千早の目の前には、手足を縛られているというのに昏々と眠る千鶴の姿があった。最初こそこれからのことを案じていた千鶴だったが、旅の疲れが出たのか糸がぷつりと切れたように眠りについたのだ。時折感じるが、この少女は案外気丈というか肝が据わっている。千早は同じように手足を縛られ転がされているが、気絶することも眠ることもできないでいた。
半ば引きずるように連れて来られたのは新選組が詰めている邸宅の一室だった。蔵にでも押し込まれると思っていたものだから、予期していたよりも丁重な扱いに拍子抜けする。どうせなら火鉢に火を入れて行ってくれたら良かったのに。
どれくらいそうしていたのだろうか。明け六つを過ぎたようで、気付けば藍色の空は白み始め、障子からは薄明かりが漏れ出していた。
「ん……?」
「千鶴」
「………そうだ、わたしたち…」
千鶴は小さく唸りながら身動ぎすると、ゆっくりと目を開く。寝ぼけ眼で辺りを見渡すと、思い出したように言葉を零した。
千鶴は千早が見ているのに気付くと「……全部、悪い夢かと思ったんです」と呟く。
「そうだね。これが……これが夢だったらよかったのに」
「……私達、どうなるんでしょうね」
千早は千鶴のため息の裏で、床板が軋む音がすることに気づいた。その足音はゆっくりとこちらへと近づいてくる。
障子の方に目を向けると、ゆっくりと障子が開き朝日が部屋へと差し込む。顔を出してこちらを覗き込んだのは、人の良さそうな壮年の男性だった。
「すまんなぁこんな扱いで……二人とも、今縄を緩めるから少し待ってくれ」
男は苦々しく笑うと、千鶴と千早の縛めを解いていく。手の拘束を残し縄を解くと「これでよし」と手を止めた。さすがに完全に自由にはしてくれないらしい。
千鶴が「あの、あなたは……」と男に尋ねると、男は「あぁそうか」と何かに気付いたような様子を見せた。
「私はね、井上源三郎と言うんだ。さて……ちょっと来てくれるかい」
「私たちの処遇が決まったのですか」
「いいや。今まで幹部連中であんたたちについて話し合っていたんだが……昨夜あんたたちが見たものについて確かめておきたいってことになってね」
「……私たちに、断る権利はないのでしょう」
千早がそう言うと、井上は困ったように笑った。千鶴は強張った顔で「わかりました」と頷くと、よろけながらも立ち上がる。先程まで縛られていた足は鈍く痺れ上手く動かなかった。
井上に続き縁側を歩く。千早は髪を見られないようにと頭巾を深く被るように引っ張った。この髪のせいで怪しまれたり、話が拗れでもしたらいけない。
二人の緊張した雰囲気を感じ取ったのか井上は明るく声を上げた。
「心配しなくても大丈夫さ。なりは怖いが、気のいい者たちばかりだよ」
「……」
音に聞く人斬り集団が?
隣を見ると、千鶴も同様に困惑した表情を浮かべている。
「一番歳若い藤堂君は、そっちの小さい君よりちょっと年上くらいだよ。もう一人の君は……沖田君と同じくらいかな。それに、永倉君と原田君という賑やかな二人組もいるから大丈夫」
井上は二人の緊張を解すように、にこやかに隊士の事を話してみせた。
大丈夫だと言われて素直にそうですかと頷けるほど浅短ではない。しかし、彼が気立てのいい男だということは判った。捕縛された身である千早と千鶴へ威圧感を与えることもなく、むしろ気遣いを見せる姿は、千早には好ましく思える。
「さて、ここだ。お入り」
井上は部屋の前で足を止めると、襖を開け二人に入るように促した。「失礼します」と中に入ると、幹部と思わしき男たちが一斉に視線を向ける。
「おはよう。昨日はよく眠れた?」
「ええ、おかげさまで」
「……寝心地は、あまり良くなかったです」
真っ先に口を開いたのは沖田だった。当て付けのように笑顔で返す千早とは裏腹に、千鶴は素直に返事をする。その様子を見て面白そうに笑った沖田は、そのまま口を閉じた。
「土方さん。そいつらが例の目撃者?」
そう言ってこちらを一瞥したのは、この部屋にいる幹部連中の中でも一際若く見える少年だった。恐らくこの人が、千鶴と歳が近いと言われていた藤堂だろう。彼と共に話している二人組が永倉と原田だろうか。
三人で談笑している様子だが、時折こちらへと視線を向けてくる。その目には敵意が宿っており、彼女たちを警戒しているのがありありとわかった。それは彼ら三人だけではない、この部屋にいる全員がそうなのだろう。
幹部の面々に囲まれるように広間の真ん中に座る。彼女たちの正面には土方とともに二人の男が座していた。恐らくは副長である土方と並ぶほど高い地位を持っているのだろう。
真ん中に座る男は、緊張の表情を浮かべる千鶴を見るとおおらかな笑みを浮かべた。
「早くから呼び出してすまない。俺が新選組局長、近藤勇だ」
局長ということは、彼がこの組織を率いているのだろう。人斬りと恐れられる集団の頭にしては温厚そうな男だ。近藤は自らの両隣を見ると言葉を続けた。
「それからこっちのトシが副長で、こっちの山南君は総長を務めていて……」
