鬼ホブゴブリンへ向けて発砲した。生徒へと攻撃しようとしていた小鬼ホブゴブリンは血を流しながら床へと落ちていく。
 教室の外へと避難を呼び掛ける奥村に従い生徒たちは慌てた様子で廊下へと出る。「駆除するまで外で待機していてください」という言葉とともに、奥村と知り合いらしき男子生徒が教室の扉をバタンと閉めた。

「…ったく、何なんやアイツ」

 一人がイライラと舌打ちしながらぼやく。背の高いその生徒は金のメッシュが入った髪をモヒカンのように立てており、祓魔師エクソシストとは程遠いように見受けられた。
 彼の言葉で緊迫した空気は霧散していき、生徒たちは思い思いに話し始める。この授業はこれで終わりだろうか、と考えていると「なぁなぁ」という声が耳に入った。
 振り向くと、男子生徒が苦笑いを浮かべながら立っていた。かのこの視線は、彼の派手な髪に吸い込まれるように上へ向く。短く切られた髪はピンク色に染められており、かなり目立っていた。

「ん?」
「災難やったなぁ、これはもう授業なくなるんとちゃう?」
「…そうだね、しばらくは教室にも入れないだろうし」

 扉の向こうからは二人分の話し声と激しい銃声が聞こえる。話しながら悪魔を退治しているのだろうか。どうやら奥村は悪魔退治に慣れているらしい。本当に彼は同じ高校の新入生なのだろうか。
 目の前の男も、暢気そうに世間話をもちかけるくらいだ、多少悪魔に慣れているのだろう。少なくとも、魔障を受けたことがない、悪魔の事を何も知らないという状態ではないらしい。

「俺、志摩廉造言います。自分、名前は?」
「…しま、れんぞう……?」

 目の前の男の言葉を何度も頭の中で反芻する。かのこの頭の中でひっかかったその名前は、一人の男子の姿を呼び起こした。
 彼女は彼の顔をじーっと見つめた。くっきりした二重の垂れ目に凛々しい釣り眉、髪でやや覆われた額の傷。かのこの中で思い起こされた顔と、彼の顔はあまりにも似ていた。
 「何や、そんな見つめられると照れるわぁ」などとおどけていた志摩も、つられるようにかのこをじっと見つめる。時間にして数秒だろう。互いに見つめ合うと、志摩はあっと声を上げた。

「うっそぉ…自分、かのこちゃん?」
「かのこ!?」

 志摩が声を上げると、金のメッシュの男子が驚いたようにかのこの名前を呼んだ。彼は志摩の肩を掴み押しやると、かのこを凝視する。その後ろにいた小柄な坊主の男子も、同じように目を見開きながら彼女の方を伺っていた。

「…かのこだけど…えっもしかして志摩ってあの志摩? 京都の寺の子の? すけべの?」
「ホンマにかのこちゃんなん!? えらい女の子らしくなったなぁ!? 昔は男の子に間違われるくらい髪も短くて…ってすけべは余計ちゃう?」
「志摩だって…そんな頭悪そうな髪になっちゃって。全然わからなかった」
「俺貶されてへん?」
「てことは、後ろにいるのは竜士様と子猫丸?」
「お前そんな呼び方してへんかったやろ!」
「ホンマにかのこさんなんや……三年ぶりやない?」
「そうだね、引っ越したのが中学上がる前だからそれくらい」

 かのこは中学に入る前まで、父と母、そして父方の祖母とともに京都に住んでいた。目の前にいる彼らは勝呂竜士、志摩廉造、三輪子猫丸といい、その時に親しくしていた三人組だ。彼らの家が近所だったこともあり、よく四人で遊んでいたものだ。
 三輪は、かのこが最後に会った時より少し背が伸びただろうか。志摩は髪色がガラッと変わり、勝呂はそれに加えて体格がっしりとしていた。後者二人が以前とは随分違う見た目になったせいか、あまり変わらない三輪に安心感を覚える。

 彼らが祓魔師エクソシストの家系だということは知っていたが、まさか同じ高校になるとは思いもよらなかった。それは恐らく彼らも同じだろう。何せ彼女は祓魔師エクソシストを目指している事を彼らには話していなかった。

「せや、連絡先交換しぃひん?」

 スマホを取り出した志摩に快く頷き、制服のポケットからスマホを取り出す。かのこが「竜士と子猫丸も連絡先教えてよ!」と言って二人を見ると、二人も同じようにスマホを取り出し連絡先を交換した。

 そうこうしている間に、教室の小鬼ホブゴブリンを片付けた奥村が扉から顔を見せた。奥村は別の教室で授業を再開することを告げる。
 かのこは三人と言葉を交わしながら奥村の後に続き、別の教室へと向かった。
back 
Hocus Pocus