12
「…あれ?リオがいる」
「おはよう。朝だぞ」
「おはよう。一緒に寝てたっけ?」
「起きるのを見張ってただけだ」
「布団に入って?」
「寒かったんだ」
「何もしてないよね?」
「するわけないだろ」
遊園地に行った次の日の朝、今までで一番近くまで距離を詰めたのに、一番自然に目を覚ました気がする。そして昨日のことでかなり打ち解けたからだろうか、なまえがふざけて変な言い方をしてきても、この時は変にむかついたり、憤るような気持ちにはならなかった。
そのまま話しながら部屋を後にして、リビングの扉を開けた。
「おはよう。随分早いのね」
そこには院長が席に座って待っていた。この時間、普段なら院長は開院の支度のために診察室にいるはずだ。ここにいるのはかなり珍しい。余程のことがあるのでは、と身構えた。
「あ、なまえ、下で使ってた紅茶が切れちゃったんだけど、どこにしまったっけ?」
「キッチンの上の収納だよ。補充しておこうか?」
「そう?じゃあお願いするわ」
言われるまま、なまえはキッチンの上から紅茶の缶を取り出すと、リビングから出て行った。院長がここにいたのは僕と話す目的だったらしく、一連の話は一緒にいたなまえを退室させる口実だったみたいだ。なまえが出て行くのを見送って、院長はテーブルに置いていた端末の画面をこちらに見せてきた。
「見て」
そこに映っていたのは僕だった。気絶したなまえを抱えて、逃走している時のものだ。施設内のあんなに開けた場所なのだ。誰かしらが録画していたり、監視カメラを設置するなりしていてもおかしくはなかった。
「送られてきたの。近いうちに伺いますって内容で」
「どこから…」
「フリーズフォースよ」
院長は僕を責めるような言葉は一つも出さず、ただ淡々と、事実だけを告げてきた。
僕のせいで病院の備品が配給されなくなるかもしれないとか、評判が落ちるかもしれないという理由で怒ってもおかしくない状況だ。それなのに、こんなに冷静に対応してくれるのが、ただただ申し訳なく思った。
「突っぱねてはいるけど、そのうちここにフリーズフォースが来るわ。その前に、あなたは自分の家に戻りなさい」
家のことを詮索したり、話題に出すことなど絶対にしなかった院長から、ついに僕の家の話が出てきた。きっと院長も言いたくはなかったと思う。それでも、僕の身の安全を優先するために、帰るように言ったのだ。
「今日だけ待つから、帰る支度をしなさい」
「……なまえは、」
「ん?」
「なまえは、どうなるんだ」
それは、僕がこの家を出る上で一番気がかりなことだった。先ほどの映像にはなまえも映っていたし、昨日、先にフリーズフォースに見つかったのはなまえの方だ。ここに連絡を寄越したフリーズフォースの狙いは僕だけということはまずないだろう。
「なまえは……そうね。連絡では名指しされたわけじゃないし、この映像では辛うじて顔は写ってないみたいだけど、場合によっては、施設に行ってもらうかもしれないわね」
その解答は、一番聞きたくない内容だった。無表情で対応していた院長が少しだけ、悔しそうな、悲しそうな顔をした。
僕のせいだ。僕がなまえの生活を壊してしまった。僕が遊園地に行こうだなんて言わなければ、こんな事にはならなかった。大人しくこの家の中だけで過ごしていれば、ずっとここで一緒に暮らせたかもしれない。或いは、僕がもっと早く、この家を出ていれば、なまえはこの家を出て行かずに、ここで平和に暮らしていけたのかもしれない。
「補充しといたよー」
「ありがとう。じゃあ私は下に戻るわ」
「はーい」
話を終えたところで、一階に降りていたなまえが丁度戻ってきて、入れ違うように院長がリビングを出て行った。なまえに先ほどの映像を見せる気はないらしい。それでいて僕に口止めをしなかったのは、僕に情報伝達するかどうかの判断を委ね、そして自分から出ていくことをなまえに伝えられるよう、計らってくれたのだろう。
わかっていた。僕が少しでも“生きたい”と思ったその時点で、なまえとの約束は果たされていて、ここを離れなければいけないことを。だから言いたくなかった。ここにずっと居たかったから、嘘をついていた。
「なまえ」
「ん?なに?」
「…………」
「…どうしたの?」
「……呼んだだけだ」
ここを出ていく、たったその一言を伝えるだけなのに、いざ言おうと思うと口に出せなかった。
僕がここを出ると言ったら、なまえはどう思うだろう。喜ぶだろうか。悲しむだろうか。どんな反応をするのかを考えると、怖かった。
「何かあった?」
「……何も」
「顔色悪いよ?」
僕はまだここに居たい。できるならここでずっと、何事もなく平穏に暮らしたい。でも、それはなまえもそうとは限らないのだ。元々、死のうとした僕を助けた交換条件としてここに置いてくれているだけなのだから。もしかしたら異性がいる生活なんて窮屈に思っているかもしれない。朝早く起こされたりするのも、一人分多く食事を用意するのも、洗濯物の量が増えるのも、嫌なのかもしれない。悪い方に考えだすと、止まらない。
「何かあったらちゃんと言ってよ。私たちもう家族でしょ」
「…家族…?」
「そう、家族。院長も、前にきょうだいって言ってたし……もしかしてリオはそう思ってなかった?」