「何で態々教えてやってんだ、近藤さん」
「む? まずかったか、トシ」
「情報を与えてやる義理もねえだろ」
「ううむ、確かにそうなんだが……」
どこか憎めない男。千早はそんな印象を受けた。幹部たちも呆れたような様子を見せてはいるが、彼の態度を責めたりはしない。恐らく普段からこのような様子なのだろう。
近藤は気を取り直したように居住まいを正すと「さて、本題に入ろう」と言って斎藤に視線を向けた。斎藤は頷くと、口を開く。
「昨晩、夜間巡察中に浮浪の浪士と遭遇。相手が刀を抜いたため斬り合いとなりました。一部隊士らが浪士を無力化しましたが、その折、彼らが失敗した様子をこの者達に目撃されています」
斎藤はちらりとこちらに視線を向けた。その冷たい瞳と目が合ったのか、千鶴がびくりと震える。千鶴は怯えながらも震えた声で発言した。
「わ、私達は何も見ていません!!」
「……なあ、本当に何も見てないのか?」
「はい、見てません」
千鶴の言葉に、土方は表情を厳しくする。
見ていないと白を切るのは難しいだろう。何せ千早は"失敗した隊士"とやらを斬ってしまっているのだ。千鶴だけならば、見ていないと言い逃げができるかもしれない。
「あれ? 総司の話だと隊士を斬ったのはそっちのお前だって……」
永倉はそう言うと千早を指差す。やはり刀を抜いたことは既に伝わっているらしい。
「……襲われたので、私が刀を抜きました。それだけです。彼は路地に隠れていたので、何も目にしていないでしょう」
「違うんです! 浪士から逃げているところを新選組の方達に助けて頂いたんです!」
「つまりは、隊士共が浪士を斬ったところはしっかり見てたってわけだな?」
「っ!!」
永倉の切り返しに千鶴が言葉を詰まらせる。ここでの沈黙は肯定しているようなものだ。千鶴だけでも解放してもらおうという意図は失敗に終わったらしい。
「つまり一部始終を見ちまったってことだな」原田の言葉に完全に押し黙ってしまった千鶴に、原田は困ったように笑った。
「……私たちはこちらの隊士が粛清されるのを目撃した。ただそれだけです。他言は致しません」
「君たちが決して他言しないなんて保障はないんだから、そんなことを言っても解放は難しいよ」
千早の言葉に、沖田が口を開く。
彼はにやりと笑うと「ほら、殺しちゃいましょうよ。口封じにはそれが一番じゃないですか」などと物騒な事を口にした。この男はどうにも血の気が多いらしい。昨日の抜刀といい、危ない人物だ。
「総司、物騒なことを言うな。お上の民を無闇に殺して何とする」
「そんな顔しないでください、ただの冗談ですから。でも……他言しないなんて言葉、信じられないなあ。君たちは嘘をついたわけだし」
「それは」
「それにその身形」
沖田の言葉に、心臓が跳ねる。同じく動揺した千鶴が「え?」と言葉を漏らした。
「女の子、だよね。綺麗に化けたつもりかもしれないけれど」
「そんな……何故私達が女だとわかったんですか」
「……ん? 私達?」
「……あっ!」
千鶴が「しまった!」と言わんばかりに顔を青くする。一同のしんとした様子に、千早は頭を抱えたくなった。両腕が自由だったならば、きっとそうしていただろう。
「そっちの君も女の子なの? 流石にわからなかったなあ。頭巾を深く被っているし」
「年端も行かねぇ小娘が用心棒の男でも雇ってんのかと思ってたが……」
「まさか君たちが女子だったとは……この近藤勇、一生の不覚!」
千鶴が女であると気付いていた者もいれば、気付いていなかった者もいるらしい。藤堂や永倉、原田は三人で「お前気付いてたか?」「そういう新八っつぁんはどうなんだよ」「俺が気付かないのに新八が気付くはずねえだろ」と身を寄せ合って話し込んでいる。
騒然とする中、沖田は千早の元へと近寄るとその後ろに立った。
「ねえ」
「……何でしょうか」
「女の子だってバレちゃったんだし、その頭巾はもういらないよね」
「……防寒のためですので」
「この部屋、火鉢もあるし寒くないと思うけど」
「京は冷えますから」
「何、顔も見られたくないくらい醜いの?」
「それでいいです」
どうしてこの人はこんなに話しかけてくるんだ。
千早が適当に答えを返していると、頭が軽くなるような感覚を覚える。はらりと視界に落ちてきた白銀の一筋に「ああ、頭巾を取られたのか」などと暢気な感想を抱いた。
しかしそんな彼女とは裏腹に、部屋の空気は一変して張り詰めた。千早へ注がれる視線は鋭くなり、敵意や殺意と言った感情を孕む。
この髪で気味悪がられたことなど何度もある。自分たちとは異なるものを淘汰しようとするのは世の理だ。しかし、ここまでの感情を剥き出しにされたことはなかった。
彼女が幹部たちの様子にひっかかりを感じていると、突然その背に鈍い痛みが走る。気付けば彼女は畳に倒れており、その首には刀が宛てられていた。
「ねえ、その髪……君も血に狂うの?」
千早を引き倒した沖田が、鋭く光った目で彼女を見つめた。