家族、彼女はそう言い切った。“みたいなもの”といった比喩表現ではなく、完全に、僕達は家族なのだと。
「…いや、僕も、そう思う」
「そっか。なら良かった」
「言っておくが、僕の方が兄だからな」
「まだそれ言うんだ」
「大事なことだからな」
「へー、私には悩んだり落ち込んだりして手がかかるリオ、弟に見えるけどなー」
「君みたいに朝起きられなくて手がかかるのは妹に決まってるだろ」
言い合った後、ほぼ同時に笑いが起きた。こうやって無意味な口論をした後も楽しいのは、彼女が言うように家族だからだと、そう強く思った。僕がこの家の家族なんだと思うと、どっちがきょうだいの上か下なんて些細なことだ。
ここから出て行くなんて、言えるわけがない。なまえはきっと悲しむ。僕は家族を悲しませるようなことはしたくない。出て行くことは曲げられないけれど、せめて今日だけ、最後の“普通の生活”を過ごしたい。
「あ、そうだ。折角自宅待機が解けたから、買い物に行こうと思ってたの」
そう思った矢先、なまえのその一言で血の気が引いた。今、外に出てはいけない。フリーズフォースから直々に連絡が来ている僕達が、白昼堂々外を出歩けるわけがない。
「リオは何か必要なものは、」
「駄目だ」
つい先走って、思ったことが口に出てしまった。そもそもフリーズフォースから連絡が来たことを、なまえは聞いていないのだ。いきなり駄目出しをされて聞くわけがないだろう。
「…あ、いや…その、今のは…」
「心配してるの?」
「……まあ、少しは」
「じゃあ、一緒に行く?」
以前の彼女なら、買い物程度で大袈裟だ、なんて言って単独での外出を強行しただろう。そんななまえが嫌がる様子もなく、ごく自然に誘ってきた。遊園地に行ったことで抵抗がなくなったのか、或いはいつもの気まぐれかもしれないが、僕を信頼しているのだと思うと嬉しかった。
でも、そんなことは気恥ずかしくて面と向かって伝えられる訳がない。
「…荷物持ちが欲しいのか」
「む、じゃあそれでいいですー。でも、何かあったときにリオが助けてくれるから、私一人で行くよりは心配ないでしょ?」
◇
折角外に出られるから、と前置きをしていたので身構えていたのだが、何を買うのかと思えば、近所の店で今日の夕飯の材料やストックする食料品を物色しているだけだった。量は一人で運べる上に、荷物持ちの出番はない…いや、荷物を全部丸投げされる程度だろう。
「…アイスは昨日食べただろう」
「え?そうだけど、また食べたいから」
どうやら、昨日のことでアイスが好きになってしまったらしい。一緒に食べることを教えることには成功したけれど、まさか主食ではなくデザートが好きになるとは。普通の食材も買い込んでいるので、アイスを食事代わりにしようということはないだろうが、これからアイスばかり食べる生活を目指しているような量だ。確実に腹を壊しかねない。
「買うなら一箱だ。減らせ」
「えー」
「えーじゃない。次来たときに買えばいいだろう」
「なくなってたらどうするの」
「大体は補充される」
「期間限定のはなくなっちゃうでしょ?」
「だったら優先して選べばいいだろう。全部欲しいとかお前は子供か」
「子供ですー未成年ですー」
「未成年でもお前の年齢で駄々こねてるとか恥ずかしいぞ」
「リオが駄目って言うからでしょ」
普段から自我を抑圧していたであろうなまえが、こんなに我儘を言うこと自体は喜ばしいことなのだが、度が過ぎるのは困る。第一、カゴに入っているアイスの量は家の冷凍庫には入りきらないだろう。好きなものができるというのは、自分の家の冷凍庫の中の状況まで忘れてしまうのだろうか。
どうにか上手い言い聞かせ方を考えて、口を開く。先程まではつい喧嘩腰になってしまったので、今回は出来るだけ落ち着いて、普通に会話するように。
「一気に食べたら、新しいものを試す楽しみがなくなるだろう。また買いにきてやる」
「……そっか、わかった」
すると、様子が変わったことに気がついたのか、或いは内容に納得したのか、すんなりと理解してくれた。籠の中のアイスを一つずつ、棚に戻しはじめた。
「…あ、それは駄目」
僕も手伝おうと一つ手に取ったところで、横から奪われた。
「これ、昨日食べたのと同じだから」
すごく嬉しそうに、彼女はそう言った。よく見てみると、サイズは違うものの昨日食べたものと同じパッケージだった。
どこにでもあるようなこのアイスが、なまえにとっては大事な思い出の品になったのだろう。彼女の特別が増やせたことを嬉しく思う反面、会えなくなった後、このアイスを見るたびに僕を思い出すのだろうかと想像して、胸が痛くなった。
「そうか、悪かった」
顔に出さないよう、出来るだけ普通に振舞った。今は哀愁に浸っている場合ではない。残りの時間を普通に過ごすためにここにいるんだ。ネガティブな考えを振り切って、カゴに向かったなまえの方へと足を進める。
「それで、残りは…」
話しかけた直後、僕は言葉を失った。
「……なん、で…」
なまえの腕が、不自然に凍りついていた。まるでそれは昨日フリーズフォースに捕まっていた時と同じ、凍結弾を被弾した時と全く同じ状態になっていた。
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